2003年8月7日 ブルネイ旅行記(その21)

先日、ジャカルタでテロがありました。 その影響は旅行にも出ているようで、 バリ旅行をキャンセルすべきかどうか、アドバイスを下さいという書き込みを、 ある旅行サイトの掲示板で見ました。
もっとも、こういう問題に関するアドバイスというのは難しく、 そこの管理人さんもレスに困っていました。 だって誰にも分かりませんものね、「安全かどうか」なんて。

うさぎはというと、この書き込みをみて初めて、 「ああそうか、バリ行き取りやめという選択肢もあるのか!」と初めて気付いた次第で、 それまではキャンセルのキャの字も頭に浮かびませんでした。
考えてみれば、千キロ離れているとはいえ、ジャカルタもバリも同じインドネシア内だし、 狙われたのは外国人の多い高級ホテルだったのだから、 そこまで考えても良さそうなものですけれどね。 バリとジャカルタを関連づけることまではしたものの、 旅行を取りやめるという発想は、なぜだか生まれなかったのです。

でも、旅行をキャンセルすることって、そう珍しいことではないような気がします。 地域情勢だけでなく、体調や仕事の都合など、 旅行に行かれなくなる要因はいくらでもあります。 うさぎも昔、出発の当日に高熱を出し、キャンセルしたことがあります。 すごく残念で、何とか行かれないかとも思ってキャンセルしようかどうか迷いましたが、 迷うくらいならやめたほうがいいと思ってキャンセルしました。

「迷ったらやめる」というのは、うさぎがけっこうよく使う手です。 服などを買うとき、どちらがいいか迷ったら、どちらも買わないことにしています。 強力な対抗馬がいる程度の魅力では、まだまだ買うに値しないと思うからです。 趣味的なものは、「どうしてもこれでなくちゃイヤ!!」と思ったものしか買いません。

旅行もそうです。別に旅行なんて、行かなくてもいいものだから、 迷うくらいならとりあえずやめておく方がいいかもしれないと、うさぎは思います。
結婚もそう。迷うくらいなら、やめておいた方がいいかもしれない。 「どうしてもこの人でなくっちゃ!!」 と思う人に出会ってからでも遅くないような気がするから。

旅行サイトなんか公開していると、 "旅行に行く方が正しい"と思っていると思われがちなのか、 「実は旅行、キャンセルしました」と報告してくる人は、 なんとなく遠慮がちだったりします。
「その程度の理由なら、行きなよ!」って言われるかもしれないと思うのかしらね。
冒頭に書いた掲示板の書き込みも、本人は、
「そう思うならやめておいたら?」というアドバイスではなく、
「深く考えずに行きなよ」というプッシュを期待していたんじゃないかなあ、 という気がします。

でもねえ、旅行なんてただの娯楽なんだから、 迷う気持ちに逆らってまで行く必要はないんじゃないかなあと、やっぱり思います。 買い物も結婚もそうだけれど、 迷わず実行したことは、たとえいい結果にならなくても運命だと思って諦められるけれど、 迷ったにも係わらず実行して、結果が悪かったら、きっと後悔すると思うから。 様々なリスクを背負ってなおそれでもやりたいと思えるようなことだけやっていても、 人生は充分忙しいと思うから。

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【 ブルネイ旅行記21 カンポンアイール再び1 】

ブルネイで過ごす最後の日、「やりのこしたことはないだろうか」と考えたとき、 「どうしてもこれだけは」と思ったのは、もう一度カンポンアイールを訪ねることだった。

おとといカンポンアイールを訪れたときは、 全面的に運転手のカエリさんが面倒を見てくれた。 それはとても安心でスムーズだったけれど、"何か"が欠けていた。
確かに、水上家屋の家の中がどんなかは分かったし、 ハリラヤのお菓子がどんなものかも分かった。 だけど自分は常に受身で、カンポンアイールを眺める「観客」でしかなかった。

うさぎの望みは、カンポンアイールの「観客」ではなく、 「登場人物の一人」になることだった。 それには、人の手を借りてはならなかった。 人の後ろにくっついているだけではダメなのだ。 自分で行動しない限り、他人から反応が返ってくることはない。

そう、うさぎは自分が行動することによって、誰かの反応を勝ち取りたかったのだ。 そのためには、自分で水上タクシーの運転手と渡り合い、自分の足で桟橋を歩き、 自分から「ハリラヤおめでとう!」と誰かに声をかけねばならぬ。 それでもし、ハリラヤのお客として家に招かれでもしたら、 たとえ見るもの食べるものが同じだったとしても、 観客席にいる「お客」ではなく、 舞台の上の「お客の役」を演じることができるに違いない。

けれども、家族の反応ははかばかしくなかった。 ネネときりんは「カンポンアイールに行きたい人!」とうさぎが言うと、 露骨に嫌な顔をした。 チャアだけは「行く!」と答えたので、チャアとうさぎの二人で行くことにした。

バッグに和風の扇子、富士山やサクラの花の絵の絵はがき、それに折り紙、 千代紙をどっさり詰めて、チャアとうさぎはエンパイアの黒塗りのワゴンに乗った。 ホテルから「ヤヤサン」という名の市内のショッピングセンターまで、 日に数回シャトルバスが出ていたのだ。

ヤヤサンショッピングセンターで車を降りると、 対岸に渡る船着場は、一本道を隔てたすぐ側だった。 2日前に見た景色が目に飛び込んできて、すぐにそれと分かった。 うさぎたちは、今度は他の人々に混じって、一般の船着場を降りていった。

ボートに乗るお客も多いけれど、ボートの数も多い。 ほとんど待つことなく、ボートに乗る順番はすぐにやってきた。 うさぎは、前の人と同じように、船頭に「運賃は1ドルでいいか?」と確認し、 向こう岸を指差した。 たったそれだけのことで、ボートは対岸目指して全力疾走を始めた。

ほんの2、3分で、ボートは対岸の船着場に着いた。 1ドル紙幣を支払ってうさぎたちがボートを降りると、 そのボートはそこで待っていたお客を乗せ、 またすごい勢いで元の船着場へと帰っていった。

船着場は、金色の大屋根を乗せたモスクのすぐ側だった。 うさぎは、船着場の目印にモスクを使うことを思いついた。 カンポンアイールでもし道が分からなくなったら、 金色に光るモスクの大屋根に向かって帰ってくればいいのだ。

さあ、カンポンアイールの桟橋を、二人は歩き出した。 いましがたヤヤサンショッピングセンターで買ったばかりの新しい金色のサンダルで、 チャアは桟橋をスタスタと渡っていった。 うさぎもそのあとを追った。 でも、桟橋のはるか下を見ると、怖くて腰が引けた。

それは、高所恐怖症のうさぎにとって、この上ない難行だった。 一歩一歩足を前に出すのが怖い。 縦板に、横板を渡しただけの粗末な桟橋は、一歩踏み出す毎に、ガタガタ音を立てる。 時々留め金が外れて、傾ぐ横板もあり、歯抜けになって下の川が見えているところもある。 欄干などあるところの方が少なく、 よしあったとしても、それにもたれようものなら、 欄干ともろとも川に落ちてしまいそうなシロモノである。

うさぎは怖くて怖くて、「怖いよー!!」と大きな声を出した。 声を出したら、ちょっと気が紛れて恐怖が和らいだような気がした。 それで、ずっと「怖いよー、怖いよぉー!」と大声で叫びながら歩くことにした。

「エクスキューズミー?」 突然、誰かがそう言って追い抜いていった。
うさぎは思わずゾッとした。
この狭い桟橋の上ですれ違うだなんて!!
もし体が触れでもしたら、そのはずみで川に落ちるかもしれない。

一瞬の恐怖が去ると、今度はものすごい恥かしさが襲ってきた。
わけの分からない言葉で叫びながら桟橋を歩く外国人‥。
端から見たら、相当不気味な存在に違いない。

すれ違ったのは若い母親で、その後ろを4歳くらいの小さな坊やがついていった。 その坊やがうさぎを振り返ったときに見せた怪訝な眼差しを見たら、 顔がカーッと熱くなった。 後ろから来た人が踏み鳴らす横板のきしみにも気付かないほどに、 もしかしたら後ろからかけられた声に気付かぬほどに、 大声で叫んでいたのかと思ったら‥。

つづく