2004年2月24日 また誕生日がやってくる

3月15日はうさぎのお誕生日。 そして、この「いつものきりんとうさぎ」の立ち上げ日。 1年前の3月15日、40歳という区切りの歳を何らかの出発点にしたいと思い立ち、 半ば衝動的にこのサイトを立ち上げました。 とにかく、毎日文章を書こう、と。 毎日毎日生活のなかで思うこと、書き留めなければ消えていってしまう思いを、 書き留めておこう、と思って。

そしてそろそろ一年。 まがりなりにも書き続けられたことには満足しています。 モノを書く経験値は、この一年で確実に上がった。 よかった、よかった、エライ、エライ。自分を褒めてあげたい。

でも最近、どうも何かが違うような‥。 自分の思うがままに言葉を綴っていないような、 どうも人の目を意識しすぎているような‥。

人の目を意識して書くというのは、とても大事なこと。 言葉というのは他人に何かを伝えるツールなわけで、伝わらなくては意味がないから。 だけどわたしは、人の目を意識するあまりに捨ててきたものが、多すぎる。 いろんな意味で「差障りのありそうな記事」はすぐにボツにしてしまって。

まず政治とか宗教など、イデオロギー方面、 それに、一部の人にしか意味の分からないような、あまりにマニアックな話題などは、 書かないうちにボツ。

いざ書きはじめても、 「う。これは人の微妙な心理に触れて、カチンとくる人がいるやも」と思うとボツ。 「この話題はあまりに固すぎてウケそうにないぞ」と思うとボツ。 「あまりにサイトのイメージからかけはなれている」と思うとボツ。

また、まだ自分のなかでも混沌としていて結論の出ない意識や、 ほんの2、3行で事足りる些細な話題も、文章の体裁が保てないという理由でボツ。

最初は第三者の目を意識せず、気軽に始めたのに、 いつの間にやら「自己表現」という言葉ではきれい過ぎる、 どこか「自己プロパガンダ」みたいになってしまっている。 サイト立ち上げ当初のように楽しく気軽に書けず、 どこか気負って構えている自分がいる。

今こうしてつらつらと書いていても、 頭の隅で「どうせ書いてもこれもまたボツだな」と考えている自分がいる。 面白い話ではないし、普遍的な話題でもない。 おまけに混沌としていてまとまらないし、結論も出そうにないし。 本当は日記なんだから、「今日のところはこんなふうな気がしてマス」 でもいいはずなのだけれど、起承があって転結がなくたって構わないはずなのだけれど。

こういう様々な気負いを感じるのは、 自分の中に「お山の大将」的な意識があるからかもしれない。 「数ある日記サイトのうちの一つ」と思えば 「one of them」の意識でもっと気軽に書けるものを、 旅行サイトの看板を引き継いでしまっていて、それで妙に気負っているのかも。 それはちょうど「親の七光り」のようなもので、 苦労せずとも最初からたくさんの人に読んでもらえた。 それはラッキーな反面、重いプレッシャーでもあって、 その多いアクセス数も、1から積み上げてきたものではないだけに、 自分自身、慣れることができない。

あともう2週間半で誕生日。 昨年の誕生日に、このサイトを立ち上げてよかったと思う。 でも、だからこそ、今年の誕生日はまた去年とは違った出発点にしたい。 古い歳のままで、新しい歳を始めたくない。
――だから今、ちょっと焦っているのです。