常にネットの存在を感じていた旅だった。
国を離れていることより、ネット環境から離れていることが寂しかった旅だった。
その反面、誰かと一緒に行ったわけではないのだけれど、
そして実際は誰にも遭わなかったけれど、
ネット仲間の誰かにもしかして会えるかも、という期待に胸が躍った旅だった。
インターネットの世界は、普通の世界とまた違った距離感を持っている。
日本にいながらにして、世界各地に散らばった人と
気軽に掲示板やメールでおしゃべりができるのが不思議で素敵でネットにハマった。
ブロードバンドを導入してからは、
パソコンを立ち上げさえすれば常時世界とオンラインで繋がり、
電話代すら掛からないのが当たり前になってしまった。
だけど、シンガポールのような小さな国に一緒にいても、
ネットなしでは連絡の取りようもないという事実に今回の旅で気がついた。
よし、ネットができたとしても、接続するのにお金がかかる。
つい1年前までは、当たり前だった距離感をにわかに取り戻し、ちょっと頭が混乱した。
帰国してから、シンガポール在住のMarkyさんの掲示板に書き込むのに、 「ただいま!」と書きそうになって可笑しくなった。 シンガポールの街に並ぶたくさんの住宅の窓を眺めながら 「このうちの一つにMarkyさんが住んでいるかもしれない」と思った時よりも、 日本とシンガポールに離れていてもネットで会話できる今の方が近くに思える。 そして、シンガポールで住宅の窓を見上げていた現実は、 なんと物語めいて感じられることか――。
「次に旅行に行くときは、絶対モバイルを買って持っていきたい!」
ラサセントーサの部屋でネット接続用の端子を見たとき、そう思った。
だけど今考えると、ネットに甘やかされていたのでは、
旅は旅になりえないかもしれないと思う。
異境の地に身を置く心細さに耐えてこそ、外に目が向く。
ネットで触れ合うことができなかったからこそ、
AliceさんやMarkyさんの姿を目で探そうとした。
自分の目の前にある世界しかないから、その世界を一生懸命見ようとした。
ANAホテルで"きりんとうさぎ"が呼び出せなかったときはがっかりしたけれど、
自分の"HOME"をいつもポケットにしのばせていなくたっていい。
時には家から離れるのもいいではないか。