2004年7月5日 二谷友里恵と郷ひろみ

黄バラ

菜々子ちゃんへ

先日はどうも、長電話で失礼いたしました。 でもとっても楽しかったわ。どうもありがとう。

ところで、二谷友里恵の「 」、早速図書館で借りて読みました。
「あれは育児書として読める」というあなたの見解には、最初、ほんまかいなと思ったけれど、 仰るとおり、やっぱり育児書だったわ。 なんかもう、感動してしまった。 そのきっちりとした子育てに。 すごい気合が入っているわよね。 この本を子供が小さい頃に読んでいたら、影響受けてもっと真面目に子育てしてたかも。 今となっては後の祭りだけど(涙)。

あとねえ、なんだかんだいっても「郷ひろみの悪口がいっぱい書いてあるんだろうなあ」 と思ってたんだけど、違った〜! 彼女が糾弾したいのは、別れた夫じゃなくて、マスコミや周囲の社会よね。 まさに社会への挑戦状。 その勇気が爽快でした。

で、郷ひろみについてなんだけど、わたし、あの本を読んで、 「なんて魅力的な人だろう」と思ってしまった^^;。

断っておくけど、わたし、子供の頃から郷ひろみって大ッキライなの。 どこが嫌いって、まず顔がキライ、声がキライ。 郷ひろみが出てきたら、即テレビ消しちゃうぐらいキライ。 なんで人気があるんだか全然分からないし、 大好きな聖子ちゃんが婚約したときなんて、もうどうしていいか分からなかった。 聖子ちゃんがこっぴどく振って、かんだまと結婚したときほど気分がよかったことってないわ。 あ、ちなみに神田正輝は許せるの。 許せるどころか、偏差値でいうと60ぐらい、いや、62ぐらいかな。 とにかく、マイアイドル聖子ちゃんの結婚相手として、全然オッケーってカンジ? 郷ひろみは最低の25でも惜しいくらいだった。

ところがその25以下の偏差値が、「楯」を読んだあとには、32ぐらいにあがりましたね。 本を読みながらつい顔とか声を想像しちゃうから分が悪いんだけど、 努めて想像しないようにして読むと、32どころか、非常に魅力的だなあ、と思う。 人気があるのも分かるような気がしてきた。

そりゃあね、夫としてはとんでもないヤツよね。 思いやりに欠けるわ、浮気はするわ‥。 そういうことを赤裸々に書いてあるという点では、あれはやっぱり郷ひろみの悪口なのかもしれない。

でも、あの本からわたしが受けた印象は、 郷ひろみという人間が「いかに夫としてしょうもない人間か」ではなく、 「いかにスターとして魅力的な人間か」でした。 妻が隣で死にそうになっていても次の日の予定を優先させるという割り切りも、 "英雄色を好む"を地でいくところもひっくるめてね。 特に、いつも誰かをびっくりさせようと (たとえそれがはた迷惑だったとしても)いろんな仕掛けを思いついては実行する あたりなんかはもう、本当に魅力的よねえ。 ああこの人、根っからスターなんだなあ、と納得してしまった。

とにかくとても面白かったわ。ウィットがあって、文章も上手よね。 ただ惜しむらくは、最後、再婚するくだりのあたり。 突然歯切れが悪くなるのね。 最初のほうで、週刊誌に不倫と書きたてられたがそれは根も葉もないでっちあげ云々‥と書いてしまったのと、 離婚後、誰の助けもなく孤立無援の中で一人頑張ってきたかのように書いてしまったから バツが悪いのかもしれないけれど、いきなり最後のほうでトーンダウンしたのにはちょっぴりがっかりかな。

でもとにかく「 」を読んだらすっかり満足してしまい、 郷ひろみの「 ダディ 」も併せて借りてきてたんだけど、もう読まなくてもいいや、って思ったの。 「こういうのは双方の言い分を読まなければ」とこの間の電話ではエラソーにあなたには説教を垂れましたが。

でもしばらくして、やっぱり読むことにしました。 言い分がどうの‥というのはさておき、 その辺に散らかっていたからなんとなくページをめくってしまっただけなんだけど。

でもそしたら、読んでビックリ!
――なんでかって?
こっちも育児書だったからなのよ〜!

いやはや、この二人、夫婦して真面目に子育てに取り組んでいたのねー。 子供の運動会の前には毎朝6時起きで子供と一緒に公園を走っちゃうとか、 寝る前に本を読んでやれない日のために、テープに吹き込んで渡したりとか。 うーん、すごいっ! まさに文武両道、子育ての王道だわ。ダディ、カッコい〜っ!

あと驚いたのはね、あまりに「楯」と似ていることです。 いや、「ダディ」のほうが先に書かれたのだから、「楯」が「ダディ」に似ているというべきだろうか?? 育児書であるという点だけでなく、出てくる場面やエピソードが異常なまでにダブっているの。 しかも、二人の間に事実関係の食い違いが全く見られない。 ふつう、二人の人間に同じ場面を書かせたら、
「こう言った」
「いや言わない」
のような、細かい部分で食い違いが出そうなものだと思うけど、それが全くない。 つまり、「楯」は「ダディ」に出てくる場面が事実であるということを、ひたすら裏付けているのよ。

確かに、「"ダディ"で彼はこう考えているようだけれど、私の心情は実際はこうで‥」と、 「楯」に書いてある部分もあるのだけれど、 第三者から見ればどこがどう違うのかよく分からない程度の違いでありまして^^;。 二人とも、「自分はこうで相手はこう」と考え方の違いを述べてはいるのだけれど、 わたしから見ると、「なんて似たもの同士なんだろう」というかんじ?? 価値観や怒り、喜びといった感情のツボがほとんど同じに見える。 でもそれって珍しいことなんじゃあないかなあ?

たとえばね、この十数年を振り返って、夫とわたしが別々に自分の思いを書き連ねてみるとする。 そしたら、印象に残った場面も、子供の教育方針も、何から何まで違ったことを書くと思うの。 たぶん、何に喜び、何に憤ったか、まるで違うと思う。 ダブる場面がたまたまあったとしても、おそらくそれを見る視点は違うだろうし、 違って当たり前のような気もする。

ところが、郷ひろみと二谷友里恵、この夫婦は、同じものを見たらほぼ同じことを思うのよ。 相手がひどい目に合ったら一緒になって憤るし、相手の成功は一緒になって喜ぶ。 子供をどう育てたいかに関しても、見事なまでに息が合っていて、本当に羨ましいくらい。 性格は異なっているけれど、お互いにお互いをすごく認め合っていて、尊敬もしている。 相手の性格や、自分との違いをお互いに面白がっているのが分かる。 「楯」で郷ひろみが図らずも魅力的に書けてしまっているのがその証拠。 「ダディ」に出てくる二谷友里恵も負けず劣らず魅力的です。 郷ひろみは自分の恐妻家ぶりを綴っていますが、怖がることを楽しんでもいる。 最初のうちは「一点のシミ一つない友里恵」などという大げさなセリフを皮肉かと思いましたが、 読み進めるうちに、これは本気でそう思っているんじゃないかなあ、と思えてきた。 たぶん、二谷友里恵は本当にそんな感じの人なんじゃあないかな。 「楯」を読んだときにも感じたけれど、凛とした白百合のような。

「楯」は郷ひろみ賛歌だし、「ダディ」は二谷友里恵賛歌(?)。 離婚を機会に書かれたにも関わらず、どちらも理想の家族像、我が家自慢、我が家賛歌のような気がする。 二人とも、相手の存在によって困った、困った、と書きつつ、その目がどこか笑っているようで、 わたしにはノロケにしか読めないわ。 こんなに息がピッタリ合った二人が一体どうして離婚しなくちゃならなかったのか、不思議でしょうがない。 浮気しても見て見ぬフリして欲しい夫と、見過ごせない妻。 相違点が一つしかないから、逆にその一点の違いが許せなかったのかなあ?? それとも、赤裸々といいつつ、やっぱりどこか美化して書いているのかなあ?? うーん、なんにせよ、こんないい夫婦が離婚するなんて、勿体ない。 二人ともすでに他の人と再婚しているようですが、 突然、別れて元のさやに戻ったとしても、わたしは全然驚かないわ。

とにかくわたしは、離婚した夫婦がそれぞれの視点でこの一つの「離婚」というドラマを綴るという 滅多にないシチュエーションに興味を惹かれ、 同じドラマを妻と夫という逆の視点から見たらどうなるのか、そこに期待して2冊読んだのだけれどね、 図らずも、協奏曲を聞いてしまった気分ですわ。

でも、ほんとに面白かった! 「 」を薦めてくださってどうもありがとう。 もしお時間がおありでしたら、そのうち「 ダディ 」も読んでみてください。

うさぎ