うさぎが社内預金を何に使ったか。
どういうわけだかまわりはそれを聞きたがり、あの手この手でうさぎから聞き出そうと
しましたが、うさぎは誰にも、ヒントになるようなことさえ言いませんでした。
一番仲の良かった友達にさえ、何もいいませんでした。
だって、この三軒長屋のような狭い社会で1人に喋ったら、 みんなに言い触れ回ったのと同じことですもの。 それに「マンションを買った」なんて知れたら当然、結婚を決めたこともバレてしまう。 結婚するウワサがヘタに上司に伝われば、「どうして先に報告しない!」と むくれる上司も出てくるでしょうし、 第一、社内恋愛というのはイヤでも人の口の端に上りやすい。 ウワサが広まるのも速ければ、そのウワサが変容するのも時間の問題で、
「マンションを二人で買ったらしい」
↓
「結婚するらしい」
↓
「もう一緒に住んでいるようだ」
↓
「すでに子どもがお腹にいるらしい」
といった進化を遂げないとも限らないと思い、ひたすら口を閉ざすことにしたのです。
けれども、それも長くは続きませんでした。
誰かが、また聞きの、また聞きの、そのまたまた聞きで、
「きりんとうさぎがマンションを購入したらしい」と聞きつけてきたのです。
どうやら不動産部の人は、この社内をよく知っているだけに口が堅かったらしい。
ウワサの出所は不動産部ではなく、
契約の時にお会いした建設会社の営業さんの方でした。
何でも、別の課の人がうさぎたちと同じ経路でこの建設会社から物件を購入したらしく、
後日、当の営業さんにそれとなく尋ねたら、
「ああ、先日その方に一杯おごっていただくチャンスがありましてねえ、
本当ならこちらがご接待申し上げなければならないところでしたが、
おかげさまで楽しい一時を過ごさせていただきました。
きりんさんたちのことを話したら、
社内じゃ有名なカップルだって言うじゃありませんか!
いやー、ほんとに社会って狭いですねえ〜」
と悪びれもせず、ケロリと言うのには参りました。
"社会"はどうだか存じませんが、"会社"は確かに狭い。
それにお気づきではなかったとは‥(泣)。
「社内結婚ですので、この件はぜひご内密に」
とでもあらかじめ言っておくべきだったのかもしれません。
◆◆◆
さて、社内預金の行方がマンション購入であったことが知れ渡ると、 これはこれでまた大変でした。
「マンション買ったんだって?」
「いくらした?」
「頭金どのくらい積んだの?」
「親からいくらか貰っただろ?」
これまたいろんな人がいろんなことを聞きにきました。
そして、誰かがうさぎのところにそれを聞きにくると、まわりが一斉に耳をそばだてる。
みな、机の上に広げた書類に見入っているフリはしていましたが、
耳がダンボになっているのがバレバレでした。
だって、エンピツを走らせる音、書類をめくる音がぱったり止むんですもの。
けれど、うさぎはこれまたただただ笑ってはぐらかしたので、
誰も詳しいことをうさぎから聞き出すのに成功しませんでした。
ただ「親に買ってもらった」と思われるのだけはちょっと悔しかったので、
「親からいくら貰った? 1000万以上貰っただろ」
と聞かれたときには、
「まさか‥! 全くとは言わないけれど、ほんのちょっとだけ」
と答えておきました。
これは本当です。きりんとうさぎは、
「双方の両親から300万円づつ貰ってあとは融資で賄う」
という不動産部のたてた「他力本願計画」を実行に移したりなんかしませんでした。
「いつか家を建てよう」という夢があったので、
二人とも、社会に出てから日が浅い割には貯金を持っていて、それを使ったのです。
そして。
「どうやら親に買ってもらったわけではないらしい」
というそのうわさもまた瞬く間に広まり、それは皆の感動を呼んだようでした。 まあ無理もありません。だって皆、物件価格を激しく勘違いしているんですもの。 うさぎたちが買った物件より、どうかすると1000万も高く見積もっている。
「親から500万、自己資金がうさぎさんの社内預金の200万。
きりんも貯めていそうだから、300万くらい出してるかなー。
それにローンが2000万ちょい。
‥こんなとこだろ? な?」
なんて、独自の資金計画を打ち出しては反応を窺い、 うさぎの表情を勝手に解釈しては、それに修正を加えていく。
「おや、もうちょっと自己資金を積んだらしいな。そうすると‥」
‥あのねえ‥。
結局皆は、誰かの立てた資金計画で納得することにしたようです。
ある日、ほとんど話したこともない隣りの課の後輩が、わざわざこう言いにきました。
「この会社に勤めていても、マンションを買うなんてことができるんですね!
なんだかボク、将来に希望が出てきました!
ボクもさっそく社内預金を始めたいと思います!」
そのセリフを聞いて、うさぎは
「ちょっと皆に良いことをしたかも〜?」と思いました。