Essay  うさぎの旅ヒント

【 最後に帰ってくるのが日本人 】

スマトラ沖地震から早くも9ヶ月。 その被害の大きさが大々的に報道されたプーケットも、今ではすっかり落ち着きを取り戻し、 いつもどおりに観光客を迎えているという。

ところが。 現地に住む人の話によれば、その観光客が一向に帰ってこないらしい。 これはどうしたことか。 一度津波がやってきたところには、二度三度と津波が来るような気がするのだろうか。

津波というのは、地震によって引き起こされる。 その地震というのは、地下プレートの急激な運動のことである。 何年も何十年もの長い間、少しづつ蓄積されてきたひずみが、 あるとき一挙に是正される――それが地震である。 だから、大地震というのはそうそうしょっちゅう同じ場所で起こるものでもない。

それは日本に置き換えてみれば、直感的に理解できる。 つい10年前大地震に見舞われた阪神地区と、 ここ80年大きな地震の起きていない関東地区、 一体どちらが今後大地震に見舞われそうか。 時限爆弾を抱えているのは、東京か、大阪か。

だけど、プーケットの客足はなかなか回復しない。 なぜなのか。

もしかしたら、また津波がくるという心配をしているのではなく、 津波によって「ケチ」がついたからではなかろうか。

人間というのは景気のいい方向に体を向けたがる。 人だかりのあるところにはますます人が集まり、 人影まばらなところからはますます人が去ってゆく。 景気の良さそうな店には行列ができ、 景気の悪そうな店は誰もが敬遠する。 人は、いつも皆に囲まれている者とは安心して付き合うが、 ひとたび誰かに悪口を言われた者にはほとぼりが醒めるまでとりあえず近寄らないでおく。 ――全く見事な群集心理である。

そういう群集心理が、日本人には強いのではあるまいか。 ニューヨークテロの後のセブでだったか、ディスコ爆破後のバリでだったか忘れたが、 「最後に帰ってくるのが日本人」と聞いた。 現地で観光業に携わる人々にしてみれば、 「まさかの時の友」から最も遠いのが日本人ということになろう。

大きな災害やテロのあった場所に行こうとすると、 会う人ごとに「大丈夫なの?」と心配される。 あまりにあっちでもこっちでも言われすぎると、大丈夫と思っていても、 なんとなく行く気力が減退する、ということはある。

尤も、「大丈夫なの?」と言うほうにしてみれば、 その言葉にさしたる意味をこめてはいないのかもしれない。 「プーケットに行くの? ふーん、そうなんだー」で終わるよりも、 「この間、津波に襲われたところでしょう?」とでも言ったほうが 話を合わせている気分になれるのかもしれない。

相手は相手なりに気を遣ってくれているのだ。 少なくとも、 「プーケットという地名を全然知らないわけではありませんよ」というアッピールなのだし、 「プーケット? ああ、この間テレビで見たわ」とか 「友達が最近行ってきたよ」という 反応と大差ないのかもしれない。

つまり、それだけメジャーになったということ。
「プーケット? どこそれ?」という反応が一般的だった10年くらい前に比べ、 ずいぶんと出世したものだと思えばよろしい。

何であれ、人の意見は話半分に聞くくらいが、いい匙加減。 あまり真面目に聞きすぎると、群衆心理に翻弄されることになる。

2005年10月17日 うさぎ

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