2003年7月25日 ブルネイ旅行記(その13)

最近バリの旅行記を探して読んでいます。
それで知ったのですが、バリってすごいんですね。 何がすごいって、ホテルのハシゴ!

バリフリークの方の多くは、ホテルフリークでもあるんですね。
とにかくみなさん、短い日程の中で、ホテルをハシゴされることされること! 2泊づつ3つのホテルをハシゴするくらいは当たり前、 毎晩違うホテルに泊られる方も。
それも、高原の高級ヴィラに泊った翌日は、繁華街にあるロスメン(安宿)に泊り、 またその翌日は海辺の大型リゾートに‥といった具合。 一粒で何度も美味しいバリを味わう、といったところでしょうか。

ものぐさな我が家は2か所滞在でも多すぎると思っているくらいなので、 その真似をしようとは思いませんが、気持ちはなんとなく分かります。 だって、バリにはとにかくホテルがたくさんあるんですもの。 日本人が利用するランクのホテルだけでも、たぶん何百とあるんじゃないかな。 本当によりどりみどり! しかもわりとホテルよって特色がはっきりしているみたい。 だから一つに絞り込むのが難しい。

いつもはすぐに、マイ・オンリーワンがすぐに見つかって、 ホテル選びで迷ったことのない我が家も、今回ばかりは迷いましたね。 あまりの選択肢の広さに、最初はボーゼンとしました。

それでも我が家の場合は「1つの広い部屋に4人で泊りたい」という譲れない条件があるため まだ選択肢が限られているのと、 たまたま問い合わせをしたホテルに予約が入り、早いうちに決まってしまったので、 それほど迷いませんでしたが、 実は他にも気に入ったホテルがあって、「こっちもよかったかなあ」なんて、 ちょっぴり未練を感じたりもしています。

そういう未練を感じないためには、 1泊づつでも、いろんなホテルに泊るということになるのでしょうね。 それでも、1度で泊りたいホテルをすべて制覇するのは難しいみたい。 それで2度、3度、4度、5度と、頻繁に渡バリされる方も多いようです。

う〜ん、バリってスゴイ〜!!

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【 ブルネイ旅行記13 路端の魚売り 】

第二夫人のモスクの近くの路端に、野菜か何かを売る露天が出ていた。 うさぎは台の上に並べられている商品を見てみたくなり、運転手さんにそう告げた。

だけど露天は道路の向こう側。こういう時、車は不便だ。 対向車線に鞍替えするには、 中央分離帯の切れているところまで行って引き返さなくてはならない。

それで車を走らせていたら、こちら側の路端にも、 ぽつんぽつんと露天が出ていることに気づいた。
あら、ここでもいいわ、と思い、「車を止めて!」と叫ぶうさぎ。
ところが車というのはまったく不便なもので、 そう言ったときにはすでにもうその前を過ぎてしまっていた。 後ずさりするわけにもいかない。本当に不便だ。

車に乗りつけないうさぎ、何度も露天を通り過ぎる度に 「止めて! 止めて! 車を止めて!」と大騒ぎを演じていたら、 運転手のカエリさんが、 「まあ私にまかせておきなさい」と言ってくれた。 なのでそれからは、おとなしく座席に座っていることにした。

結局カエリさんが車を止めてくれたのは、露天が10数ばかり寄り集まった場所。 これは良いところを選んでくれたものだ。 でも、ハリラヤの休暇のせいなのか、営業している店はたった数店舗。 それが残念だけれど、とにかく車を降りて見て回ることにした。

店のうちの一つは、主に魚を商っており、 若いお兄さんが黒いビニール袋を長い棒の先につけたものでハエをおっぱらいながら、 いつ来るとも知れないお客を待っていた。
台の上にはたくさんの魚が並んでいる。 タイ、カレイ、それに名前の分からない魚も様々。 3匹ほど並んだ70〜80センチもあるサメが目をひく。 となりの台にはズッキーニとマンゴー、そして40センチもあるインゲンが並んでいた。

店番のお兄さんに「こんにちは」と声をかけ、野菜の名を尋ねる。 長いインゲンの名は、一度や二度聞いたくらいじゃとても覚えられないような名だった。 この南国じゃ、インゲンもこんなに長く育ってしまうのかしら?と思ったけれど、 お兄さんによれば、もともと種類が違うのですと。短いのもあると言っていた。 魚はみなブルネイ近海で採れたものらしい。

お兄さんはちょっとテレやさん。だけど人懐こくて、実直そうな若者だった。 うさぎの興味は、台の上の商品から、だんだんお兄さんへと移っていった。

仲良くなったしるしにと、 うさぎが100円ショップで買って来た扇子と富士山の絵の入った グリーティングカードを差し出すと、お兄さんはろくに珍しそうな顔もせずに言った。
「ボクの兄貴は日本に行ったことがあるんだよ。 東京大学に留学してたんだ。神戸にもちょっといたんだよ」

これには驚いた。 だって、東京の路端にお店を広げているおじさんが、
「うちの兄貴はオクスフォードに留学してたんだ」なんて言っているところを想像できる? 「留学」なんて言葉は、日本じゃあインテリの口からしか出てこないような気がするから。

「ふーん、そうなの。 あなた自身は? 海外へ行ったことある?」とうさぎが尋ねると、 お兄さんはちょっと恥かしそうに、
「あるよ。エジプトに2週間。宗教の勉強に行ったんだ」と言った。
「それならもしかして、アラビア文字が書けたりする?」と尋ねると、 こともなげに「書けるさ」と言うので、うさぎは用意してきた色紙を取り出し、
「ここに何か書いてくれない?」と頼んだ。
「何かって何を?」と言うので、
「何でもいいわ。たとえば"ハリラヤおめでとう"とか」と言うと、
「マレー語で? それともアラビア語がいい?」と聞くので、「両方」と注文を出した。 すると、彼はさらさらとアルファベットとアラビア文字の両方を書いてくれた。
そして最後に名前のサイン。

ムハンマド(モハメド)・アリ

冗談みたいな名前だけれど、イスラム圏ではよくある名前のようだ。 英語圏でいえばジョン・スミス、 日本で言えば山田太郎、もしくは鈴木一郎といったところだろうか。 運転手のカエリさんもファーストネームはムハンマドだ。

「ねえ、写真を撮ってもいいかしら」と尋ねると、 ムハンマドは「ええーっ」と照れながらも、「いいよ」と言った。
そして、サービスの良いことに、熱心にハエを追い払っているポーズをとってくれた。

お兄さんに暇を告げた後、車に乗り込んで運転手のカエリさんに、
「アラビア文字が書けるというのは、この国では普通のことなの?」と尋ねると、 「書ける人もいるし、書けない人もいます」というバクゼンとしたお答え。
「ではあなたは書けますか?」と尋ねると、
「いえ、わたしは書けません。わたしは英語学校に行きましたので」 という答えが返ってきた。 「ブルネイでは、いろいろな学校があるのです」と。 英語は幼稚園の頃から習うから、誰でも一応話せるけれど、 英語学校に行けば、より英語が堪能になる。 アラビア語学校に行った人はアラビア文字が書けるようになる。 「コーランがアラビア語で読める人もいます」と彼は言った。

日本に留学する人もいれば、エジプトに留学する人もいる。 後に出会った女の子は、カナダに留学すると言っていた。
そういう多様性、そして世界に向って開かれた目は、 この先いつか石油が出なくなったとき、この国を救ってくれるだろう ――そう、うさぎは思った。

つづく