ウブドの中心街を1キロほど南下すると、「モンキーフォレスト」と呼ばれる森がある。 読んで字のごとく、それは「猿の住む森」である。 そして、その森を抜けたところに、アラムジワのある「ニュークニン」村がある。
アラムジワに帰ろうと、
ウブドの中心サレンアグン宮殿から、南下するモンキーフォレスト通りを歩いていると、
いろんな人に声を掛けられた。
「ハロー? タクシー?」と、歩道の脇に並んでお客を待つおじさんたち。
どの顔もニコニコと愛想がいい。
「どこへ行くの? 車に乗っていかないかい?」
「この先のモンキーフォレストまで。でも今日は歩きたいの」
「ふーん、そうかい」
こちらが断っても、相変わらずその顔はにこやかなままだ。
道の向こう側に、うさぎは面白いものを見つけた。 家の建築現場だ。 こうした作業現場はいつだって面白い。 要所要所に立つ細い鉄骨を入れたコンクリートの柱。 なのに、大きな機械は見あたらない。 作業場の男たちは、その鉄筋コンクリートを繋ぐように、竹で足場を組んでいる。 鉄筋コンクリートと竹という組み合わせが面白くてカメラを向けると、 やはりそこに、作業の手を止めてニコニコとこっちを見ている人の顔があった。
よそ見をしながら歩いていると、道路側の下の方からにょっきりと細い腕が伸びてきた。
ぎょっとしてそちらを見やると、日本語で「オカネ‥」。
乳飲み子を抱いた女が、車の作る狭い影に身を潜ませて座っていた。物乞いだ。
「ノー」とこちらが反射的に答えると、彼女はがっかりするふうでも、
こちらを咎めるふうでもなく、早くも次のターゲットを探し始めた。
身なりは貧しいが、その様子に悲壮感は感じられず、或いはこれは、
「ちょっとここにバイトに来てみました〜」というノリかもしれないと、うさぎは思った。
家で子供をあやしていても一銭にもならない。
だったら街中に座って観光客相手に「オカネ」と一言言ってみるのも悪くはなかろう。
――それが彼女一流の働き方なのかもしれない。
暑い最中を10分も歩くと、さすがに疲れた。 モンキーフォレスト通りは森の手前でぐっと下り坂になり、 うさぎたちは森を目指して足を速めた。 森の入り口にたどりつくと、そこにはモンキーバナナを売る屋台が出ており、 一房"1万ルピー"(約150円)という法外な価格のバナナが飛ぶように売れていた。
それを一房買って森に入ると、ほどなくお猿に囲まれた。 サルたちは、こちらに背中を向けて遊びつつも、意識はこちらのバナナに注がれているらしく、 房から一つバナナをもぐと、タタッと数匹が寄ってくる。 そして一匹がそれを受け取ると、こちらからちょっと離れてそれを食らうのだ。 どうやら、こんなエサをもらったくらいで、 頭をなぜさせてやろうなどというサービス精神はないらしい。
けれど、ここのおサルたちはまだお行儀が良い方だった。 ウブド側の入り口に近いその小広い森の中の広場は、エサをやる観光客も多く、 サルたちも餓えてはいなかった。 けれど、そこを引き払ってニュークニン村方面へと森の中を進んでいくと、 僅かに残ったバナナをめがけて、おサルたちがとびかかってきた。 子どもたちが驚いてバナナを取り落とすと、それをひったくって逃走する。 まさに略奪である。
おそらくこの辺ともなると、観光客の数も減り、 入り口で買ったバナナも尽きてくるので、少ないパイの奪い合いとなるのだろう。 サルたちも生きるために必死なのだ。
「この辺のサルたちのために、もっとバナナを残しておけばよかったね」などと 言い合ううちにも、180センチ近い長身のきりんめがけて、一匹が飛びついてきた。 体を駆けのぼり、腕の先に持っていたバナナめがけて、ジャーンプ! その必死の形相には、ただそれを見ていたうさぎまで戦慄を覚えた。
もはや子どもたちはバナナを自分で持ちたがらず、 はやくばら撒いてしまいたがっている。 でもそうすると、大きなサルがみんな独り占めして食べてしまうのだ。
「バナナから手を離したらダメ! 小さなサルにやりなさい」 と子どもたちを叱りつけるきりんとうさぎ。 2人の思いはどちらも同じだ。 できれば残りのバナナは子供を抱いた痩せたサルにやりたい。 でも、子どもたちが恐る恐るバナナを差し出す側から、 それは別のサルに奪われてしまった。
「もうすこしバナナを買い足せないかなあ」などと思っていると、 買う者あるところに売る者あり、実にタイミングよく、バナナ売りのおばさんが登場した。 なので、またもや1万ルピーをサイフから出し、バナナの房をサルのために買った。 それは入り口で買った房よりも、ちょっと少なかった。 うさぎは「これはバナナ売りに足元を見られているな」と内心悔しがりながらも、 その数少ないバナナを、子どもたちに代わり、サルにやった。 きりんも、痩せたサル、子持ちのサルを選んでは、せっせとやった。
悲壮感のない人間の物乞いにはきっぱり「ノー」と言えたこの日本人夫婦も、 餓えたサルには案外甘かったのである。