やっと国鉄エズ駅についた。 駅の前には、道を挟んで小さな店が一つ二つあるきり。 駅の反対側はすぐ海だ。 夏の一時期だけわずかに賑わいを見せる、寂れた田舎の無人駅。 それは国の違いを超え、どこか昔懐かしい光景だった。
まずは水を買う。
店の前の庇の下のテーブルにつくと、
愛想の良いお姉さんがワイングラスを3つ置いてくれた。
「さすがフランス!」とネネが言った。
確かに。
テーブルクロスはビニールの安物だが、ワイングラスはピッカピカ。
そのワイングラスで飲んだ水は、
一口ごとに身体に元気を取り戻してくれるようだった。
◆◆◆
さて、一息入れたら、電車に乗る算段をしなくては。 無人駅の券売機に近づくと、その前には先客がいた。 背中に大きなリュックを背負ったバックパッカーが、券売機をじっと見つめている。 仁王立ちになり、眺めているだけ。 そうやってしばし券売機を睨みつけた挙句、彼はついと立ち去り、どこかへ行ってしまった。
「あの人、切符を買うんじゃなかったのかしらね」 首を傾げながら、うさぎたちは3人で券売機のディスプレイを覗き込んだ。
ところが。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
うさぎたちもやはり無言で仁王立ちになるしかなかった。 だって、初期画面には選択肢が二つ表示されているが、 ボタンらしきものは、キャンセルボタンと決定ボタンの二つしか見当たらない。 券売機というものはボタンがたくさんあるものだと思っているうさぎたちにはまったく、 どう扱っていいのかさっぱりわからないシロモノだった。 一体ここでどうやって切符を買うのだ?
唯一、操作に関係があると思われるのは、唯一のボタンが乗っかった馬鹿でかい、丸い突起だった。 でも押せるのは真ん中の決定ボタンだけで、 全体を押してみても何も起こらない。 そもそも、「押した」という手ごたえもない。
ひょっとして、タッチパネルなのだろうか。 そう思って、画面に触れてみた。 ‥が、何も起こらない。
何度も画面を押してみたが、全然ダメ。 しょうがないから、あっちに触れたり、こっちを叩いたりしているうちに、 ふと、丸い突起が「回る」ことに気がついた。
それはやたら重かった。 でも、手にしっかりと力を込めて回せば、回るのだ! そしてその操作に従い、選択メニューの色も変わった! 紺と黄緑の塗りわけが、上下反対になったのだ。 ただ、問題は、どちらの色が、選択したことを示すのか分からないということ。 ‥まあいいや。真ん中のボタンを押してとりあえず決定にしてみよう。
次の選択肢が現れた。 今度の選択肢は多かったので、紺のほうが選択されていることを示すことがわかった。 うん、なかなかいいぞ。
一つ選択を済ませると、また次の選択肢が画面に表れ、 次から次へと選択を繰り返すことになった。
「切符か回数券か」、「往復か、片道か」、「今日の切符か明日以降の切符か」、 「一等か二等か」、「行き先の駅はどこか」、「大人か子供か」、「何人分の切符か」。 硬くて重いダイヤルバーをいちいち回し、呆れるほどたくさんの質問に答えてやっと、 「マントン行き片道大人用3枚 2等 7.80ユーロ」という表示に辿りついた。 よし、あとはお金を入れればいいんだな。 うさぎはサイフから紙幣を取り出した。
ところがなんと‥! この券売機、紙幣を入れる場所がないのであった‥!
しょうがない、小銭をかき集めるか。 そう思い、サイフをまさぐり、片っ端からコイン挿入口に入れてみた。 ‥でも足りない。 必要な額の半分にも満たない。 困った。 あとの残りはどうしようかとわたわたしていると、突然ザラザラ〜ッと派手な音を立てて、 入れた小銭が返却口に戻ってきた。 見れば、画面も初期画面に戻っている。
「オーマイガ〜ッ!! また振り出しに戻り?」うさぎはわめいた。 でも‥まあいい。 初めて来た国ではこれしきのこと、よくあることさ。 気を取り直し、こんどはクレジットカードを使うことにした。 紙幣の挿入口はないが、クレジットカードの挿入口はある。 その上に、使えるカードの種類も書いてある。 有り難いことに、マスターやビサが使えるのだ。
うさぎはまた最初から操作をやり直した。 「切符か回数券か」、「往復か、片道か」、「今日の切符か明日以降の切符か」、 「一等か二等か」、「行き先の駅はどこか」、「大人か子供か」、「何人分の切符か」‥。
「いやだわ、こんなところでクレジットカードを使うなんて。大丈夫?」 とままりんは言うが、今はこれしか切符を手に入れる方法を思いつかない。 最後の画面にやっとたどり着き、いざクレジットカードを挿入した。
すると‥。 カードは途中まで入って、押し戻されてしまった。 もう一度入れてみるも、同じこと。 そうこうしているうちに、また画面は初期画面に戻ってしまった。
うさぎは思わず深いタメイキをついた。 たしかどこかで「エズ駅の券売機は壊れていた」と読んだことがある。 これがその「壊れている」状態なのかもしれない。 とにかく、カードは諦めだ。 なぜだか知らないけど、使えないらしい。
ああ、こんなことをしているうちに、電車が来てしまったらどうしよう? 改札なんてないから、切符を買わずに飛び乗ってしまうこともできるが、 キセルで捕まるリスクを冒さねばならない。
‥しょうがない、さっきの店に戻ってなにか一つ買い、小銭を手に入れるほかあるまい。 万が一にもよその国でお縄を頂戴するなんて不名誉を被りたくはないもんね。
うさぎはネネとままりんに、木陰に座っているように言い、 店に戻って日焼け止めを一つ買い、小銭を作った。 ユーロの小銭は重い。 小額のコインでもやたら大きく厚みがあって、 たぶん日本のの3倍くらい重さがあるんじゃないか。 うさぎは重くてかさばるコインを握り締め、券売機へと戻った。
3度目の正直、重いハンドルを何度も回し、やっと切符を手に入れた。 飛行機の搭乗券のようにやたら立派な切符だ。 うしろで順番を待っている西洋人は手にクレジットカードを手にしている。 あれ、やっぱりクレジットカードで買えるのかなー?
時刻表を見ると、電車は15分すればくるらしかった。 うさぎたちは木陰に腰を下ろし、一息ついた。
そこに、小さな坊やが二人やってきて、「小銭に崩せませんか」と紙幣を差し出した。 さっき券売機に並んでいた人たちのお子ちゃまだ。 でもゴメン、もう小銭持ってないの。 「ジュシデゾレ‥」 ‥あ、ちがった、「ソーリー」だ。
坊やたちが券売機の前の両親のところへ戻ったあと、 うさぎも気になって彼らの様子を見に行くことにした。 小銭をくずしてもらいにきたところを見ると、やはりカードは使えなかったのだろうし、 フランス人でないならなおのこと、きっと困っているに違いない。
案の定、券売機の前ではまだ坊やたちの父親が、カードを差し込んでは押し戻され、 また差し込んでは押し戻され、無為な挑戦を続けていた。 たぶんクレジットカードがダメだったので小銭を考え、小銭が手に入らないと知ってまた カードでの挑戦に立ち返ったのだろう。 ああ、気持ち分かるなあ‥。
「こんにちは」とうさぎは母親のほうに声をかけた。
「その券売機、クレジットカードは受け付けないみたいですね。
わたしたちもあそこの店まで小銭に崩しに行ったんですよ」
「やはりそうですか。ああ、電車が来ちゃうわ。お金をくずしに行ってる時間なんてあるかしら」
母親はそう言ったが、そのやり取りを聞いていた父親は早速店のほうに向かって走り出した。
「あなたがたは旅行者ですか?」とうさぎは残った母親に尋ねた。
「ええそうです。スコットランドから来たんですよ。
あなたは? この辺に住んでいるの?」
「いえいえ、わたしも日本から来たんですよ」
この人はうさぎが券売機と格闘していたところを知らないらしい。
実はわたしはあなたより、たった10分、先輩なだけなのです。
あとで気になって様子を見に行くと、スコットランド人の一家も首尾よく、 電車が来る前に切符を手に入れたようだった。 遠くからOKマークを作って尋ねると、笑顔とOKマークが返ってきた。
◆◆◆
ちなみに、これは後に気づいたことなのだが、 このタイプの券売機は本来クレジットカードにも対応した仕様に作られてはいるものの、 カードを受け付けないモードに設定されている個体が大半のようだ。 それならそれで、「カードは使えません」とどこかに書いておいてくれれば良いものを、 カードが使える場合にのみ「カードも使えます」という表示が出る仕組みなのであった。
カード挿入口があって、使えるカードの種類が書いてあって、 しかも「カードが使えません」と書いてあるわけでもないものだから、 どこの駅でも、券売機にカードを押し込んでは押し戻されて困り果てる 哀れな旅行者の姿が見うけられた。 罪作りな券売機である。