飛行機を降りると、そこはブルネイだった。
ボーディングブリッジを抜けるとまず目に入ったのは、
黒い行き先案内板にくっきり書かれた黄色いアラビア文字。
早速のブルネイらしさに、うさぎはもう大喜び!
以前に訪れたマレーシアも、同じマレー人の住む回教国だけれど、
公的な文字表記はすべてアルファベットだった。
けれどここではまずアラビア文字。その下に英語が書かれている。
荷物を預けなかったので、すぐに出口へ。
一国の玄関口にしてはこじんまりとした空港の広さが、この国の小ささを物語っている。
つい2時間前まで立っていた東南アジア随一のハブ、チャンギ空港とはえらい規模の差だ。
税関・検疫もいたってのどか。
審査官のおじさんたちはニコニコしている。
その様子に気を許し、
「行き先案内板の写真を撮っても構いませんか? アラビア文字が珍しくて」と尋ねると、
「どうぞどうぞ」というジェスチャーが返ってきた。
出口脇の両替所で日本円をブルネイドルに両替して空港を出ると、そこは熱帯。
ムアッとした熱気に包まれた。
この熱気の中に長く待たされてはたまらない。
すぐに車に乗れればよいが、とすばやくタクシーを探す。
と、いた。出迎えの人々の向こうに、タクシーが待機しているのが見えた。
だけどその数、たったの2台!
他にはいないのか、と探してみたけれど、これで全部らしい。
‥まあいい。とにかくここは暑くてかなわない。早く車に乗ってしまいたい。
そう思って、早速一台の運転手さんに声をかけた。
「エンパイアホテルまでいかほど?」と。
すると、運転手さんの答えは「35ドル」。
35ドル!
うさぎはその金額にたじろいだ。
ブルネイドルはシンガポールドルと等価。
シンガポールを経由してきた身には、すでにこの通貨の金銭感覚が身についている。
そして、タクシー料金もシンガポールと同程度と想定し、
交渉に持ち込む場合は10ドル、15ドルあたりが落としどころか、
という腹づもりをしてきたのだ。
それがいきなり35ドルとこられては――。
気をとりなおして「もうちょっと安くならない?」とお願いするも、
「これは定価です」と言われてしまった。
うさぎは目だけ動かし、もう一台のタクシーの運転手を密かに探した。
――でも残念、どうも見当たらない。
車はあるのに、運転手がいないとはこれ如何に。
お互い商売の邪魔にならぬよう、二台目の運転手はどこかに隠れて待つという協定でも
あるのかもしれない。
‥仕方がない、他に選択肢はない以上、
この運転手さんの言うところの"定価"を呑むしかあるまい。
うさぎは仕方なく「OK」と言ってほかの3人共々、車に乗り込んだ。
さあ、タクシーはエンパイアを目指して走り出した。
空港から35ドルもかかるのだ。
さぞかしエンパイアは遠いのだろうと思い、
「エンパイアまでどれくらい?」と運転手のおじさんに尋ねると、
「15分くらい」という答えが返ってきた。
うーむ、15分の走行で2500円もかかるってのは、日本のタクシー並だぞ。
運転手は、ひょろりとした体型の、そこそこ愛想の良いおじさんだった。
「ハリラヤおめでとう。今日は王宮オープンハウスの最終日でしょう?
だからわたしたちはこれから王宮に行くの。あなたも王様に会ったことある?」
と尋ねると、
「あるよ」。
そして、「王宮へ行くなら連れてってあげようか?」とすかさず営業に出てきた。
「そうねえ、いくらで行ってくれる?」と尋ねると、60ドルだという。
「60ドル!」うさぎは思わず声を上げた。どうせこれも"定価"なんだろう。
うさぎは価格交渉するのを最初から諦めて言った。
「それはちょっと高いかも~?
‥まあ、ホテルに着いたらチェックインもしなくちゃならないし、またあとで考えることにするわ」。
するとおじさん、
「チェックインするのも、部屋でしたくするのも、待っててあげるよ」と言う。
「そう? ありがと」とうさぎ。「でも、また別の機会にお願いするわ」
我ながら、なかなか上手い表現を思いついたものだと思いつつ。
だって、いくらなんでも60ドルも出せば、
ホテルでタクシーを呼んでもらっても行かれそうだもの。断わるに限る。
車は空港を出てしばらく幹線道路を走り、
また別の幹線道路に入ってしばらく海沿いを走った。
「おじさんの家はどこ? ここから遠い?」とうさぎが尋ねると、
「ああ遠いよ。"TUTONG"というところだ」。
けれどおじさんがそう答えてしばらくすると、
道の端に「TUTONGまで40キロ」いう行き先表示が目に入った。
「ああ、おじさんの家、この先なのね」とうさぎ。
車を運転する人が、40キロを"遠い"と表現するとはね。やはり小さな国なのね。
海沿いの道をしばらく走ると、遠くの方にエンパイアらしき建物が見えてきた。 それはしばらくすると見えなくなってしまったが、車がわき道に逸れたと思ったら そこはすでにエンパイアの敷地内で、車はぐるりと弧を描くと、 門番のいるゲートをくぐりぬけた。 幹線道路からするりと入れるその動線といい、そこに広がる広い空間といい、 さすがは王様の所有するホテル、エンパイアだ。
金色がそこかしこにきらめく車寄せに到着すると、 数名のスタッフがバラバラと走り寄ってきた。 なにやら巨大な、金色の鳥かごのようなものを引きずって。
タクシーから降りがけに時計を見ると、12時8分。 空港を出たのが12時ちょうどだったから、8分でエンパイアに到着したことになる。
あーあ、たった8分で35ドルとは‥。
うさぎはそう思いつつも、1ドルのチップを上乗せして、運転手のおじさんに支払った。
だって仮にも王様のホテル"ジ・エンパイア"に泊る客がチップを惜しむわけには‥
ねーえ? ‥いくものですか!