France  南仏コートダジュール

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【 真夜中の散歩 】

夜の地中海

昨夜疲れて8時過ぎに寝たせいか、それとも時差ボケのせいか、 今朝は3時に目が覚めてしまった。 ‥いや、まだ朝なんてものじゃない。 真夜中だ。

ベッドから起き上がり、ベランダに出てみると、 そこには茫漠たる真っ黒い空間が広がっていた。 なあんにも見えない。 昼間、真っ青だった地中海は、今やただの真っ暗闇。 どこからが海で、どこからが空かも分からない。

右手を見やると、そこには光で縁取られた陸が見えた。 海にも明かりを灯した船が二つ三つ浮かんでいる。 こんな夜なら知っている。 街の明かりが闇をほのかに照らす夜。 うさぎはホッとして、水平線を指でたどり、左にずっと延長してみた。 「闇の中にも海や空が広がっているはず」と思わないことには、吸い込まれそうで怖い。

目を開いたままだと想像は、「闇しか見えない」という現実にあっさり負けてしまう。 けれど目を瞑ると、うまく想像できる。 うさぎはしばしの間、目を瞑って地中海を眺めた。

もう一眠りしようと目論み、ベッドにまたもぐりこむ。 だが全然ダメ。全然眠くない。 そこでうさぎはそぉっと玄関の扉を開け、部屋の外に出た。 部屋から一歩出ると、もうそこはエズの街中。 「ホテルの敷地内」というワンクッションなく、 いきなり公のスペースに放り出される ――それがシャトーエザというホテルの独特で面白いところだ。

「こんな真夜中にツーリストが市中をウロウロして、果たして危険はないのだろうか?」 そんな疑問が首をもたげたが、好奇心のほうが勝った。 ちょっとだけ、あと少しだけ‥そう思いつつ、うさぎはどんどん部屋から離れて行った。 レセプションの前を通り抜け、レストランも通り越し‥。

誰もいない真夜中の村を歩くのは、とてつもない冒険だった。 路地を曲がるたび、次はどんなに美しい光景が展開されるのだろうと思うと、 ワクワクしすぎて胸が苦しい。 朝から晩まで観光客の絶えない人気の村を 今は自分が独り占めしているのだと思うと、 嬉しすぎて気が変になりそう‥!

これは夢か幻か。 うさぎは夢中でカメラのシャッターを切った。 明日になって、この写真データがすべて消えていたとしても、全然驚かない。 でも、もし残っていてこれが現実と分かったら、どんなに嬉しいだろう! 静まりかえった村に響くのは、自分の切るカメラのシャッター音のみ。 うさぎはその音に酔った。

‥いや。 シャッター音のほかにもうひとつ、村に響く音があった。 かすかな水音だ。 それに、足元を濡らすこの水は一体何なのだろう? さっきからずっと階段状の道を伝って、上のほうから水が流れてきているのだ。 誰かが頂上付近の水栓を閉め忘れでもしたのだろうか。

そのうち、上のほうから何かを引きずるような音が聞こえてきた。 しかも音はだんだんこっちに近づいてくるような気がする。 でもまさか、こんな真夜中に、誰がどこで何をしているというのだろう? きっと空耳か何かだ。

ところが。 ファインダーからふと目を離した瞬間、うさぎは真っ黒な人影に気づき、 ギクッとして肩を震わせた。

その人影は、うさぎよりも高いところにしばらく立ち止まり、 こちらの様子を伺っているかのようだった。 それからやおら、こっちに向かって降りてきた。 うさぎは内心怖くてたまらず、一心不乱にカメラに集中しているフリをしていた。

ついにその人影は、ほのかな街灯で顔つきが分かるくらいまで近くに降りてきた。 ズルズルと、長い長いホースをひっぱりつつ。 ホースの先からジョボジョボと水を流したまま。

ふとそっちのほうを見やった拍子に目が合ってしまい、うさぎは 「何か一言言わないと!」と、とっさに思った。 さあ、何ていおう? 今は真夜中だけど、朝も近いので、挨拶としては「おはよう」が適切だろうか。 フランス語で「おはよう」って何だっけ? 「こんにちは」が「ボンジュール(良い日)」で、 「こんばんは」が「ボンソワレ(良い宵)」だから、 エート、「ボンマタン(良い朝)」でいいのかな?

「ボ‥ボンマタン!」
うさぎがそう話しかけると、その労働者風の中年のおじさんは、 「ボンジュール!」と返してきた。 ‥なんだ、ボンジュールでいいのか。

「いい写真が取れたかい?」とおじさんは言った。 おおっ、聞き取れるじゃないか! うさぎは嬉しくなり、調子よく「ウイ、ビヤンシュール(ええ、もちろん!)」と答えた。 そして、怪しげなフランス語で 「こんな朝早くから働いているのですか?」と言ってみた。 おじさんはちょっとホースを持ち上げ、なんちゃらかんちゃらと答えた。 さっぱり何を言っているのか分からなかったが、状況分かった。 要するにこのおじさんは、掃除をしているのだ。 こんな朝早くから!

朝まではまだ間がある。 観光客がやってくる時間には、道はすっかり乾いているだろう。 この村を、こうして掃除する人がいることに、きっと誰も気づかない。 人々は皆、何百年も前から変わらぬ村のたたずまいに感動して帰ることだろう。 うさぎも今この瞬間まで、この村の価値は「変わらない」ことにあるのだと信じていた。 何百年も前から「人の手が加わえられていない」ことに価値があるのだと思っていた。

でも、それは違った。 ありとあらゆるものは毎日少しづつ、年をとってゆく。 絶えず人の手を加えてきたからこそ、村は何百年経った今でもこんなに美しいのだ。 エズヴィラージュが美しいのは、伊達や粋狂ではない。 暇をかけ、手間を惜しまぬ、こうした日々の気遣いあってこそなのだ。

うさぎの写真撮影を邪魔しないようにと気を使いつつ、 おじさんはホースを引き引き、水音と共に去っていった。 その後姿はいい味を出していて、 むしろ「写真を撮らせて!」とお願いしたいくらいだった。

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