【 トルコ旅行 】
今日は昔話をしましょう。
あれはまだうさぎが学生だった頃のこと。
トルコという国に憧れて、2年次の終わりごろ、ツアーで行こうと決めました。
ところが母親は大反対!
「バスに10分乗っただけで酔う人が! バスでトルコを回るなんてできるの?!」
というわけです。
そこでうさぎは酔い止めを前日当日と二度飲みし、
「東京三大名所巡り」というハトバスツアーに参加して、
バスツアーに参加できることを証明してみせました。
ところが母は今度はこう言うのです。
「トルコなんて馴染みのない国、治安が心配よ。イギリスやフランスならともかく」と。
そこでうさぎはトルコ大使館へ行き、治安について尋ねてくることにしました。
トルコ大使館は明治通りにあり、凝ったデザインの近代的なビルでした。
事前に電話で予約をし、当日受付で名前を告げると、
まもなく観光局の局長さんの部屋に通されました。
親日家として名高い方で、
ガイドブックに掲載されていた写真でうさぎもお顔を拝見したことがありました。
局長さんのお部屋には、先客がいました。
仕事でトルコを訪れることになったという、若い女性の通訳の方です。
彼女と二人で、うさぎは局長さんのお話を伺うことになりました。
うさぎはただ椅子に座って静かにお話を聞いていました。
局長さんは、流暢な日本語でしばらくトルコについてお話をされたのち、
ふとうさぎにおっしゃいました。
「あなたのお父上は学者ですか?」と。
うさぎはびっくりしながら答えました。「その通りです」と。
またしばらく話をしたのち、局長さんは、もう一人の若い女性にお尋ねになりました。
「あなたは9月生まれでしょう」
そしてうさぎの方を向き、こうおっしゃいました。
「あなたは3月生まれ。おそらく火曜‥いや金曜の明け方に生まれた‥」
うさぎはびっくりしました。まったくその通りだったからです。
もう一人の女性も、その通りだといい、びっくりしていました。
さて、局長さんの話を聞き終わったあと、「なにか質問は?」と尋ねられたので、
「治安はどうでしょうか」と尋ねました。
ところが、日本語を流暢に操る局長さんは、
「治安」という単語をご存知ありませんでした。
「英語で言ってごらんなさい」といわれても思いつかず、口ごもっていると、
通訳をしておられるもう一人の女性が、
「日本語の"治安"にあたる英単語はないのです」といいつつ、
助け舟を出してくれました。
「彼女は、夜、一人で街を出歩いても平気かどうかと尋ねているのです」と。
この言葉を聞いた瞬間、局長さんの顔つきは険しくなりました。
うさぎをキッとした表情で見据え、大きな声でおっしゃいました。
「あなたは日ごろ一人で夜歩きをしたりするのですか?!」
その剣幕にたじたじとなりながら、うさぎはモゴモゴと申しました。
「いえ、そういうわけでは‥」
局長さんは少し表情を和らげました。
「もちろん、そんなことはしないでしょう。
若い女性が夜中に一人で街をうろつくなど、するものではありません。
日本でしないことは、わが国でも決してしないでいただきたい」
うさぎが神妙な顔で頷くと、局長さんは確かめるようにお尋ねになりました。
「あなたは処女ですか?」
‥えっ? ええっ?! 初対面の、しかも男性に、なんでそんなこと‥。
全くその通りであったうさぎは、恥かしさのあまりうつむいて、
蚊の泣くような声で答えました。
「ハイ‥」
すると局長さんはとつぜん立ち上がってうさぎの方に大きな手を差し出し、
「それでこそ、ヤマトナデシコです! 結婚前の女性が男性と交渉をもってはなりません。
トルコは清らかなあなたのような方を歓迎します!」とおっしゃいました。そして、
「イズミールへは行かれますか?
あそこなら私の親戚が住んでいるから、泊めてあげられます」
局長さんの手を握り返しながらも、この局長さんの変貌ぶりと、
あまりにご親切なこのお申し出にどう対応していいか分からず、戸惑っていると、
先ほどからうさぎに申し訳なさそうな視線を送ってくれていた通訳の女性が、
また助け舟をだしてくれました。
「すみません、さきほどは私の訳が適切ではなかったようです。
彼女を代弁して、トルコの"ポリティックパワー"について改めてお伺いします。」と。
すると局長さんは胸を張ってこうおっしゃいました。
「トルコの警察力は万全です!
なにしろ昨年、軍事政権がクーデターを起こして政治の実権を握ったばかりですから。
旅行者にとってこんなに安全な国は他にありません!」
軍事政権?! クーデター????
それって安全なのかしら? うさぎにはよく分かりませんでした。
◆◆◆
家に帰ってから、両親にこの話をすると、
母は「クーデター」という言葉で、ますます心配そうな顔つきになりました。
けれど父は笑いながら
「まあ、見方によっては、そういう国ほど安全な場所はないな。
街の隅々にまで統制が行き渡っているから」と言い、
「いいじゃないか。トルコに行ってきなさい」とOKを出してくれました。
これで一安心。ホッとしたところで、
「ねえ、でもどうして、私が学者の娘だって分かったんだと思う?」とうさぎが尋ねると
「大使館に平気な顔して乗り込むなんてのは、学者の娘ぐらいのものだ」
と父はこともなげに言いました。
「それじゃあ生まれ月を当てたのは?」とうさぎが言い募ると、
「おまえはボーっとしていて、いかにも3月生まれ、という感じじゃないか」と父。
「‥それに、受付で生年月日を書かされなかったか?」
‥そうだったかもしれない。
不思議を不思議のままで残しておきたいような気持ちにかられつつ、
受付で簡単な調書を書かされたことを、うさぎはぼんやり思い出していました。
◆◆◆
それから一週間後のこと。
土曜日の朝8時半ごろ、今日は授業がないので朝寝坊をしていると、
母が起こしに来ました。
「うさちゃん、トルコ観光局からお電話よ」
何だろう、忘れものでもしてきたかしら?
うさぎはガバッと起き上がり、起きぬけのもつれる足で階段を駆け下り、
電話口にたどりつきました。
「ハイッ! おはようございます! お電話をかわりましたっ!」
起きぬけの声とばれないように、精一杯元気良くうさぎが言うと、
「はい、いま局長にお繋ぎいたします」と女性の声が言い、
まもなく聞き覚えのある局長さんの声が響いてきました。
「おはよう。ヒッタイトの首都の名前を覚えていますか?」
「‥は?」
「ヒッタイト。古代ヒッタイト帝国の首都です!」
うさぎはまだよく回らない頭で、ヒッタイトの首都を思い出そうとしました。
うさぎは大学で史学を専攻しているのです。
史学を志す者の誇りにかけて、この質問にはスラスラと答えたいところです。
けれど。いくら考えても、ヒッタイトの首都の名は思い出せません。仕方なく、
「すみません。分かりません」と答えると、
「地図を持ってらっしゃい。この間差し上げたでしょう。あの地図を持ってらっしゃい!」
とのお言葉。
「ハ、ハイっ! ただいま!」と叫び、
自分の部屋まで階段を一段抜かしで駆け上がり、
地図を手にまた階段を下りました。
慌てたので3段ほど踏み外し、階段の縁にむこうずねをいやというほど打ちつけ、
痛さのあまり目に涙をためながら、
「地図を持ってまいりましたっ!」と報告するうさぎ。
「アンカラの位置はわかりますか?」と局長さん。
さすがにそれくらいは分かる。トルコの首都です。
「ハイ! 分かりますッ!」
「ではそこから南西100キロの付近に、ハットゥシャシュという小さな街があるでしょう。
そこがヒッタイトの首都だったところです! 分かりましたか?!」
「ハイ、分かりましたっ!」とうさぎが答えると、
「トルコへいらっしゃる前に、ヒッタイトについてよく勉強しておいてください」
と局長さんは言い、電話は切れました。
うさぎは何が何やら分からず、片手に受話器、片手にトルコの地図を持ったまま、
しばらくぼ〜っとしていましたが、
「とにかく朝ご飯を食べなさい」という母の声で我にかえりました。
その日以来、うさぎがトルコ史について勉強を始めたのは言うまでもありません。
次に抜き打ちテストの電話があっても、決して答えられないことのないように。
更に念を入れ、電話の脇には世界史年表と地図も備えておきました。
けれど、トルコ観光局からの電話は二度と掛かってはきませんでした。
◆◆◆
‥で、結局トルコ旅行はどうなったか、って?
二年次に申し込んだツアーは、最少随行人員に満たず、中止になりました。
翌年の三年次は、サークル活動の都合で、どうしても予定が空かず、断念しました。
そして翌々年の四年次。
これが最後のチャンスと思い、卒業を控えた2月、
ツアーが催行中止になりませんように、と祈るように申し込みをしました。
幸い、一週間前にはツアーの日程も送られてきて、
うさぎはスーツケースに荷物を詰め、準備万端整えました。
ところが旅行出発当日。
朝起きようとしたら、頭が重い。喉も異常に痛い。熱を測ったら39度近くもありました。
どうやら流感に罹ったらしい。
真っ直ぐに歩くことすらできず、仕方なく当日キャンセルをしました。
学校を卒業したのちは会社員としての生活が待っていました。
入社して2、3年の新米社員が、
トルコに行けるほどの長期休暇を取ることなどできませんでした。
その後、結婚して退職しましたが、すぐ子どもに恵まれ、
遠方の旅行には行かれなくなりました。
――そんなわけで、ハトバスで予行演習をし、
観光局で「処女か」という質問にまで答えて親を説得したトルコ旅行は、
いまだにうさぎの夢のままなのです。
2002年10月18日 うさぎ