「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥー?」
それが、その人がうさぎに向かっていった最初の言葉だった。
四日目に参加したカヤックツアーでのこと。 使い捨ての防水カメラを持っているのを見て、うさぎが、 「そのカメラ、わたしのとお揃いですね!」と自分のを見せたときのことだ。
ハウ・ドゥ・ユー・ドゥー。 「はじめまして」と挨拶されたのだろうか。 でもそれにしては、顔が笑っていない。 彼は困ったような顔をしながら、自分のカメラを差し出ししていた。
ハウ・ドゥ・ユー・ドゥー。 「これ、どうやるの?」 そういう意味だと、次の瞬間、合点した。 彼は、フィルムの巻き上げ方を知りたかったのだ。
彼は台湾人。 奥さんと一緒に、なぜだかうさぎたちと同じ、日系会社のカヤックツアーに参加していた。 名前を李さんとおっしゃる。
今日のカヤックツアーは、総勢8人。 李さん夫妻と、うさぎたち4人、それに若い女性ガイドさんと運転手のおっちゃん。 おとといのカヤックツアーと同じメンバー構成だ。
ただし、船はおとといよりずっと小さい。 カヤックツアーだというのに、そのカヤックが、船のどこにも見当たらない。
二度もカヤックツアーに参加したのにはわけがある。 カヤックに参加したかったわけじゃなく、パラオのみどころを一日で回りたかったのだ。 見どころを見て回れる日があと一日しかないことに、昨日になって突然気づいた。
「すみません、ミルキーウェイと、ロングビーチと、ジェリーフィッシュレイク、
一日で全部回れるツアーってありますか?」
と、うさぎはツアー会社に電話で聞いたものだった。
「そういうご希望でしたら、カヤックツアーに参加されてはいかがでしょうか。
ミルキーウェイとジェリーフィッシュレイクはもともとツアーの行程に入っていますし、
ロングビーチはリクエストベースということで、いかがでしょう?」
カヤックツアーときくと、うさぎの胸は躍った。 やった! またカヤックに乗れる! 探検できる! 電話を切ると、早速きりんに報告した。 「またカヤックに乗れることになったわよ!」と。 きりんも大喜びだ。 彼はカヤックを漕ぎに、パラオへやってきたのだから。
――そんなわけで、前回は南のロックアイランド方面へと向かった。 カヤックポイントは、ウルクタープル島いう、豚肉の細切れみたいな形の大きな島の近くだった。
ネコの額ほどの砂浜近くに船が停泊すると、 ガイドさんは砂浜に降りて、木の陰からカヤックを4槽、引きずり出してきた。 なーんだ、こんなところに隠してあったのか。
このカヤックはオールが短い。オールで掻いた水が体にかかり、 瞬く間にびしょぬれになった。 きりんに反対され、愛用のカメラを持ってこなかったが、 それで正解だったかもしれない。
ガイドさんを先頭に、岩山に沿って進む。 きりんとチャアが二番手、李さん夫妻はしんがりだ。 彼らは景色にカメラを向けながら、のんびりと漕いでいる。 手にしているのは、えらく値の張りそうなニコンのデジ一。 さっきの使い捨てコダックは、シュノーケリング用らしい。
人がカメラを持ってきているのを見ると、なんだか悔しい。 やっぱり自分も愛機をもってくればよかったかと、後悔がチラリ。 それともやっぱりPPRのフォトショップでまたハウジングつきのカメラを借りてくるべきだったかな。 ああ、あの岩肌のウツボカズラ、12倍ズームがあれば撮れるのに‥。
突然、沿って漕いできた岩山の下のほうに、ぽっかりと穴が開いているところを発見! ガイドさんはカヤックごと、穴の中に入って行った。 チャアたちのカヤックがそれに続く。 きりんの頭は天井スレスレ。 気をつけないと、頭をぶつけそうだ。
穴をくぐった先は、まるでファンタジー映画にでも出てきそうな景色だった。 ああ、愛機を持っていないのがつくづく悔やまれる。 使い捨てカメラでこの景色を撮らねばならないわが身が悲しい‥。
くぐってきた穴以外は、四方八方、全部高い山に取り囲まれた秘密の湖。 そこには独特の雰囲気があった。 南国のパラオにあって、どこか涼しげな風情。 透き通った水、濃い緑。ツンととりすました感じで、なんともスマート。 うさぎは一瞬、暑さを忘れた。
おそらく、カヤックで人間がここに入れるのは、潮が高すぎも低すぎもしない時だけだろう。 潮が高すぎては穴が水没してしまうし、低すぎると水深が足りない。 一定の条件を満たしたときだけ秘密の扉が開かれるとは、 まさにファンタジーの世界ではないか‥!
李さん夫妻はまだ外にいる。
うさぎは一旦穴の外に出ると、穴を指さしつつ、遠くの彼らに向かって叫んだ。
「おーい! こっちに来てごらん! ここに穴が開いていますよー!」
それを聞いて、ガイドさんが言った。 「大丈夫ですよ、急かさなくても。時間はたっぷりありますからね」
――ううん、そうじゃないの。 早く見せてあげたかったの。 彼らにこの景色を。