3月15日はうさぎのお誕生日。 そして、この「いつものきりんとうさぎ」の立ち上げ日。 1年前の3月15日、40歳という区切りの歳を何らかの出発点にしたいと思い立ち、 半ば衝動的にこのサイトを立ち上げました。 とにかく、毎日文章を書こう、と。 毎日毎日生活のなかで思うこと、書き留めなければ消えていってしまう思いを、 書き留めておこう、と思って。
そしてそろそろ一年。 まがりなりにも書き続けられたことには満足しています。 モノを書く経験値は、この一年で確実に上がった。 よかった、よかった、エライ、エライ。自分を褒めてあげたい。
でも最近、どうも何かが違うような‥。 自分の思うがままに言葉を綴っていないような、 どうも人の目を意識しすぎているような‥。
人の目を意識して書くというのは、とても大事なこと。 言葉というのは他人に何かを伝えるツールなわけで、伝わらなくては意味がないから。 だけどわたしは、人の目を意識するあまりに捨ててきたものが、多すぎる。 いろんな意味で「差障りのありそうな記事」はすぐにボツにしてしまって。
まず政治とか宗教など、イデオロギー方面、 それに、一部の人にしか意味の分からないような、あまりにマニアックな話題などは、 書かないうちにボツ。
いざ書きはじめても、 「う。これは人の微妙な心理に触れて、カチンとくる人がいるやも」と思うとボツ。 「この話題はあまりに固すぎてウケそうにないぞ」と思うとボツ。 「あまりにサイトのイメージからかけはなれている」と思うとボツ。
また、まだ自分のなかでも混沌としていて結論の出ない意識や、 ほんの2、3行で事足りる些細な話題も、文章の体裁が保てないという理由でボツ。
最初は第三者の目を意識せず、気軽に始めたのに、 いつの間にやら「自己表現」という言葉ではきれい過ぎる、 どこか「自己プロパガンダ」みたいになってしまっている。 サイト立ち上げ当初のように楽しく気軽に書けず、 どこか気負って構えている自分がいる。
今こうしてつらつらと書いていても、 頭の隅で「どうせ書いてもこれもまたボツだな」と考えている自分がいる。 面白い話ではないし、普遍的な話題でもない。 おまけに混沌としていてまとまらないし、結論も出そうにないし。 本当は日記なんだから、「今日のところはこんなふうな気がしてマス」 でもいいはずなのだけれど、起承があって転結がなくたって構わないはずなのだけれど。
こういう様々な気負いを感じるのは、 自分の中に「お山の大将」的な意識があるからかもしれない。 「数ある日記サイトのうちの一つ」と思えば 「one of them」の意識でもっと気軽に書けるものを、 旅行サイトの看板を引き継いでしまっていて、それで妙に気負っているのかも。 それはちょうど「親の七光り」のようなもので、 苦労せずとも最初からたくさんの人に読んでもらえた。 それはラッキーな反面、重いプレッシャーでもあって、 その多いアクセス数も、1から積み上げてきたものではないだけに、 自分自身、慣れることができない。
あともう2週間半で誕生日。
昨年の誕生日に、このサイトを立ち上げてよかったと思う。
でも、だからこそ、今年の誕生日はまた去年とは違った出発点にしたい。
古い歳のままで、新しい歳を始めたくない。
――だから今、ちょっと焦っているのです。