Minnesota  ホストマザーに会いに

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【 オーバーブッキング 】

夕焼け

搭乗の始まる30分ほど前だっただろうか。 搭乗口のソファでだらけていたらアナウンスがはいった。曰く、

「ノースウェスト28便サンフランシスコ行きはオーバーブッキング状態にあります。
明日の同便にお振り替えのお客様には、
400ドルおよび成田でのご宿泊をご提供させていただきます。
ご興味のあるお客様は14番ゲートの係員までお申し出ください」

うさぎはソファから跳ね起き、きりんに言った。
「ちょっと、今の聞いた? 400ドルだって!」
きりんはアナウンスを全く聞いていなかったらしい。 「なにが400ドルだって?」とのんきな顔をしている。

「ねえ、明日の便に振り替えるなんて‥無理よねえ。 でも400ドル×4っていったら、16万円以上よ!」
「無理だって。レンタカーだって予約しているんだし」とすげないきりん。 でもうさぎは、何とかこのオファーを受けられないかとなおも考え続けた。 「ねえ、私だけ先に行こうか。 わたしはマムに早く会いたいけど、パパたちは1日短くても実害はないでしょ。 パパは子どもを連れて明日来る。 レンタカーのほうはわたしが何とかするから。そしたら12万円よ、12万円!」 30万円かけた航空券代のうちの12万円が帰ってきたら、どんなにいいだろうとうさぎは思った。

「でも一体、このオファーって一体、何名募集しているのかしら。 ほんの1人か2人かもしれない。オーバーブッキングって、そうそう数が多いわけはないものね」
ゲート前の様子を窺うと、誰一人係員に話しかける様子もない。 今ならまだ間に合うかも? でも、乗り継ぎがあることを考えると、二手に分かれるというのも不安なものがあった。 それで結局、この話はうやむやなままに終わった。

ところがその30分後、またアナウンスが入った。まずは英語で。 ネネと話し込むきりんを「シッ」と黙らせるうさぎ。

「アテンションプリーズ、
ノースウェスト28便サンフランシスコ行きは10名のオーバーブッキング状態にあります。
サンフランシスコでお乗り継ぎのお客様で、
ミネアポリス経由もしくはデトロイト経由便に振り替え可能な方には、
ビジネスクラスをご提案させていただきます。
ご興味のあるお客様は14番ゲートの係員までお申し出ください」

‥と言っているような気がする。なんと、さっきのは軽いジャブであったか。 こっちが本番だ。
「ちょっと! 10名の募集だって! しかも直行便! とにかく話を1度話を聞きにいなかくちゃ!」 英語のあとに入った日本語の放送半ばに、うさぎはそういうとソファから立ちあがった。 終いまで聞いてゆっくり内容を確かめているヒマはない。 すでにゲートへ向けて歩き始めている人たちの姿がちらほら。 これは早い者勝ちである。

案の定、うさぎがゲート前に到着したときにはすでに、5、6人の人々がそこに群がっていた。 1番前の人が英語で、デトロイトがどうのこうのと係員に話しかけている。 さっきのオファーには誰も飛びつかなかったのに。

順番はなかなか回ってこなかった。 うさぎはイライラしながらそれを待っていたが、係員が1人、ゲート前のカウンタから出てきて となりの米国人が「メンフィスへ行くんですが、デトロイト経由で」と切り出した機会に、自分も 「わたしはミネアポリスへ行くんです」と言った。 この「ミネアポリス」という言葉を聞くと、それまでのんびりしていた係員の態度が急に変わった。 となりの米国人に、「すみません、ミネアポリス便が先ですので」と断ると、 きりんの手から搭乗券とバゲージタグを受け取り、電話交渉に入っていった。

その姿を見ていたうさぎの胸は高鳴った。 ミネアポリス行き直行便は、取りたくても取れなかった便だった。 直行便のみならず、シアトル経由もポートダグラス経由も、ロサンゼルス経由も、すべて満席で取れなかった。 最後の最後でやっと取れたのが、このサンフランシスコ経由便だった。 それが、直行便の、しかもビジネスクラスで行かれるなんて‥!

ミネソタへのフライトは約12時間。 子供たちにとってこんなに長いフライトは初めて、 うさぎ自身、フライトが10時間を超えると、叫びだしたくなる自分を知っている。 とにかくこの長時間フライトが不安だった。 でもビジネスクラスなら‥。 それまで不安だったフライトへの不安が一気に吹き飛んだ。

ところが、意外な展開が待っていた。 電話で応対していた係員が戻ってきてこう言ったのだ。
「申し訳ございません、先方に断られてしまいました。お預かりしたお手荷物の積み下ろしが間に合わないようです」
ああ、いつもなら預けない手荷物を今回に限って預けたばっかりに‥。 うさぎはホゾを噛む思いだった。

けれども係員は続けた。
「もしよろしければ、デトロイト経由でいかがでしょうか」
うさぎときりんは顔を見合わせた。 「ミネアポリス到着時刻は何時になりますか?」きりんが尋ねた。
「サンフランシスコ経由と比べて約10分遅くなります」

たった10分‥!
「ではデトロイト経由便で」と一も二もなくきりんとうさぎは言った。 デトロイトの場所を頭に描きながら。 フライト時間はシスコ経由に比べて多少長くなるかもしれないが、 たいしたことはない。ビジネスクラスに乗れることを考えたら充分ペイできるだろう。 ‥いや、ペイできるかどうかということよりも、 うさぎはここまで来た以上、とにかくこの変わった体験を勝ち取りたい気分になっていた。 考えてみれば、デトロイト空港での乗り換えは予習をしておらず、不安でないこともない。 でもそれが何だというのだ!

係員が手続きに行ってしまうと、うさぎはソファに待たせてあるネネとチャアを呼びにいった。 デトロイト経由便だってそろそろ搭乗かもしれない。 直行便の例もあって、ぐずぐずせず、いつでも動けるよう準備万端整えておかなければ このラッキーを取りのがすかもしれないような気がしたのだ。

「別の飛行機のビジネスクラスでいくことにしたから」とうさぎが言うと、
「ビジネスクラスって何?」とチャア。
「リクライニングがいっぱい倒せて広い席だよ〜♪」
「でもアメリカにつくのが1日遅れるんじゃないの?」
「それはさっきの話。これは10分しか違わないの」
「ママ、1人400ドルもらえるんなら、チャアに半分ちょうだいね」
「だから〜、それはさっきの話で、これはビジネスクラスへのアップグレードなんだってば」
「ビジネスクラスだと機内食も違う?」とネネ。
「おお、違いますとも。お皿が陶器よ、陶器!」
みんなですっかり盛り上がってしまった。

ところが、またしても意外な展開が待っていた。 かなり待たされた挙句、 「申し訳ございません。デトロイト行きも3人分しかお座席があいておりませんでしたので、 元の券をお取り直ししておきました」と係員が言ったのだ。
ひゅるるるる〜〜〜。このときの4人の間抜け面といったら、なかったと思う。 思わぬフェイントをかけられ、「はあ、そうですか、分かりました」と言うのがやっとで、あとは わけのわからない笑いだけがこみ上げた。

うさぎたちの申し出を受けずとも、どうやらオーバーブッキングも無事解消されたようだ。 搭乗がすでに始まっていた。 搭乗する際、チャアが言った。

「あー、疲れた。なんだかアメリカに着く前から疲れちゃったよ」

それを聞いてネネも言った。
「あたしも。すっごい疲れた」

まったくだった。 うさぎもきりんも、心拍数が上がったり下がったり、この30分間にさんざエキサイトと落胆を繰り返し、 なんだか飛行機に乗るまえからぐったりしてしまった。

◆◆◆

実はこの話には続きがある。

それは満席のサンフランシスコ経由エコノミークラスの狭い席で、 オーバーブッキング事件の興奮をメモ帳相手に叩きつけ終わってしばらくたったときのことだった。 リクエストしておいた子どもたちのチャイルドミールがサービスされていないことにうさぎは気づいた。

「すみません、チャイルドミールをリクエストしたはずなのですが」と青い目の乗務員に尋ねると、 「ないようです」とのそっけない返事。 そこで今度は日本人乗務員に同じことを尋ねると、チャイルドミール用のチェックリストを見せてくれた。 そこにネネとチャアの座席番号と名前はなかった。 うさぎは不思議だった。リクエストは直接ノースウェストに電話で入れたばかりか、 チェックイン時には係員のほうから「チャイルドミールのリクエストが二つ入っていますが、よろしいですね」 という確認を受けていたからだ。 それがどうして‥。

そのときに思い当たったのが、さっきのあのオーバーブッキング騒動だった。 「元の券を"お取り直し"しておきました」という係員のセリフが思い出される。 きっとそのときにチャイルドミールのリクエストがクリアされてしまい、機内に詰まれたはずのチャイルドミールは だれかリクエストをあげていない小さな子に配られてしまったのだろう。

まあ、事情が分かればチャイルドミールくらい、どうってことはない。 どうせネネもチャアも大して機内食なんて食べないのだ。チャイルドミールであれ、何であれ‥。 ボランティアに志願したおかげでソンをしたというのがもう一つ腑に落ちないが、 別にどうでもいいといえばどうでもいいことだ。

‥そう思って座席でぼんやりしていると、しばらくして日本人乗務員さんが目の前に現れ、
「先ほどはごめんなさいね、お嬢ちゃんたち。 せっかくご飯を楽しみにしていたのにね。もしよかったらこれを召し上がってね」 そういって、陶器のお皿に盛られた葡萄の房と、アイスクリームを置いていった。

おお、これは‥! ビジネスクラスには乗り逃したが、少なくとも陶器のお皿でデザートを食べる経験ができたというわけだ。 ささやかなプレゼントではあったが、乗務員さんの気持ちがうれしかった。

彼女はやる気のある社員のようで、あとからまたやってきて、 「今回の出来事をレポートにまとめて社に提出しようと思いますので、 今一度、ことの顛末を詳しくお話いただけますか」と言った。 うさぎがそれに協力すると、彼女はお詫びとお礼をかねて、1000マイルほどプレゼントをくれた。

陶器のお皿に乗った小さな葡萄とアイスクリームと1000マイル‥。 ささやかな、本当にささやかなラッキーだけれど、我が家にはこれくらいのラッキーがちょうどいいのかもしれない。 人間、あんまり欲張りすぎるとバチが当たる。

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