Minnesota  ホストマザーに会いに

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【 マムの住む家 】

街並み

マムの住む老人ホームはミネアポリス郊外の、緑濃い住宅街の中にある。 レンガ造りの重厚な外壁には、お約束通りツタが絡まっていたりなんかして。

今日もここへやってくると、 うさぎは28年前に感じたアメリカという大国への憧れが 再び湧き上がってくるのを感じた。 四半世紀かけて日本も様々な点でずいぶんアメリカに追いつき、追い越したが、 こういうところはまだまだ全然敵わない。 マムは特別裕福なわけではないから、ここはきっとこの国にとってはごく普通の老人ホームなのだろう。 だけど日本でこんな老人ホームに住める人ははたしてどれくらいいるのだろう。

確かに日本でも、今の老人ホームはかつてその名前がイメージしたものとはずいぶん変わってきている。 うさぎの家の近くにあるいくつかの老人ホームはどこも清潔でこざっぱりとしていて、 必要なものはなんでも揃っていて、うらぶれた感じは微塵もない。

でもマムの住む老人ホームはまたそれらとは違っていた。 そこは、清潔で便利であるだけでなく、いかにも楽しげだったのだ。

オートロックの玄関を入っていくと、ゆったりとした大きなエレベータが左右にあって、 それに乗って上階へ行くと、それぞれの階には一つ一つ違ったリビングスペースがとってある。
マムは手押し車を押しながら、楽しそうにそのインテリアをうさぎたちに見せて回った。

「この階はね、英国調でまとめてあるのよ」 なるほど、ウィリアムモリス風の細かい柄の壁紙をバックに、チェックのソファーが置いてある。
「ここはほら、古き良き時代のアメリカ風」 いわゆるアメリカンカントリー風というのだろうか、どっしりとした素朴な家具が置いてある。
「こちらはオリエンタル風ね」 んー、んんん‥、中国だか韓国だかが少し混じってはいるような気もするが‥、ほんのちょっぴりね。 東洋から来た我々からすると、まだまだ充分西洋風インテリアに見える。

低い棚に本がたくさん並んでいる図書室もあった。 「ここはね、わたしが大好きな場所なの!」とマムは言った。
「ステラたちがよくここに来てエクササイズをしてるわ」とマムが言うのは、トレーニングジム。 ベルトコンベヤの上を走るのとか、左右のレバーを交互に引いて腕の力をつけるのやら、 いろんなトレーニングマシンが並んでいた。 視聴覚室とでもいうべきか、大きなテレビを取り囲むように椅子が並んでいる部屋もあった。 パリのカフェにでもあるような洒落た椅子とテーブルを置いてある日当たりの良いテラスも。

「ちょっと待ってね。ゴミを捨てて来なくっちゃ」 マムがそう言うのでどこへ行くのかと思ったら、殺風景な小部屋だった。 「そのレバーを引いて」と言われたので、壁についているレバーを力任せに引くと、 暗い洞穴が口を開けた。 マムはそこにゴミを押し込むと、 ゴミはごとんごとん壁にぶつかって音を立てながら、どこまでもどこまでもその暗い穴を落ちていった。

館の中央は大きな吹き抜けになっており、ガラス張りの天井から明るい光が一階まで差し込んでいる。 淡いパステルカラーでツートンに塗り分けられた壁に囲まれ 廊下を行きかう人々が和やかに挨拶を交わしている。 日本がまだまだアメリカに敵わないと思うのは、こういうところだ。 あってもなくてもいいような部分に凝れるだけの余裕に憧れるのだ。

さて、うさぎたちを一通り案内すると、マムはホームの玄関口に戻り、戸口の前に陣取った。 実は今日は、マムの属するコーラスグループの発表会がこのホームで開催される。 玄関はオートロック式だから、 このホームに住んでいないメンバーは、自分ではこのホームに入れない。 だからマムが玄関のドアを開けて中に招き入れる、というわけだ。

けれども、足の悪いマムが三々五々やってくる仲間を立ったまま待つのはいかにも大変なことだった。 ネネとチャアがこのドア開け業務を買って出たので、うさぎはマムを近くのソファに座らせた。 「いいこと? 白いシャツに黒いズボンやスカートをはいた人が来たらドアを開けてね。 コーラスのメンバーだから。 そうでなかったら決してドアを開けないこと。 どんな人が入ってくるか分かりませんからね」とマムは二人に言った。

でもこのドア開け体制は成功したとは言えなかった。 なぜなら、メンバーの姿がドアのところに見えると、マムはそのたびに立ち上がろうとし、 却って大変な思いをすることになったからだ。 いかに足が悪かろうと、 友人が自分のホームを訪ねてきた以上、抱擁の出迎えもせずに済ませるなんて、 マムにはできなかったのだ。 メンバーが来るたびにドアを開けて出迎えるというこの仕事は、 健康な者なら誰にでもできるように見えて、 実はマムにしかできない仕事なのであった。

本当言うと、オートロックを開けるのは、 自分の部屋で座ってインターフォンの前で待機していたってできることだった。 でもマムはそうしない。 うさぎたちがここを訪れるたびに、 いつもマムは麻痺した足を一歩一歩踏みしめながら上階の自分の部屋から玄関までやってきて、 手ずから玄関ドアを開けてくれたのだ。

さて、コーラスのメンバーが揃うと、早速、会は始まった。 小さな星条旗が会場の聴衆の1人1人に配られた。 オルガンの後ろにも、大きな星条旗、吹き抜けの上のほうには更に大きな星条旗がかけられている。

うさぎたちの席は、会場で最もよい席だった。 マムがうさぎたちのために、そこを予めキープしておいてくれたのだ。

「ここはわたしの日本の友人の席です。クリスティン」

と、手の痺れを抑えつつマムが必死に書いたその文字を、テーブルに貼ったメモに見たとき、 うさぎの目頭はどんなに熱くなったことだろう。

不自由な手で文字を書いて席をキープし、
不自由な足で立って友人たちを出迎えるマム、
あなたには脱帽です。

合唱会は、マムによるうさぎたちの紹介で始まった。
「今日は、わたしの日本の友人たちを紹介します」とマムが声高らかに言うと、 四方八方から拍手が沸き起こった。 うさぎたちは立ちあがって軽くお辞儀をし、四方に向かってニコニコしてみた。 フルハウスでタナー一家がよくそうしているように。

その後に始まったコーラスは、どこかで聴いたことのあるアメリカの古典的ナンバーばかりだった。 "Play a Simple Melody"、 "The Birth of Blues"、 "Going to the West"、 "Oh Sussana"、 "This is My Country"、 "God bless America"‥。 考えてみれば、故郷と祖国を称える歌ばかりじゃないか。 大きな星条旗の下で小さな星条旗を振りながら、アメリカ人はこうして自分の国を称える歌を 絶えず歌っては自分がアメリカ合衆国民の一員であることを確かめているのだろう。

生まれながらにして日本人で、顔から何からいやになっちゃうくらい日本人で、 本当はもっと違うものになってみたかったりもするのだけれど、 結局のところ、一生日本人でいることを運命づけられている日本人にとっては わざわざ歌で日本人としてのアイデンティティを確かめる必要なんてどこにもない。 日の丸を掲げなかろうが、君が代を歌うまいが、日本人として生まれた以上、どのみち死ぬまで日本人なのだから。 だけど、いろんなところからやってきて、 ルーツも習慣も、姿かたちも様々なこの国の人たちにとっては、 ときどきこうして皆で国を称える歌を歌い、結束を固める必要があるのだろう。

会がお開きになると、何十人もの人が、うさぎたちのところに握手を求めにやってきた。
「ハイ、エリザベスよ。あなたへの手紙を代筆したのはわたしなの。お会いできてうれしいわ」
「わたしはケイトよ。クリスティンはここ1月、あなた方のことばっかり話していたのよ」
「クリスティンのナースをしてるアメリアよ。最近クリスが元気で嬉しいわ」
「アメリカへようこそ! クリスとは部屋が隣なの」‥
マムがここでどんな人間関係を築いているのかが見えるようだ。 うさぎはなんだか誇らしくなった。 自分が、こんな素敵なマムのジャパニーズ・ドーターであることに。

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