Turkey  トルコ周遊

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【 二つの顔 】

バスの車窓から

今回は添乗員つきのツアーで、特にハプニングもなかったので、旅行記は詳しくは書きません。

でも一つだけ、書いておきたいことがあります。 それは、バス移動中に見たビデオのことです。

トルコへの理解を深められるようにと、バスの車中で、ガイドさんがビデオをかけてくれました。 NHKの新シルクロードシリーズのトルコを扱った回で、 「トルコ横断1800キロ」という題名でした。

印象的だったのは、アタチュルクがたくさんの民族に団結を呼びかけ、その結果、一つの国家として独立を成し遂げた、という話です。 へええ、そうだったんだ、と思いました。 トルコって、多民族国家だったんですね。 なんとなく、トルコの人々はトルコ人とクルド人に大別されるのだと思っていました。

また、これまではトルコ人がクルド人を虐げているようなイメージがありました。 クルド人が独立を望んでいるのなら、トルコ人が独立を認めればいいのに、と思っていた。 それをさせないのはトルコの横暴だと思っていました。

でもこのビデオを見て、「民族・文化の細かい違いはさておき、トルコの名のもとに一致団結するほうがいいのでは」と思いました。 団結の呼びかけに応え、一緒に独立しておきながら、いまさら離脱しようなんて、クルド人の身勝手だと思ったのです。

兵役で若い息子を失った母親が悲しんでいる場面もありました。 トルコには2年間の兵役があるそうです。 その人の息子はその兵役中に東部の国境付近の紛争地帯で命を落としたのです。

小さな民族の差に寛容になり、紛争がなくなって、トルコという国として纏まれば、こんなこともなくなるのに。 トルコの兵役で息子を失って悲しむ母親がいるということは、クルド側だって同じように息子を失う母親がいるはず。 戦争がなければ命を落とすこともないのに。 このビデオを見て、そんな風に思いました。

いろいろ疑問が湧いたので、ビデオを見たあと立ち寄ったレストランで、 話のついでにガイドさんに尋ねてみました。

「クルド人って、自分のことをどう認識しているんでしょう? 自分はトルコ人だと思ってるのかな、それともクルド人だと思っているのかな」と。

それは一番知りたいことでした。 わたしは日本人から生まれ、日本人として育ち、国籍も日本人。 日本語を話し、生まれてからずっと日本に住んでいる。 アイデンティティは全て「日本人」の一言で片付けられる。

でもトルコには、クルド人として生まれ、クルド語を話し、だけど国籍はトルコ、という人もいる。 それってどういう感じだろう。 そういう場合、自分のアイデンティティをどう認識するのだろう。 単純に疑問に思ったのです。 だからあっけらかんと聞いちゃった。

でも、わたしがそう聞いた途端、それまで普通に話していたガイドさんはまるで何も聞かなかったかのように、すうう、と向こうへ行ってしまいました。

あれ、用事でも思い出したのかな、あとで帰ってくるかな、と思ったけれど、帰ってこない。

それで、「どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい」と気づきました。

一つありえそうなのは、ガイドさん自身がクルド人だったのでは、ということです。 東部のワン湖の近くで、たくさんの兄弟と一緒に育ったと言っていましたから。 わざわざヒントになるようなことを言うからには、クルド人だと気づいて欲しいのかな、とも思った。 だからこんな質問を投げかけてみた、というのもあります。

でもそこはバスの中じゃなく、レストランだった。 ガイドさんとすれば、日本人しかいないバスの中なら構わなくても、 他にトルコ人のいるところでクルド人と知られるのは避けたかったのかもしれません。

このガイドさんの行動で、ビデオで見て抱いた感想ほど、ことは単純ではないらしい、と気づきました。

◆◆◆

この一件が帰国後も忘れられず、何冊かクルド問題に関する本を読みました。 また、バスの中で見たNHK特集「トルコ横断1800キロ」をもう一度見たいと思い、検索をかけました。

すると、思わぬことが分かりました。 バスの中で見た「トルコ横断1800キロ」はNHKが最初に放映したオリジナルではなく、トルコ政府からの抗議により作り直されたものだった、ということです。

NHKで放映された当初は「“希望”の門 トルコとクルド・2つの思い」という題名で、内容も違っていたそうです。 けれども駐日トルコ大使からNHKあてに「一方的でテロ組織の活動を正当化するもの」と抗議が届き、NHKが作り直した。 その結果出来上がったのが、わたしの見た「トルコ横断1800キロ」だったようです。

複雑な思いでした。 もし最初のオリジナルを見ていたら、どう自分は考えただろうか。 「トルコという国として一致団結すればいいのに」と単純に思っただろうか。

「一方的」といえば、あの改変されたビデオこそ、一方的なのではないか。 わたしはあのビデオを見て、それまで持っていたイメージまでも覆し、トルコ政府側の見地に立ったのだから。

もしかしたら、わたしたちがあのビデオを車中で見たこと、これもお上のお達しかもしれません。 トルコにやってくる日本人団体観光客には必ずあのビデオを見せることになっているのかもしれない。

まあ見てよかったとは思います。 結果的に報道に踊らされる怖さを知り、本当のところはどうなんだろう、と考えるきっかけができたから。

でももし、ガイドさんにあの質問をしていなかったら・・・。 わたしは今も、トルコ政府の手のうちにいるのかもしれません。

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