Essay  うさぎの旅ヒント

【 過去・現在・未来 】

時間軸というのは、過去から現在、未来へと一定の方向に動いているように見えて、 実は、未来と過去が現在を引っ張りあいながらバランスをとっているのではないかと思うことが最近よくあります。

昨年かつてのホストマザー(マム)に会うためにミネソタへ行ったとき、今までの旅行はすべて この旅行を実現させるための下準備だったのではないかという気がしました。

7年前、ツアーを利用して旅行に行き始め、 そのうちなぜかブルネイなんていうマイナーな国へ行きたくなり、航空券を買って旅のパーツの組み立て方を覚え、 徐々に海外旅行というものに慣れてきました。 そういうステップを踏まなければ、突然ミネソタへ行こうと思い立っても、 どういう手順を踏めばよいのか分からず、断念していたかもしれません。 実際、10数年前には検討もせず、断念した思い出があります。

また、ミネソタに関する様々な手配は、ホストファミリーとの連絡から始まって、 宿の予約、航空券の購入に至るまで、インターネットなしにはなしえなかったことであり、 旅行サイトの立ち上げをきっかけにパソコンを購入し、それに慣れてきていたからこそ、実現できた旅でした。 別にミネソタへ行くための予行演習として海外旅行に行き始めたわけでも、パソコンに慣れたわけでもない。 でもふと気づいたら、10数年前にはなしえなかった「ミネソタへ行く」ということができる自分になっていました。

「ミネソタへ行く」という未来がすでに決まっていて、その未来に引き寄せられるように海外旅行に行き始め、 パソコンに慣れたのではあるまいか――。 マムに会うために揃えなくてはならない旅のパーツを、気づけばすべて握っている自分にびっくりしながら、 わたしはそう思ったものでした。

そしてまだまだ話は続きます。 マムとの出会いは家族にとって非常に大きな意味を持ちました。 夫はミネソタ行きをきっかけに英語の学習を始め、 長女は外国語教育に特化した高校への進学を決めました。 バレエ留学を真剣に考え始めたのも、ミネソタ行きが直接のきっかけです。

ミネソタは彼女にとって、それまでの旅行とはまったく別物でした。 それまで彼女は、外国というのは、レジャーを楽しむために行くところだと思っていたかもしれません。 その国に住み、そこで生活している人がいることは、頭では分かっても感覚的に理解していなかったと思います。 それまで選んできた渡航先は見慣れぬ文化の土地が多く、 見慣れぬ服、見慣れぬ習慣、さっぱりわけのわからない言葉の中で、見知らぬ人が動き、喋り、笑う。 それは、一種の映像のように彼女の目には映っていたのかもしれません。

でも、ミネソタは違いました。 幼い頃からしばしば話に聞いていた人々が、日本とそれほど変わらぬ文化の中で生きていました。

ただ、日本とは決定的に違っていたものがある。言葉です。 それは全く知らない言葉ではありませんでした。 学校で習ってきた言葉でした。 でも全然喋れませんでした。

人が住むところとしての外国は、それまでの旅行とは違う、圧倒的なリアリティを持って彼女に迫ってきたのでしょう。 なぜ学校で英語を習うのか、その意味を彼女は体で理解しました。

ミネソタからこっち1年半、彼女の人生はまるでドラマのようでした。 ミネソタでマムに会ったこと、発表会で主役を演じたこと、その相手役が外国人だったこと、 進学先の高校との出会い、そしてモナコ留学。 バレエ、海外という二つのキーワードを軸にして、様々なエピソードがぴったりと、 はまるべきところにはまっていきました。 まるで結末が先に決まっているかのように。

プーケットに行ったからこそブルネイがあり、 ブルネイに行ったからこそミネソタがあり、 ミネソタがあったからこそ、モナコがあり――。 わが家の渡航はこれまで因果関係を持って続いてきました。 そして今年、わたしはモナコに娘を送り届けたのがきっかけで、フランス語の学習を始めました。

フランス語を学んでいると、 インドネシアのバリで3日間、画家の先生の傍らで絵を描かせてもらったときのことが思い出されます。 元来勤勉ではなく根気に欠けるわたしが地道な努力を必要とする外国語学習を続けていかれるのは、 ひとえにバリでの経験のおかげです。 あのとき初めて、はっきりと分かったのです。 どんな人生をこの先歩めばよいのか。 弛むことなく、焦ることなく、細い筆で一筆一筆キャンバスに色を入れてゆく先生方の姿を見て、 わたしもこうやってこの先の人生を紡いでいきたいと思いました。

やってもやっても成果が見えないなあと不安になるとき、わたしはいつも先生方の姿を思い出します。 細い細い筆で、大きな大きな絵を描いていた。 一筆一筆は小さくとも、休まずに描けば、いつか大きな絵が完成するのです。 だから焦る必要なんてないのです。 時間がかかるなら、かかってもいい。 何年もかけて描けばいいのです。

わが家の旅行はいつもたいてい1週間くらいの短い旅行です。 その短い間で何が変わり、何が学べるとも思えません。 短期の旅行にそんな効用を期待するのはどだい無理な話です。

ただ、分かりかけていた何か、分かろうとしていた何か、あとほんのちょっとで分かる何かが、 旅行をきっかけにはっきり見えてくることはあります。 娘にとってのミネソタ然り、わたしにとってのバリ然り、 自分の中で固まりかけてきているが、まだ形をなしていない何かが、 見知らぬ土地での新たな出会いをきっかけに急速に固まり、輪郭をなしてくるのです。

いろんなことを考えたりやったり悩んだり、そうした普段の生活があるからこそ、旅の意味もあるのでしょう。 旅は目に見える転機に過ぎず、本当の変化は日常にあるのです。

最近わたしは、これまでバクゼンと胸に抱いていた未来への不安を感じなくなってきました。 「こういう方向性でいいのだろうか」とか、 「もっとラクな道、トクな道があるんじゃないか」などと、ジタバタしなくなりました。

だって、心配することは何もない。 未来はすでに半分用意されていて、ただ目の前の糸を手繰り寄せればいいだけ。 どんな未来かはまだ分からないけれど、 いま自分の目の前にあることを一生懸命やっていれば、 遅かれ早かれ、きっとそのうち何かが形になって見えてくると思うのです。

特にどういう目的で始めたわけでもないフランス語ですが、 これもきっとまた新たな人生の展開をもたらすでしょう。 一足一足歩む日常の先に、また新たな転機、新たな出会いがきっと待っている。

新たな未来。新しい展開。 それは一見、旅などの特殊要因がもたらした 偶然の産物のように見えるかもしれません。 でも本当はきっと、過去や現在の日常奥深くひっそりと織り込まれた要因の 当然の結果なのです。

2005年12月31日 うさぎ

<<<   ――   u-051   ――   >>>
NEW    HOME