Palau  パラオ

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【 二人のキアリー 】

シニアシチズンセンター

次にうさぎたちがやってきたのは、シニア・シチズンセンターだった。 読んで字のごとく、シニアシチズン(老人市民)の集いの場だが、 同時にここは、ガイドブックにも載っている観光スポットでもある。 ここにくれば、高齢のご婦人たちが葉を編んでバスケットを作る様を見学できるからである。 併設されているギフトショップで彼女たちの作品を買うこともできる。 要するにここは、常時バザーを開催している老人施設なのである。

クッキー工場から少しばかり歩いてここに到着したのは、ちょうどお昼ごろだった。 シニア・シチズンセンターはお昼休みの最中で、 入口に「お昼休みの時間は、部外者はご遠慮願います」という注意書きがあった。 ギフトショップもしまっていた。

昼休みが終わるまであと20分くらい。 仕方がない、その辺で待つか。 うさぎたちは強い日の光を避け、近くのカヌー作り作業場の大屋根の下で休むことにした。

するとそこに、女の子が二人やってきた。 ニコニコしながら、大きいほうが話しかけてくる。
「こんにちは。ここで何をしているの?」

「シニアシチズンセンターのお昼休みが終わるのを待っているのよ」 うさぎは答えた。
「ふーん、どこから来たの?」
「日本よ。あなた方は姉妹?」
「そう。わたしは9歳。この子は5歳なの。 ‥ねえ、その足、どうしたの?」

どうしたもこうしたもない。 ここは蚊が多い。 しかもその蚊は日本の蚊の何倍もパワフルで、一度にどっさりと人の血を吸っていく。 それを叩いて退治していたら、吸われた血で、足が血だらけになってしまったのだ。 でもこれを英語で説明するのはちと難しい。 うさぎは言葉に詰まった。

「‥ねえ、わたしたちの写真を撮ってもいいわよ」 姉のほうが出し抜けに言った。
「そう? じゃあそこに立って」

二人は柱を背にして立つと、よそ行きの顔で微笑んだ。 二人とも、実に整った顔立ちをしている。 お姉ちゃんのほうは日本人に良く似た細面のすっきりした顔立ち、 妹のほうは、こぼれおちそうに大きな目をしている。

「見せて!」 写真を撮りおわると、彼女は言った。 今の子にとって、写真っていうのは撮ってすぐに見られるものらしい。 うさぎはデジカメの液晶を見せてやった。

「ねえ、写真ができたら送ってね」
「ええ、いいわよ。住所を教えてくれればね」うさぎが手帳を差し出すと、 彼女はそこにきれいな字で住所と名前を書き込んだ。 名前はキアリー、姓はなんと日本姓だ。 住所は短い。パラオ、コロールの次はもう4桁の私書箱の番号だ。 こんな短い住所で、世界中どこからでも郵便を受け取ることができるのだな、この子は。

◆◆◆

キアリーたちと別れると、ちょうどシニアシチズンセンターのお昼休みが終わる時間になっていた。 屋根はあるが窓はない、土間の素朴な建物だ。 ベンチで食事を取っていたご婦人たちが、長い葉の散らばった作業台の上に戻り始めていた。

作業台の近くへ行くと、一人のおばあさんと目が合った。 軽く会釈すると、「どこから来ましたか?」と、 まったく日本人と見分けのつかないお顔立ちから、きれいな日本語が返ってきた。
「日本です」
「日本のどこですか?」
「横浜です。日本語がお上手ですね! 日本人でいらしゃいますか?」うさぎは驚いて尋ねた。

「いいえ、わたしは、戦争のとき、リジ館で働いていたのです。 日本に行ったこともありますよ。 戦争が終わったあと、娘がアメリカ人と結婚しましてね、娘に会いに行きました。 4ヶ月いましたよ。 そのあと娘はアメリカに行ってしまったので、一度しか行かれませんでした。 横浜にも行きましたよ。熱海にも行きました」

「長男はベトナム戦争で、腹膜炎で死にました。生きていれば今‥57歳くらいです。 22歳のときに産みました」 そうすると、この方は、おん歳79歳であろうか。

「揚げバナナを持ってきましたよ。どうぞ召し上がってください」 とタッパーを差し出されたので、一つもらって食べた。 「揚げすぎて黒こげになってしまいました」 と彼女は笑い、確かにまったくその通りではあったが、甘くておいしかった。

バナナを見ながら彼女は話を続けた。
「戦争中は、兵隊さんが家の前を通ると、 "おねえちゃーん、なんかないかいな〜? バナナちょうだーい!" と言いました」 兵隊さんのセリフだけ、突然ざっくばらんな言葉に変わった。

「でも、戦争末期は、食べ物がなくなりました。 兵隊さんも食べ物がないことを知っていましたから、 何もいわなくなりました。」

「でも、あるとき、リジさんが聞きました。 "食べ物は何も要りません。ただ、お水を一杯ください"とリジさんは言いました」

「かわいそうでした。とてもかわいそうでした。 それからまもなく、リジさんは、痩せて亡くなりました。 何も食べるものがなくて、本当にかわいそうでした」

彼女は何度も、「かわいそう」を繰り返した。 うさぎは涙が出そうになった。 でも、その"リジさん"(領事さん?)は、 彼女から食べ物を搾取してまで、自分が生き延びようとはしなかった。 だからこの国の人たちは、今でも親日的なのだ。

彼女はふと話をやめ、うさぎが手にしたカメラに目を留めて尋ねた。
「わたしの写真を撮りますか?」
「いえ、ここで写真を撮るには、係員の許可が必要ですよね。入口に書いてありました。 係りの方がいらっしゃればいいのですが、まだ昼食に出ているようですね」
「では、外に出ましょうか。外に出れば、決まりは関係ありません」
「でも‥」 うさぎは躊躇した。そりゃあ写真があれば記念になるけれど、 わざわざお年寄りを入口まで歩かせ、暑い外に連れ出すほどのことだろうか。 「あとで、係りの方が帰っていらしたら、許可を取ります」 とうさぎは答えた。

しばらくすると、係員が帰ってきたので、早速うさぎは写真撮影を申し出た。
「何枚撮るつもりですか? 使用目的は何?」 厳しい調子で係員が聞いた。
「ほんの2、3枚‥か、もしかしたら4〜5枚。ただ私個人の思い出のためです」
「思い出のため? 本当にそれだけですか?」
「はい、単に、自分の思い出のためです」 うさぎはウェブサイトでの使用を諦めて、言った。
「よろしい。許可しましょう。但し、3枚までです。個人の思い出にそれ以上は必要ありません」

うさぎはおばあさんの元に舞い戻ると、今度こそ、カメラを構えた。 写真を撮りおわると、おばあさんは言った。 「写真ができたら、送ってくださいね」

「ええ、いいですよ。ここに住所を書いていただければ」とうさぎは手帳を差し出した。 つい最近、どこかで見たようなやり取りだ。

「わたしは字が上手に書けないんですよ。わたしが言いますから、あなたが書いてください」 彼女は照れた様子で言った。 「名前はキアリーです」

「えっ、キアリーさんとおっしゃるんですか?!」うさぎはびっくりした。 今日二人目のキアリーだ。 綴りは一人目のキアリーとだいぶ違っていたが、 RもLもいっしょくたのうさぎにしてみれば、どちらも"キアリー"だ。

◆◆◆

後に、日本に帰ってきたあと、しばらくして、 同じ日に同じ場所で出合った二人のキアリーに、それぞれうさぎは写真を送った。 79歳のキアリーには写真のほかに扇子を入れ、9歳のキアリーにはビーズを入れて送った。

9歳のキアリーからは、返事が来た。 きれいな字で書かれた、とてもきちんとした手紙だった。 もう一人のキアリーの日本語と同じくらい、きちんとした英語だった。

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