Malaysia  ペナン島

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【 されどマレーシア 】

バスに乗り込むと、他に二組ほど客がいた。若いOLさんたちと40代後半の夫婦。 今日の係員はサムさんという、やはり中華系の人だった。この人も日本語が達者である。

ネネとチャアはバスに酔ってすぐに眠ってしまった。
うさぎは他の3人同様、最初はバスの中ほどの席に座っていたが、道程の半ば、 ちょうどバスがジョージタウンの脇を抜ける頃、前の方に席を移った。 なぜって、前の方でサムさんが、窓から見えるものについて解説していることに気づいたからだ。 彼はマイクを握っていたが、近くでないと聞こえにくい。 彼は専ら、自分のすぐ後ろの席にいる中年夫婦に向かって話をしていたのであり、その旦那の方が、 適当な質問をしては彼の話をうまく引き出すのに成功していた。

――これは、是非うさぎも話に混ぜてもらわなくっちゃ。そう思って、うさぎは中年旦那の隣の席に移った。

来る時もそうだったが、うさぎたちが通っている道は混んでいた。 前も後ろも車だらけ。大渋滞というほどではないが、時折車の流れが滞る。 周りを走る車は日本車が多く、車種は日本と変わらない。 車の税金が高く、特に排気量の多い車の税金は法外なので、小型の車が好まれるのだそうだ。 中にはベンツなども走っているが、それは大金持ちの車。庶民は専ら小型車なのだそうだ。

また、車を持てない層もいる。月収が5万円程度だと車を買う余裕はなく、代わりにバイクを購入するのだそうだ。
道理でバイクの数も多い。 しかも、2人乗りは当たり前、3人4人と、一家で一台のバイクに乗るのがマレーシアのスタイルだそうな。 車にはない利便性を買われている日本のバイクとは異なり、この国ではバイクは車の代用品なのだ。

月収が10万を越えると、物価の安いマレーシアでは、車も保有できて、それなりの暮らしを営めるそうだ。 マンションは500万円位で購入できる (エデンフェリンギ・リゾートホームズは1000万円だったから、高級な部類だったのか?) 。
マレーシアの家庭は3人から5人の子供を持つのが普通で、政府も5人くらいの子供を持つのが望ましいと考えているそうだ。 何となく「産めよ増やせよ」の富国強兵政策を思い出す話ではある。

マレーシアで問題なのは、医師と病床数がまったく足りないことで、そのせいで平均年齢が60代と低い。 医師は全国で1700人しかいないと言う。 うさぎたちがおととい煩わせたのは、この国の1700分の1の貴重な医者の手であったのだ。

マレーシアの誇りは人種問題と宗教問題がないことだ、とサムさんは言った。 異なる宗教を持った異なる人種がマレーシアでは共存している。
「ただ、人種によって貧富の差、ある。これ、いけないね」とサムさん。 「みんな同じくらい金持ち、これがいいね」と中国人らしい日本語で説明する。

多種多様な人種と言葉を持つマレーシアでは、複数の言葉を操ることが良い職に就く最初の条件で、 だから「"明るい"親」は子供に語学をたたき込むのだという。
「だから、親が"明るい"と、子も"明るい"ね」とサムさん。変な日本語だが、ニュアンスは分かる。 彼の言う"明るい"とは、"インテリジェントな"とか"恵まれた"、或いは"成功した"といったところか。
「中国語、マレー語、英語の三つが出来るといいね」と彼は言った。 彼自身はこれら3つの言語に加えて、日本語までを操る。
「それじゃ、あなたはさぞかし"明るい"でしょうね」とうさぎが言うと、彼は謙遜して笑った。

ちょっと意外なのは、この国では義務教育がないということだった。子供を学校にやるもやらぬも親の自由意思。 「みんな同じくらい金持ち」にしたいなら、義務教育で均一な教育を施したらいいのに、とうさぎは思うのだが。

「あれは企業が社員を迎えにくるバス」
脇に走っていた旧式のバスを見て、サムさんが言った。この経済危機の中でもマレーシアでは人手が足りない。 ヘッドハンティングは相変わらず活発で、企業は競って勤務環境を良くする。 会社が従業員を、家まで迎えにくるのもその一つというわけだ。
もっとも、人手が足りないと言っても、それは何かの技能を持った人間に関しての話だろう。 来るか来ないかわからない客を日がな一日、強烈な日差しの中で待っていたトライショーのおじさんたちを思い出し、 うさぎは考えた。

「企業の中ではエレクトロニクスの人気が高く、雇用の安定している日系企業の人気が高い」とサムさんは言った。 日本人のうさぎたちに対するおべんちゃらとも取れなくはないが、 アメリカの企業は給料は高いものの潰れやすいのだそうだ。
あと、面白いのが、給料の高い職業では、同じ人種ばかり雇ってはいけない法律があるという話。 どうやら、これがいわゆる「マレー人優遇政策」というやつらしい。 実力本位では、どうしたって教育熱心な中華系が珍重される。 けれどもそれでは多数派のマレー人の妬みや反感を買うので、別枠を設けるわけだ。

空港に近づいた頃、サムさんは言った。
「マレーシアは貧しい国ではないよ。資源があるから。錫、金、石油が出る」
錫と金はともかく、石油が出るとは初耳だった。けれど「ボルネオ島付近に海底油田がある」と聞いて合点がいった。 お隣のインドネシアが有数の産油国であることを思い出したのだ。

「どうしてマレーシアで石油が採れるか、分かりますか?」

とサムさん。
「どうして‥って――」、中年旦那とうさぎはどう答えたらいいのか分からず、言葉に詰まった。
すると、サムさんが得意そうに言った。

「それは、アラーに一日5回もお祈りしているからでーす!」

ああ、そういうこと‥。
「アラーに祈る国はどこも石油が出るね。石油はアラーの恵み。オフィスアワーは8時から5時。 その間に2、3回、お祈りタイムを取ることがマレーシアでは認められています。 みんなでお祈りするから、石油が出るね」そう言ってサムさんは笑った。 彼は中華系だから、アラーの神に祈ったことなどおそらく一度もないのだろうが。

サムさんと話したバスの中の30分は本当に楽しかった。 うさぎは彼の話を聞いているうちに、この国に住む彼がちょっと羨ましくなった。 ――なぜなら、マレーシアには明るい未来があるからだ。
今はまだまだ貧しいけれど、この国の先行きは、なんと明るいことだろう。 高齢化社会の重みがどんどん増していく憂鬱な将来しか思い描けない日本と比べて、この国の青春はこれからだ。
若者がどんどん技術を吸収し、子供たちはどんどん大きくなる。 経済危機で躓いてはいるものの、基本的にはこの国の前途は洋々で、豊かになるばかりの未来を思い描いている。 まるで日本の戦後、高度成長期のように。

成功への第一歩は、まず三つの言語が操れること。
そして次に、外資系のエレクトロニクス企業に見初められること。
成功したら、バイクを捨てて車を買う。そして子供によりよい教育。

何を成功と呼び、何をそう呼ばないかは、経済という唯一の視点で厳密に定義され、努力の方向は常に明確。
何をすべきか、何をしたいかなどと思い煩うことなく、国を挙げて、輝かしい未来へと走っていける。 ――マレーシアはそんな国でもある。

今の日本は、そろそろ学歴社会がバカバカしくなりはじめている。 何を学んだらより豊かになれるのか、どんな努力をしたら人よりも抜きん出られるのか。その答えはすべて霧の中。 高度成長期時代の均一の価値観がいまだ亡霊のようにさまよう中、 それでも負け惜しみ的に「自分らしさ」を捜さねばならないその辛さ。

時には「均一の価値観」にダマされて、皆で一緒の未来目指して走ってみたくもなる。
マレーシアのように――。

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