その店に入ったのは、しごく当然のなりゆきだった。 レストランを探してまずは大通りに出ようと、ホテル前の横丁を歩いていたときだったから。 もう昼すぎだというのにまだ朝食を食べておらず、お腹はペコペコ。 店の外の大きな二つの寸胴鍋はもうもうの湯気を上げていたし、 目にも留まらぬ速さで麺を鍋に削ぎいれる職人の所作にも興味を惹かれた。 しかも。同じ並びのほかの店の閑散さと裏腹に、この店だけが多くの人でにぎわっている。 この店に入らない理由を探すのは、難しいくらいだった。
ところが「ここにしよう」とうさぎが言うと、その庶民的なたたずまいを見て きりんはたじろいだ。 「えっ、ここ? もっとほかの店見てからにしようよ」 きりんがそういうので、うさぎもしかたなくまた大通りに向かって歩き出した。 が、ほんの10メートル歩いたところで、後ろ髪ひかれる思いがし、もう歩を止めた。 「やっぱりあそこがいい。今日はあそこ!」
「えー、えー、本当に? 大通りに出ればもっといい店があると思うよー」 きりんはなおもブツブツ言っている。でもうさぎはもう決めたのだ。 「地元の人でにぎわっているのは、安くて美味しい証拠。そういう店で食べなくてどうするの」
それは小さな町の食堂で、たった6畳ほどの空間に小さなテーブルが3つと配膳台、 さらに麺打ち台までが収まっている。 ただの箱のように見える粗末な椅子に、初老の労働者やら、こぎれいな格好のOLやら、 様々な年恰好のお客が座っている。
「ヂーディー?」 鍋を指さし、覚えたての上海語で値段を尋ねた。 こんな小さな店だから、きっとメニューは一つしかないのだろうと思って。
ところが、というか、案の定、というか、うさぎの即席上海語はまったく通じなかった。 困って、もういちど、店の中を観察してみる。 なんと! 壁にびっしりと、数え切れないくらいのメニューがかかれているではないか! それも値段つきで。 よく見れば、お客が食べているものもみな様々。 汁麺ばかりではない、スパゲッティ様のものを食べている人もいれば、チャーハン様のものも。 一体どうやってたった二つの鍋でこれだけ多彩なメニューをこなすのか分からないけれど。
とにかくメニューを見ながら注文することにした。 ありがたいのは、漢字を知っていることだ。 日本人でよかった。漢字で書かれた名を見れば、おおよそどんな料理か想像がつく。 子どものころやらされた書き取りに感謝し、 うさぎはメニューの左端の一番上にある「牛肉拉面」を注文することにした。 たぶん、牛肉入りのラーメンでしょ? 簡単じゃん!
きりんは慎重にメニューを眺め、「牛肉刀削面。きっとこれだ」と言った。 「刀削面? なにそれ?」とうさぎはいいかけたが、すぐに合点した。 さっき包丁で削がれて鍋の中に落とし込まれていた麺生地、たぶん、あれだ。
さてさて、果たして推理はあっているでしょうか。 テーブルの下から二つ椅子を引っ張り出して 若い女の子二人のテーブルに割り込ませてもらい、 カタコトの英語で世間話をしながら料理を待った。 周囲から聞こえてくる「ありゃサッペンニン(日本人)か?」 「そうらしいな」というひそひそ声がくすぐったい。
幸いにして、二人の漢字力・推理力は本物だったらしい。 うさぎは、俗に蘇州麺と呼ばれる細いラーメンを手に入れ、 きりんは見事、平たく削がれたうどんを手に入れた。
「刀削面」は生地を削いで直接鍋に落とした平麺、 「拉面」は生地を伸ばしては束ね、伸ばしては束ねを繰り返した一本の長い麺で、 形こそ違うが、栄養価的にはどちらも同じもののはずだ。 だが、取り替えっこして食べてみたら、刀削面の美味しいこと!! 割と普通っぽい拉面よりもこっちのほうが気に入った。 削がれた麺は厚みが均一ではないので、トロトロの部分と、歯ごたえのしっかりした部分がある。 そこがいい。
「よし、明日はわたしも『刀削面』にするわ!」と宣言したうさぎに、 きりんはもう驚かなかった。
◆◆◆
その日、夜の8時近くにこの店の前を通りかかると、 まだ店は開いていて、店の人が二人の姿に気づき、あれっ、という顔をした。
翌日の朝、まだ8時前に食べに行くと、 もう店は開いていて、店の人は「やあ、また来たね」と微笑んだ。
毎朝通うと、すっかり顔なじみになった。
蘇州で暮らした5日間、毎朝この店の同じ席で朝食を摂った。 夜は毎晩、同じ時間にこの店の明かりの前を通って宿まで帰った。 毎朝毎晩店は開いていて、麺打ちの若者は朝8時前から麺を打ち始め、夜になってもまだ店にいる。 全身の力をすべて二本の腕に集中させ、朝から晩まで麺を打ち続けていた。
きりんは途中で『牛肉水餃子』に鞍替えしたが、うさぎは毎日刀削面を食べ続けた。 麺の歯ごたえは一口ごとに微妙に違い、汁の味も毎日微妙に違う。 青菜の種類や、あとから足す調味料の加減によって変わるのだ。 匙加減が毎日変わるから、毎日同じものを食べても、飽きることがない。 毎日食べ続けても、毎日美味しい。 毎朝起きると、さて今日のスープはどんな味だろうと想像してワクワクした。
刀削面は大盛りが一杯5元。小盛だと4元。 5元というのは、日本円に直すと約75円。 その5元を稼ぐために、麺打ちの重労働は毎日続いている。 麺をほおばりながら、若者が麺を打つ姿を毎日見続けた。 なんと価値のある5元だろうと思いながら。
蘇州で買い物をするたび、基準となるのは、刀削面の5元だった。 5元より安いか、高いか。 5元の刀削面と比べて、どれだけの満足が得られたか。 日本に持って帰るおみやげだけは、どうしても日本円に換算した価格で考え、 日本の金銭感覚で買ってしまうのだが、 蘇州で消費する食事等に於いては、この5元が一切の基準で、 いつもこの刀削面の5元のような清清しい使い方が出来たら、と思っていた。 現地の価値観から外れた出費をすると、 毎朝あの美味しい麺を5元で提供してくれるお店の人に申し訳ないような気がして、 後ろめたかった。
たぶん、蘇州にはこんな麺の店がたくさんあるのだと思う。 とりたてて変わったところはないけれど、 いつも安くて美味しくて、毎日食べても食べ飽きない、地元の人に愛される食堂が。 そして、実直な働き者がたくさんいる街は、何があっても安泰だと思う。