Essay  うさぎの旅ヒント

【 おみやげ2 】

旅行は楽しい。本当に楽しい。まるで夢のような数日間である。

だから、その夢が覚めるとき、つまり旅行から帰るときは本当にさみしい。 この景色、この空気、胸おどるようなこの気分! 全てを日本にもって帰りたくなる。

帰国が近くなると、うさぎはみやげ物屋に通う量が多くなる。 景色や空気をここに置いてかなければならないさみしさを、 お土産を日本に持って帰ることで埋めようとするのである。

そんなときに捜すのは、大事に扱いさえすれば、永久に価値が損なわれないようなもの。 「この夢から覚めたくない」という気持ちが強いので、 無意識のうちにそういうものを捜し求めてしまう。 だから、食べたらなくなってしまうお菓子や、着るたびに古びていく衣類は、 うさぎにとっては、真の意味で「お土産」とはいえないのである。

ところが最近、ショックなことがあった。 海外で一本一本買い集めたスプーンの数が揃ってきたので、 しまってあったそれらを壁に並べて飾ったら、 1年もしないうちに古びてしまったのである。 スプーンこそ「大事に扱いさえすれば、永久に価値が損なわれないもの」 と信じて買ってきたのに。
幸い、意を決してシルバーラスターで磨いてみたら、なんとか輝きを取り戻すことができた。 でも、これを機会に、壁に飾るのはやめて戸棚にしまいこんだ。 大切なお土産が古びるのは、思い出が古びていくようで、見るに忍びなかったのだ。

そんなわけで、うさぎはお土産に「思い出の保存」を求める。 けれど、誰にとってもお土産の意味が同じとは限らない。 そのことに先日気付いた。フィジーで購入した一つの帽子を巡って――。

その帽子はプールサイドの実演販売で購入した。 買ったばかりのときは鮮やかな黄緑色の葉が瑞々しく、とても素敵な帽子であった。
ところが、わずか二日後に帰国する際には、ところどころが茶色くなり始めた。 そして、旅行から帰ってきた一週間後には完全に茶色い麦藁帽子と化していた。 かつてふっくらと水分を含んでいた葉はからからに乾いてやせ細り、隙間が増えた。 見る影もなくなったその帽子を、うさぎは一月後に捨てた。

買ったばかりの青々とした帽子をプールサイドで被っているチャアの姿が写真に残っている。 それを見ると、この帽子を買ってよかったとは思う。 けれど日本に帰ってきて、次第に古びてゆく帽子を見てるのは、 シンデレラの魔法が解けていくのを見るようでつらかった。 だから、うさぎにとってこの帽子はあまりいい思い出ではない。

ところが、先日「フィジーで買ってよかったものを教えて」とチャアに尋ねたら、 「椰子の葉で編んだ帽子」と答えるではないか!  チャアは、その帽子が今はないことなど全然気にしていない様子である。

思い起こしてみれば、チャアが旅行で買うお土産は必ずしも、 うさぎの考えるところの「ちゃんとしたお土産」ではない。 なるべく日本で買えないようなものを買おうとか、 記念になるようなものを選ぼうとか、そういう意図が全く感じられず、 シールとか、おもちゃとか、メモ帳だとかを、日本にいるのと同じような感覚で選ぶ。

それはチャアがまだ幼いせいだ、とうさぎは思っていたけれど、ネネとの違いを考えると、 あながちそうでもないかもしれない。 ネネは、うさぎのスプーンと同様にマグネットを集めていて、 「その国らしさ」に結構こだわるからだ。 幼い頃から、割とそうである。

うさぎはフィジーに行ったとき、"カバの粉"を買おうかどうか迷った。 これはそれこそ「フィジーでしか買えないもの」だったし、 うさぎの胃の調子を整える"魔法の粉"であった。 でも、使ったらなくなってしまうことがさみしくて、 また、もし日本では効かなかったらと想像すると、 旅行中といつもの生活とのギャップをまざまざと見せ付けられるようで恐くて、 結局買わなかった。

でも、次第に色褪せてゆくあの椰子の帽子のように、旅行時の昂揚感が徐々に冷め、 いつもの生活へとトーンダウンしてゆく過程を楽しむっていうのも、 "あり"かもしれないなあ、とちょっと思い始めた最近のうさぎなのであった。

2002年7月6日 うさぎ

<<<   ――   u-026   ――   >>>
NEW    HOME