Indonesia  バリ島芸術の村ウブド

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【 オダラン 】

お供え物の飾り

「オダラン」というのは、バリのヒンドゥー寺院の創立記念祭のことである。 バリにはおびただしい数の寺院があり、 その無数の寺院がバリの暦ウク暦にのっとって210日ごとに 数日間のオダランを行うので、 毎日バリのどこかしらでオダランが行われていると聞く。

プリルキサン美術館で木彫り教室を終えたうさぎたちはその晩、 予め頼んでおいた観光案内所の車でサレンアグン宮殿脇のスウェタ通りを北上し、 オダランを見学するため、とある小さな村にやってきた。

この辺りはライステラスが美しいことで有名なトゥガランタンと呼ばれる地域。 美しい景色にうっとりしながら窓の外を眺めていたら、 案内役のワヤンさんが気を利かせて
「ライステラスの写真を撮りたいですか? 何なら一旦、ここで車を止めますよ」と言ってくれた。
彼は見事な日本語を話す。 車の中では日本の流行歌を流し、 「こうやって日本語に磨きをかけているんです」と笑う勉強家である。

村の入り口で車を止めてもらい、 うさぎは道端の用水路を飛び越え、畑のあぜ道でカメラを構えた。 日没まであと数分。 ライステラスの向こうに見える黒ずんだ椰子の並木に夕日の赤さが滲んでいる。 こうしている間にも日はどんどん沈んで行き、辺りが暗くなってくるのが分かる。 この時刻にここを通ったことを感謝しながら、うさぎは急いで写真を撮った。

村の入り口の割り門の前には左右にそれぞれ 男性と女性を模した大きな人形が二つ並べられていた。 車を進めて割り門を抜けた道の両端には、 金色の小さなパラソルが差しかけられた小さな祠が並んでいる。 上を見上げると、高く掲げられた竿の先から飾りが下がっている。 いかにも祭りのムードである。
と、そこに、向こうから頭の上にお供え物を高く積み上げた女性の一群がやってきた。 驚いたことに彼女たちは、そのお供え物に手を添えることもせず、 見事な姿勢で悠々とこちらへ歩いてきた。

いよいよ辺りが暗くなってきた頃、うさぎたちは 駐車場で車を降り、 ワヤンさんが用意してきてくれた「クバヤ」と呼ばれるレースの上着を身に付け、 さきほど美術館の向かいの店で買った絹のサルンを腰に巻き、 最後に「スレダン」と呼ばれる飾りベルトを巻いて、 にわかバリニーズに変身した。 きりんも、クバヤの代わりに「サファリ」と呼ばれる男性用の上着を着、 サルンを巻いて、ウドゥンと呼ばれる頭巾を被った。

寺院の入り口は、 頭の上にお供え物を高く積み上げた女性たちでごったがえしていた。 おやおや、若い女性はさすがに手をお供え物に当てているようだ。
彼女たちは寺院に入ると、脇の台にお供え物を置き、一息ついた。 「近頃の若いもんは‥」などと年配者に思われているのではないかと 余計な心配をしつつ、お供え物を持ってみてよいかと、 うさぎは彼女たちに尋ねた。 英語を解する若い女性たちは、どうぞ、と言ってにこやかに微笑んだ。

お供え物をほんの少し台から持ち上げてみると、それは驚くほど重かった。 10キロまではないかもしれない。だけど5キロは確実にあるくらいの重さ。 米袋に通じる重さだった。 両手で抱えて家から寺院まで運べと言われても、ちょっとイヤかもしれない。

本当は、自分の頭の上にも乗せてもらおうと思ったのだが、諦めてしまった。 こんなのを頭の上に乗せたら、 一瞬だってまっすぐに立っていられる自信はない。 よほど平衡感覚がないと、 頭上のものを両手で支えることすらできないに違いない。 どんな姿勢なら地面に垂直といえるのか、 それを自分は知らないことに気がついたのだ。

お清めの会場には 高い天幕が張り巡らされ、地面にはゴザが敷かれており、そこに皆、 靴を脱いでペタリと座っていた。 やれ嬉や、ここはどうやら日本同様、「床に座る」文化圏らしい。 しかも、靴を脱ぐ文化圏でもあるようだ。 うさぎたちも祭壇から離れた後ろの隅に纏まって座った。

祭壇の前、脇などは、おびただしい数のお供え物がびっしりと置かれていた。 お供え物の隙間から僅かに、石やレンガでできた建築物や石像が見える。 きっと普段はここも、普通の寺院に違いない。 日本の神社やお寺と同様、地味な色彩の、殺風景な。 でも今夜のこの場は、ありとあらゆる色で華やかに彩られていた。 果物の色、花の色、台の前面に張られたどんずの金色や赤いパラソル、 そして皆が身に纏ったサロンやクバヤの色‥。

ワヤンさんが辺りを見回しながら、 「ここは豊かな村だなあー!」と溜息をついた。 「ほら、建築物に金と赤をあしらってあるでしょう? ああいう細工はものすごく金がかかるんですよ。 普通の村ではとてもそんな贅沢はできません。 わたしの村なんかじゃ絶対無理です」 その細工は、祭りのために用意されたものではなく、 いつもここにあるものなのだそうで、 確かにいかにもお金がかかっていそうな感じだった。 細かく細かく施されたレリーフ、そこに塗られた惜しみない金。 それはどことなく赤いベネチアングラスを思い出させた。

祭壇から最も遠いところに陣取り、皆を後ろから見守るブラーマナの号令のもと、 お清めの儀式が始まった。 うさぎたちも見よう見真似で祭礼に参加した。

それはこんな風にやるのだった。 まずは、額くらいの高さに手をあわせ、目を瞑って祈る。 そのあと、線香の煙をあてた花びらを指の先に挟んでは祈り、 また別の花びらを挟んでは祈り‥を繰り返し、 最後にもう一度、花を挟まずに祈る。 やがてやかんが回ってきて、その水を3回両手に頂いて飲み、 4回目は手で受けず、頭にかけてもらう。なんだか焦げ臭い水だ。 水の次は米で、10粒20粒ほどの濡れた米を、眉間に少し、首に少しつけ、 最後の3粒を飲み込むのだ。

こうしてお清めの儀式は終わった。 儀式が終わると、皆はゴザの上から退き、 自分の持ってきたお供え物を取りに行った。
うさぎたちも脇に退き、石像にもたれかかりながら 次のお清めの儀式の様子をぼんやり見ていた。

「ヒンドゥー教って、神様が複数いますよねえ」うさぎはワヤンさんに尋ねた。 「この寺院は、どの神様を祭ったものなんでしょう?」
「シワだと思いますよ」ワヤンさんは答えた。
その答えにちょっとたじろぐうさぎ。 「シワっていうと、あの破壊神のシヴァですか‥!」 どうも破壊神という名からして猛々しいイメージが思い浮かんでしまう。
けれどもワヤンさんは言った。
「破壊というのは悪いことではないんですよ。 古いものが破壊されないと、新しいものは生まれませんから。 この村には他に、シワの奥さんのドゥルガを祭った寺もあるようですね。 ほら、さきほど通ったこの寺の斜め向かい、あそこはドゥルガの寺ですよ。 シワは別に怖い神ではありませんが、ドゥルガはちょっと怖いかもしれません。 ドゥルガを信奉するのは、まじないなどを行う人で、 普通の人はあんまり寺に近づいたりもしませんからねえ」

村の女性がお供え物の一部をトレーに乗せて運んできて、 「どうぞ」と差し出した。 それは華やかなピンク色に着色されたパンケーキだった。

ほんのり甘いパンケーキをありがたく頂いていると、
「これから隣りの会場で、子供たちの踊りがあるのです。 もしよろしかったら、楽屋にご案内しましょうか」と誘われた。 二つ返事でついてゆくと、広い集会所の裏にある細長い楽屋に、 ものの見事に整った顔立ちの女の子たちが、ずらりと勢ぞろいしていた。 下は4歳くらいから、上は12歳くらいまで。 もともと大きな目のところにもってきて、目ばりを入れているので、 みんな顔中が目のようだ。

少女たちはお揃いの黄色い衣装を身に纏い、 頭に椰子の葉か何かを編んで作った帽子を乗せている。 よく見ると、それらは一つ一つ、みんな飾りが違う。 きっとお母さんに手伝ってもらって、自分たちで飾りつけをしたのだろう。

中に、他の子たちよりも一段と派手な帽子を被っている子がいる。 ネネが言った。 「あの子のお母さん、きっとママみたいなタイプなんだね」と。
「そうかも〜!」とうさぎは言った。 とかくこういう場になると、 わが子のためにやたら張り切ってしまうタイプのお母さん。 自分と同じそういうタイプのお母さんがバリにもいるんだと思うと なんだか嬉しい。

第一、この雰囲気からして、うさぎはよく知っている。 娘たちのバレエの発表会の舞台裏はいつだってこんな感じだ。 バリ舞踊、バレエと踊る踊りは違っても、 少女たちの晴れ舞台という点では同じ。 210日に一度のオダランはきっと、 年に一度のバレエの発表会のようなものなのだろう。

楽屋を辞し、広い客席に座って少女たちの踊りが始まるのを待った。 客席に座っているのは、ほんの10数名ほどの外国人観光客だけ。 けっして座るスペースが足りないわけではないのに。 それがちょっと不思議な気がした。

数十人の少女たちが登場すると、それはそれは華やかだった。 成人男性のガムラン部隊を背後に控え、その音楽に合わせて舞う。 会場の左右に置かれた大きなライトの光が、彼女たちの金色の衣装に反射する。 小さい子もよく踊りの順番を覚えていて、決して間違えたりしない。 どの子もみな上手だな、と思っていたら、ネネがこそっとつぶやいた。
「バリダンスにもやっぱり、特別上手な子と、そうでもない子がいるのね」と。
「どこの世界も同じね」とうさぎは笑った。

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