誰か一人のために
お母さんは何でも屋さん。 ご飯を作ったり、洗濯したり、いつも家族みんなのために、大忙し。 でもときどき、「みんなのために」ではなく、家族の「誰か一人のために」何かをしてみてはいかがでしょうか。
たとえば、こんな話があります。
わたしの父は九人兄弟の三男坊。 長男でも末っ子でもない「その他大勢」だから、 親に目をかけてもらうなど、期待もしていなかったそうです。
ところがある日、ふすまの陰から母親が、自分に向かって手招きしている。 行ってみると、 「数がないからね。他の者には内緒だよ」と言って、飴玉をひとつ握らせてくれたそうです。
おそらく祖母は順繰りに、他の兄弟にも同じようにしていたでしょう。 食事にも困った戦乱期、わずかなお菓子が手に入るたび、 さあ次は誰に食べさせようかと考えた。 けれどもその嬉しさと驚きを、父は今も忘れないのです。
時には誰か一人のために、何かをしてあげる。 いま自分の目の前にいる、その人だけに。
たとえば、お茶をいれてあげる。丁寧に。 お茶請けは、なんだって構わない。 手作りでなくたって、ありあわせだって、構わない。
小さなお盆に乗せて、「はい、どうぞ」。 お盆の中は小宇宙。 お盆の縁は一つの境界。 世界を括って境界をはっきりさせることで、 「これは全部、あなただけのものですよ」というメッセージが明確になり、 きっと喜んでもらえます。
初稿:2007年12月20日