列車がやってきた。 二等の切符を買ったので、「2」と書いてある戸口を探して乗る。 尤も、「1」より「2」のほうが多いようだ。 駅でいっしょに列車を待っていた人々もみなそれぞれ「2」の戸口に吸い込まれていった。
車内は明るく、エアコンが効いていた。 紫色の椅子の張り地は真新しく、リクライニングこそできないが、 見た目の良さはグリーン車レベルに見える。 二等なのに、こんなに快適でいいのだろうか、と不安になった。 もしや間違えて一等に乗ってしまったのでは‥?
うさぎがイメージするところのフランスの二等列車というのは、 頭の上に荷物を乗っけた移民でいっぱいのオンボロ列車だった。 うだるような暑さの中、香辛料の匂いが鼻につく。 スリに懐中物に盗られやしないかと神経をキリキリさせながら、ガタンゴトン揺れる列車の中で、 つり革にしがみつく――そういうのが二等のイメージだった。
うさぎはもともと二等に乗りたかったのだが、 おとなしく一等を買い、無駄に危険に身を晒さないのが旅行者の心得だとも思っていた。 一等を買えるほどの小銭が足りなかったものだから、結局二等におちついたが、 二等はガラが悪い――という認識があった。
ところが、実際の「二等」は想像と違っていた。 一体ここは何なのだ? まばらな乗客はどう見ても旅行者ばかり。 しかも英語、日本語文化圏。 すべるようにひた走る列車の中で、 真新しい快適なシートにゆったりと腰を下ろし、 優雅に地中海など眺めちゃって‥。
あとで列車を降りたあと、「これが二等なら果たして一等はどんなだろう」と思い、 「1」と書いてあるところを探して見てみた。
――結果は、何一つ、二等と変わらなかった。 飛行機のビジネスクラスとエコノミークラスに見られるような違いすら、 なーんにもなかった!
尤も、列車はいつもこんなではなかった。 うさぎたちはこの後も、何度もニース、モナコ付近のこの路線を行ったりきたりすることになる。 その都度いつも二等の切符を買うのだが、いつも違った列車の旅が待っていた。
列車にしてからが、様々だった。 同じ金額を出して乗るのに、 呆れるほどおんぼろの列車がやってくることもあった。 もちろん、エアコンなんか効いちゃいない。 シートの張り地はぺっちゃんこ、あまつさえ穴まで開いている。
そういう列車でも、一等の存在がやはり気になって、覗きにいったものだった。
――でもやっぱり、何一つ、二等と変わらなかった。 一等だからって、エアコンが効いているわけでもない。 シートはやっぱりぺっちゃんこ。 グリーン車と普通車両の違いなど、なーんにもなかった!!
また、列車はいつも空いているわけではなかった。 混んでいて、座れるどころか、立っている場所を確保するのがやっとだったこともある。 ちょうどラッシュアワーの時間帯で、そのとき周囲にいたのは、頭に荷物を乗せた移民ではなく、 アタッシュケースを抱えた帰宅途中のサラリーマンだった。 このときには、もしかしたら一等だったらもう少し空いていて座れたかもしれない、 という考えが頭をよぎった。
電車には観光客やサラリーマンの他にも、いろんなものが乗っていた。 自転車やら、ばかでかい犬やら。 芸人が乗ってきたこともある。 いつもそこで仕事をしているというより、帰宅途中にもうひと稼ぎを思いついたふうだった。 ギターと歌を聴かされたあと、帽子が回ってきた。 周囲の反応は様々で、口笛を吹いて拍手している人もいれば、黙って窓の外を眺めている人もいた。 うさぎは旅の思い出に、1ユーロ入れて帽子を回した。
「一等には紳士淑女が優雅に集い、二等は庶民でいつも混雑」 だなんて想像はなんと陳腐だったのだろう。 同じ路線を何度も、あっちへ行ったりこっちに来たり。 そんな反復運動の中で学んだことがあるとすれば、それはこういうことだった。
優雅な二等もあれば、オンボロの一等もあって、全ては時の運。
ちょっとやそっとのお金で
良い運命が買えると思ったら大間違いさ!