たかが箱、されど箱

カレーライス

「ママ! それ壊しちゃっていいの?!」 娘が叫びました。

「それ」とは、先だって実家から譲り受けた会席膳の平たい紙箱のこと。 膳の数だけ箱があり、取り出すのが手間なので、 厚みを一箇所切り開き、引き出しに改造しようとハサミを入れていたのです。 「壊しちゃっていいの」とは大きなお世話、 わたしも2週間迷い、やっと決心がついたのですから。

箱ひとつ壊すのに、なぜためらいがあるのでしょう。 便利になるなら迷わず改造すればいいのに。

それはきっと、取り返しがつかないからだと思います。 改造により「引き出し」を得る代わりに、「専用箱」を失うから。

箱は「いつか使うかも」と思って処分できないものの代表格です。 日々使うものに箱は必要ありませんが、 長期に保管したり、人に譲ることになったとき、要は使わないとき、必要となります。 一度捨ててしまうと、まったく同じ大きさ・深さの箱を再び手に入れるのは至難の技。 だから処遇に迷うのですね。

ただそれだけに、箱の処分が一種の儀式になることも。 その中身を自分の持ち物として迎え入れ、日々活用する決意を固めるチャンスです。 箱がとってあるうちは、まだほんのお試し期間。 帰る箱を失って初めて、物は本当にその家の一員となるのです。

さあ、箱を壊し、引き出しが完成しました。 これでこの会席膳も、今日から正式に、わたしの道具です。

初稿:2008年1月10日

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