子どもの頃から、オリエンテーリングが好きだった。 地図とコンパスを持って、野山に設けられたポストポイントを探して歩く。 ポストが1つや2つ見つからなくても大筋道が合ってさえいれば、気にせず前に進む人もいるが、 うさぎはすべてのポストを順番に、きっちり制覇しなくては気がすまない性分で、 道を引き返してでもポストが見つかるまで探し回ったものだった。
だから蘇州に世界遺産が8箇所あると知ったとき、まずオリエンテーリングが頭に浮かんだ。 半径2キロくらいのエリアに、ポストが8つ。 理想的だ! 世界遺産に指定された江南庭園を見て回る楽しみは、庭園自体への興味が半分、 そこにたどり着くまでのオリエンテーリングが半分。 道に迷っても構わない。 蘇州での滞在は4日半。時間はたっぷりある。 ルールは、自分の力で探し出すこと。 行き先さえ告げれば目的地に連れて行ってくれるタクシーや輪タクを使うのはルール違反だ。
案の定、しょっぱなから迷子になった。 蘇州滞在の一日目、まずは手始めに宿から比較的近い『獅子林』に向かったのだが、 平江路を出たところで早速道が分からなくなったのだ。 地図の読み方がいい加減だったせいで、現在位置が勘違いしたまま動いたのがその敗因。 現在位置が曖昧なまま歩くと、確実に迷子になる。
第一の教訓 : まずは現在位置をしっかり確認せよ。
迷子の立て直し方は、名前のついている大通りに出て、ランドマークを探し、 現在位置を確認し直すことだ。 よし、今度こそ迷わないぞ。
だが、落とし穴はまだあった。 獅子林のすぐそばまでやってきたところに、 それらしき門を発見! ただしそこは出口のようで、そこからは入れないらしい。 そこで入り口を探し、1ブロックをぐるりと一周。 果たして、入り口が見つかりはしたが、 門をくぐろうとすると、門番に呼び止められた。、 なんとそれは、『獅子林』ならぬ『獅子苑』という名の高級コンドミニアムの門だったのだ。 切符売り場に見えた門の脇の小屋は、門番たちの詰め所。 親切な門番に正しい位置を教えてもらい、やっと本物の世界遺産にたどり着いた。
第二の教訓 : 似た名前に惑わされるな。
蘇州には、門番を何人も抱える高級コンドミニアムがそここちらにある。 特に、世界遺産の周辺には、その名を誇らしげに冠したコンドミニアムが多い。 丸々ワンブロック占有するほど敷地は広いし、 いかにも由緒ありそうな中華風の門の脇に 江南園林特有の太湖石を配してあったりして、 その威風堂々ぶりが、世界遺産っぽい。 ――いやむしろ、世界遺産よりも立派で、どっちにしろ紛らわしい。
ニセのポストまで用意されているとは、いやはや、このオリエンテーリングは奥が深い。 獅子林は、園林の中まで迷路だったこともあり、結局この日訪れたのは獅子林のみだった。 だが、滞在一日目にして、われらは最強の武器を手に入れた。 バスに乗る術を体得したのである。
実はうさぎは、旅行のわずか一週間前、足の脛に肉離れを起こし、 今なお包帯グルグル巻き状態のまま、このオリエンテーリングを行っていた。 その足で、新幹線の切符を買おうと、獅子林から蘇州駅まで歩いた2キロの道のりは長かった。 これではたまらないと、帰りはバスに乗ることにしたのだ。 蘇州のバス網は非常に発達しており、駅前から乗れるものだけで何十種類もある。 その中から、 宿から近い『観前街』と『双塔』が停留所名となって並ぶ路線を選んで乗ってみたら これが正解で、宿から5分ほどの最寄の停留所に止まるバスだった。
ひとたび乗るコツを会得すると、バスは非常に便利だった。 停留所はほぼ400〜500メートルごとにある。 ひっきりなしに様々なバスがやってきて、5分と待たずに乗れる。 運賃は旧市街を走る分には、1〜2元(15円〜30円)。 ただしつり銭が出ないので、小銭くずしに追われるようになった。 よく10元札で1元の水を買い、店に嫌がられた。
毎日新しい発見があった。 翌日は、拙政園で園林の案内図を手にいれ、そこに、各園林にいくバスの系統番号が 書かれていることに気づいた。 その情報を頼りに、翌々日『滄浪亭』にたどり着いた。 どこのバス停で降りるのか、バスを降りてからの歩き方は書かれていなかったので、 バスの窓の外に流れる景色を真剣に眺め、地図と見比べて、位置を確認した。
最初は一元バスと二元バスの区別がつかなかったが、ある日、運転手の脇の天井近くに 支払うべき金額がかかれているのを発見した。 バスの系統番号の前に、雪のマークやアルファベットのKが書かれていることがあり、 得体が知れないので最初は敬遠していたが、ただのエアコン入りの表示で、 これがあるともう1元高くなることも判明した。
一つ一つは、どうってことのない、些細な発見だった。 でも、今まで分からなかったことが分かったときの嬉しさは格別で、 いい年をした大人二人でいちいち大喜びした。 今日得た知識がすぐ翌日の行動に活かせるのが痛快だった。 最初の日は一箇所で終わった園林が、翌日には二箇所、 最終日にはほとんど迷わずに、午前中だけで三箇所回った。 見所が多いと思われる園林から先に回った結果でもあるが、 バスや徒歩で街をさまよっているうちに培った土地勘の成果でもある。 人任せにせず、自分の判断を頼りに道を歩くことで、急速に街と親しくなっていった。
第三の教訓 : 感覚を研ぎ澄ませてよく見、よく聞き、得た経験を次に生かせ。