2003年8月14日 ブルネイ旅行記(その26)

【 ブルネイ旅行記26 最後の朝食 】

ついにエンパイアで取る最後の朝食がやってきた。
「料理が売り切れないうちに、早めにアトリウムカフェに行こうね」 と昨夜から計画していたのに、 どうやら今日は週末とあって、他の客の出足も早かったらしい、 8時すぎにアトリウムカフェについたときにはすでに、料理のコンテナはすっからかんだった。

がっかりする子どもたち。 でも4日目ともなると、だいぶここでの要領も分かってきていて、 どうしても食べたいものがあれば、作ってもらうことができると知っている。 たかが4日、されど4日だ。

アンディが、何時にここを発つのかと訊いてきた。
彼はうさぎたちが今日発つことを覚えていたのだ。 ブルネイに来た日の夜、ここに4日間滞在すると、一度言ったっきりなのに。
でも、きっと彼は覚えているだろうとは思っていた。 イマーンなどは毎日プールサイドで会うたびに、「いつまでいるの?」と聞いてきたけれど、 アンディはきっと覚えているに違いない、と。

いつもはあまりおしゃべりでない彼が、今日はちょっと人懐こく、 仕事をひとつ終えてはうさぎたちの脇にやってきて、 また一仕事しにいっては帰ってくるといったふうに、 なんとなく物言いたげな風情で、側にいた。

そういえば、毎日ここで彼と顔をあわせていたのに、彼がどこの国の人かも尋ねていなかった。 うさぎはそれに気付き、彼に初めてそれを尋ねた。
彼は、インドネシア人であること、 出身はボロブドール遺跡のそばのジョグジャカルタです、と教えてくれた。 エンパイアに勤務する前はビンタンのリゾートにいたらしく、 そこからエンパイアに移ってきたのだそうだ。
「ブルネイの観光の歴史は浅く、ブルネイ人は観光業について何も知りません。 だからここにインドネシア人、フィリピン人、タイ人など、観光業に精通した国の スタッフが集められたのです」と彼は言った。 彼によれば、エンパイアに限らず、ブルネイは全体的に外国籍の労働者が多いそうで、 その数は20数万人に上るという。 それが本当なら、ブルネイの人口は35万人程度だから、すごい比率だ。 3人に1人以上が外国人労働者という勘定になる。

ブルネイは治安がよく、働くにはとても良い環境だと彼は言った。物価も安い。
「ジャカルタで一箱○○ルピアもするペプシがここでは△ドルだもの‥」と言われても、 うさぎにはどっちが高いのやら安いのやら、よく分からないけれど、 金持ちの国だから物価が高いと思いきや、案外安いと思ったのはうさぎも同じだ。

ただ、ブルネイは住宅事情が悪い。 家ばかりは非常に高いので、 それでブルネイ人は一つの家に一族郎党で住まざるをえないのだ、彼は言った。
「だから、とてもじゃないけれど、 ここに家族を呼んで永住することは考えられないのです」と。 そういえばティニも、たくさんの甥っ子や姪っ子と共に、カンポンアイールに住んでいた。 それはこの国の暮らしのスタイルなのだと思っていたけれど、 アンディの言うような、経済上の問題でもあるのかもしれない。

アンディがしばらく話し込んで、また仕事をしに行ってしまうと、 こんどはデニスがやってきて、「いつ日本に帰るのか」と尋ねた。 デニスには出発の日を話してなかったな、と思い、 「今日のお昼過ぎよ」と言うと、 彼はすでに知っていたようで、驚いた風もなく「そう、寂しいな」とつぶやいた。

「ブルネイはホントに平和で働きやすい国だよ」とデニスは言った。 「日本にも行きたいけど、怖くって」
「エッ、どうして?!」 うさぎはびっくりして思わず尋ねた。 マニラ育ちに「日本は怖い」と言われては‥。

彼はちょっと決まり悪そうな顔になって、 「あ、これはただ友達に聞いただけなんだけどね‥」と切り出した。 「日本で働くと、元締めにこっぴどくやられるんだってさ」
うさぎはなんだか申し訳ないような気持ちになった。 さもありなん、 フィリピーノの上前をはねる悪質なヤクザの存在なんて、いかにもありそうな話だ。
がっかりが顔に出たうさぎを見て、デニスは付け加えた。
「あ、でも観光で行くには日本はいい国だよね! いつかきっと日本には行ってみたいと思ってるんだ」

「‥ところで、日本までの航空券って、いくら?」

うさぎは思わず吹き出した。 ブルネイで航空券の価格を聞かれたのはこれで2度目だ。
「ブルネイドルで100ドルはしないと思うわ」と答えると、彼は頭の中でそろばんを はじきはじめたらしく、しばらくして言った。
「ふーん、往復でその値段なら悪くはないな」と。

皆が食事を終えたので、さあ、そろそろ最後の魚のえさやりに行こうかと思い、 アンディの姿を探した。 すると、彼はちょうどこっちにやってくるところで、 その手にはちゃんと、パンの包みが握られていた。

つづく