横浜はもう春です。 沈丁花が強い香りを放っています。 本当にいい香り。 姿形よりも、その香りを写真に撮りたいくらい。
同じ沈丁花科の三椏(みつまた)の花も咲き揃いました。 沈丁花のような強い香りはないものの、明るい黄色が青空に映えてとてもきれいです。
右の写真はその三椏の花。 辺りに黄色のオーラを放っていますね。
うふふ‥、実はこれ、オーラでも何でもない。 背後に別の房があって、それがボケたものです。 トリック写真もどきですね。
ふと思ったのですが、心霊写真って、デジカメでも撮れるんでしょうか。 デジカメと銀塩の差はどんどん縮まってきていますが、 ユーレイだけはデジカメには写らないんじゃないかなあ?? デジカメに写ってしまうなんて、そんなユーレイ、マヌケすぎる気がするし。 デジカメの普及で、この先、ユーレイの出番も減ってきそうですね。 それとも、強い怨念はデジタルメモリにも焼きつくのかしら〜?
‥レタッチかけたら呪われたりして(怖)。
どなたか日光の華厳の滝あたりにデジカメを持って行って試してみてください。
◆◆◆
【 バリ旅行記21 様々な出会い 】
「チェックアウトした後でも、困ったことがあったらいつでもわたしにお言いなさい。 チェックアウト後もプールで泳いで構わないし、 足が欲しければ、車を出してあげる。 おなかが空いたら、失恋したら、赤ん坊が泣いたら。 困ったときはいつでもビッグコマンのところにいらっしゃい」 アラムジワをチェックアウトする際、ビッグコマンはそう言って笑った。
そしてその言葉は本当だった。
次の宿に向かう夕刻までまだ時間があったので、
「すみません、車を呼んでくださらない? アルマへ行きたいの」
とフロントで頼むと、
驚いたことに、それを聞いていたビッグコマンがついと立ち上がって、車を取りにいき、
自らアルマ美術館へと送ってくれたのだ。
「帰りも迎えにくるから、電話するように」というありがたい申し出を断り、 うさぎは「道も分かったから、帰りは自分の足で歩いて帰る」と告げた。 車は便利だけれど、自分の足で歩かないと分からないこと、出会えないものもある。 それでもビッグコマンは「電話しなさい。迎えに来るから」と何度も繰り返した。
美術館でダギング先生の絵を探して見学し、
そのあと広い敷地内を、何か面白いものはないかとウロウロしていると、
「そっちの方にはもう何もないですよ」と警備員が話し掛けてきた。
「ありがとう。この辺からココカンに抜けられないかな、と思って」とうさぎ。
ココカンはアグンライ美術館と同じオーナーが経営するホテルである。
アラムジワやアラムプリが取れなかったらそこにしようと思っていた。
「ココカンにはここからは行かれませんよ。
それより、コーヒーは飲みましたか?
チケットにコーヒーの無料券がついているでしょう?」
「そうだったわね。ところで、コーヒーってホット? アイスもあるかしら?」
「いや、ホットだけ」
この暑いバリで、ホットコーヒーを飲みたい気はしない。
そこでうさぎは言った。
「それは残念。熱いものは苦手なの。
それにあんまり時間もないし。‥いま何時?」
「‥ええと、4時15分」
「ならもう行かなくちゃ。ありがと」
――ありがとう、話し掛けてくれて。
もしかしたら本当は、それほどココカンに行きたかったわけじゃないのかもしれない。
きっと、どこへ行くのでも、何をするのでもいいのだ。
こういうちょっとした会話、出会いさえあれば。
思えばアラムジワでの4日間は、出会いの連続だった。 クリンティング、ダギング両氏との出会い、ビッグコマンとの出会い、 他のスタッフたちとの出会い、 そしてアラムジワに泊っている他のゲストたちとの出会い。
アラムジワで出会ったゲストの半数は、日本人だった。 バリは10年ぶりで二度目だという単身の男性、 長期の休みはいつもバリで過ごすという3人の子連れの母親、 バリは初めてという海外赴任中の家族連れ‥。
「どちらでアラムジワのことをお知りになられました?」
「ネットでね。チェックインバリですよ」
「ああー、やっぱり? わたしもです」
「予約はいつ頃なさいました?」
「7月のはじめ頃でしょうか」
「そうですか。わたしはもっとあとでした」
「よく部屋に空きがありましたね」
「ええ、本当に。最後の一部屋だったようです」‥
こうしたたあいのない話をよく交わした。 情報交換というほどのものではないし、 話をしたから何かいいことがあるわけでも、 話をしなかったからといって何ら不都合があるわけでもない。 けれどそこには、同じホテルを選んで泊った連帯感があった。 アラムジワというのは、そういうホテルなのかもしれない。
さて、アグン・ライ美術館からアラムジワへ帰らなくては。
車で5分の距離は、歩くと15分かかる。
大きく曲がりくねった道の端を歩いていると、
その脇を、車が次々と土埃を立てて走っていった。
葬式に使う牛形のハリボテ、建築途中の建物。 川で洗濯をする女たち、その脇で水浴びにはしゃぐ子供たち。 行きはアッという間に通り過ぎた場所を、 帰りは自分の速度でゆっくりじっくり見ながら通り過ぎる。
アトリエの前を通りかかった。
どんな絵が置いてあるのだろう?
‥トラディショナルスタイルだ!
うさぎは思わず足の向きを変え、店に入っていった。 本当はそろそろ時間がおしているので、寄っているヒマはないのだけれど。
そこは不思議なアトリエだった。 道路に沿って長い部屋が真ん中で真っ二つに分かれていて、 一方にプンゴセカンスタイル、 もう一方にトラディショナルスタイルの絵が所狭しと飾られているのだ。
その絵に囲まれ、絵を描いている男が一人。
「こんにちは。これ全部、あなたが描いたの?」と声をかけると、
彼は白い歯を見せて愛想良く笑った。
「いいや、こっちのプンゴセカンスタイルの絵は弟のなんだ。
トラディショナルスタイルが僕の絵だよ。
弟は今出かけているけど」
なるほど、兄弟で画家をやっているというわけだ。
「どこから来たの? 日本?」
「そうよ、日本よ」うさぎがそう答えると、彼はパッと顔を輝かした。
「僕、日本には友達がたくさんいるんだよ。あ、ちょっと待って」
彼は店の倉庫に何かを探しに行き、それを手にして戻ってきた。
それはアドレス帳だった。
欧米人の名前に混じって、日本人の名前がたくさん書き連ねてある。
「日本のどこから来たの? え? ヨコハマ?
えーとえーと、ヨコハマから来た人もいるよ。
ほら、この人、知ってる?」
うさぎは笑った。
「うーん、残念ながら知らないわ。
横浜の人口はものすごく多いんですもの。たぶん、デンパサールよりも」
「そうかー。あ、ちょっと待って」
彼はまた倉庫に何かを探しにいった。
「ほらこれ、僕が描いたんだよ」
それはミュージックCDだった。
「日本の友達がこれを出したんだ。この絵を描いたのは僕だよ。
ほら、ここに僕の名前が書いてあるだろ?」
彼は誇らしげに言った。
「ほんとだ。すごいわ! ‥実はね、わたしもバリ絵画を習っているのよ。
ダギング先生に」
「へえ〜! そうかい! あ、ちょっと待って」
彼はまたまた倉庫に何かを探しに行って戻ってきた。
「僕も、日本人に絵を教えたことがあるんだよ。ほら、これが僕の生徒の絵」
「へえ〜、上手ねー」
彼と話していると、いつまで経ってもアラムジワに帰れそうにない。
お名残惜しいけれど、
彼がまた新しい何かを倉庫に探しに行かないうちに、そろそろ帰らないと。
「どうもありがと。今日はもうウブドを離れるけれど、
またバリに来たときに寄るわね」
そう言ってうさぎは、アラムジワに帰る道をまた歩き出した。
アラムジワに帰り着くと、待っていたのはビッグコマンの呆れ顔だった。
「本当に歩いて帰ってくるとは。
電話すれば迎えに行くと、あれほど言ったのに」
それはまるで、娘を叱る父親のような顔つきだった。