翌朝、ネバーロストの威力を発揮してもらい、 私たちを乗せた車はすんなりとハイウェイ101、17号を通って北上し、 約2時間ほどでモンテズマ城国定公園に到着。 たいして期待せずにちょっと立ち寄った遺跡、モンテズマ城。 しかしここは思っていた以上に大きなインパクトを与えてくれました。
モンデズマ遺跡にあるジオラマ
それにしてもなぜアリゾナのど真ん中に"モンテズマ"という名の遺跡があるのでしょう‥。 この一風かわった名前は、メキシコのアステカ族がスペイン人に追われ、この地まで逃げてきた時に その皇帝モンテズマのために作った城だ、と信じられていたためです。 実際にはモンテズマはここまで北上した、という史実はありませんが、 城跡の名前だけはそのまま残ってしまいました。
このトレイルは一周約540メートル。 道も整備されていて、のんびり歩いても20分ほどで回れるので、 私たちのような年寄り&子連れにぴったりのトレイルです。 目前にこの遺跡がドン!と現れると一瞬息を飲み込むほどの迫力があります。 まわりの断崖は岩が何層にも重なっているのがわかりますが、これは一千万年前、 このあたりが巨大な湖であったことを物語っているそうです。
ビーバークリーク
ここに住んでいた住人はシナグアインディアンといわれていて、 現在のアリゾナ、ニューメキシコ州周辺に住んでいるプエブロ・インディアンの祖先であろうとされています。 シナグア、とはスペイン語のsin agua、「水のない」ということばから来ています。 この南向きの日当たりのよい家は敵からも見つかりにくく、水害からも身を守ることができました。 目の前にはビーバークリークという小川が流れ、農耕を営んで豊かな生活を営んでいたようです。 およそ200人ほどのシナグア・インディアンがこの周辺で300年程度に渡って生活をし、 このモンテズマ城には35人ほどが暮らしていただろうとされています。
すぐ隣にA城跡があり、『隣のひとびと』と案内板がかけられています。 こちらはモンテズマ城より規模が大きく、100人程度が住んでいただろうとされていますが、 火事が起きて内部がほとんど消失してしまったため、 現在目にできるのは崩れた壁と部分的に修正された壁の一部のみです。
暮らしやすかっただろうと推測されるここでの暮らしですが、 彼らは1400年代ごろからこの地を捨て始めます。 理由は人口過密?とも疫病の蔓延?とも旱魃?とも内乱?とも言われ、いまだに諸説紛々の段階です。
トレイル
えへん。ここで私の説! 実際にこの地に立ってみると確かに冬暖かく夏涼しく、目の前にはさらさらと小川が流れ、 見晴らしの良い家で実に快適な住まいだっただろうとはわかるのですが、 農耕を営むに当たっての肥沃な土地がこのあたりにそれほどたくさんあったのかな、 という疑問がわいてきました。 トレイルを歩いてみると狭いと感じるほどだし、まわりは木の茂った山々や丘が続いています。 増え始めた人口をまかなうほどの作物が出来ず、もっと広くて肥沃な土地を求めて、 シナグアインディアンたちは四方八方に広がっていったのではないでしょうか。な〜んて‥!
モンテズマから少し走ると小さな露天商を発見。 これです、これ!まさに私が待ち望んでいたものがありました!! ニューメキシコやサウスダコタでも 現地のインディアンが自分で作った作品を並べて売っている出店がいくつかありましたが、 こういうお店がお値段も安くて、品も確かな場合が多いのです。 サウスダコタではとても有名なインディアンのチーフ(酋長)の曾孫さんがお店を出していて、 ウレシさのあまり卒倒しそうになった私です!(んなおおげさな…;)
ナバホの露天商
ここもいかにもインディアンのおばさんといった風の女性がふたり、にこにこと店番をしています。 雑然と、無造作に並ばれたナバホのジュエリーや置き物、砂絵、そしてドリームキャッチャーの数々。 ここで私はついに自分"だけ"の世界に入ってしまいました。 家族がおばさんが作ってくれたあつあつのおいしいインディアンブレッドを頬張っているのも目に入りません。 ただ黙々とジュエリー選び! あぁ、なんと安いのでしょう、うれしい! デザインもすてきなものばかり。
「この日のために働いてきたのよ」と独り言をいいながら買い物する姿は傍からみて異常だったのでしょう、 アメリカ人のカップルが「She's crazy!」とあきれていました。 (それにしても失礼なカップルだわ; 確かにここでのお金の使い方、クレイジーだったかも!?) でも日本で買うよりはるかにお安いので大満足。
179号を北上し、いよいよ車はセドナに入りました。 なぜか空の色がさらに濃い青色になったようです。 目に入る色は空の青とまわりを囲んでいる岩山の赤い色だけ。 セドナの街でいちばん有名なスポット、Tlaquepaque(タラケパケ?ラケパケ、という人も) というショッピングセンターを訪れました。 SCといっても雰囲気が南欧風でどのお店もセンスがよくて独特の一角です。 でもお値段は高いです。 ここでランチだけをすませ、インフォメーションセンターでヴォルテックス情報を入手。
ところでヴォルテックスって?
"vortex"とは地球の磁力の源、またはいくつものエネルギーが渦をまいているところ、
といわれており、セドナは世界中にいくつかあるうちのひとつ。
ここで瞑想をしている人も多いのです。
昔からインディアンはこのことをわかっていたのか、
セドナで4つあるヴォルテックスは彼らの儀式を行う聖地でもありました。
・ キャセイドラルロック
・ ベルロック
・ エアポートメサ
・ ボイントンキャニオン
今日はタラケパケからいちばん近いというエアポートメサに向かいました。 行き方は聞いていたのに、何の看板もなく、目印もないので、道に迷ってしまいました。 やっとささやかな入り口を見つけて喜び勇んで車から降り立つと、あらっ、なぜかしら、息苦しい‥。 心臓があまりじょうぶではない義母は大事をとってこのメサには登らないことにしました。 「ヴォルテックスの磁力のせい?」と思ったけれど、 よく考えるとセドナは日本のスキー場ぐらいの標高があるからそのせいかな、とこの時は思いました。 磁力、というより確かに空気が薄いかんじがします。
ここは名前の通り、セドナ空港のすぐそばのメサ。
下から見上げると頂上がラクに見えるくらいの小高い丘といったかんじ。
息苦しさを我慢して少しずつ頂上に向かって登って行くと、
期待していた以上の壮観な景色が360度広がっていました。
「うわぁ〜‥」子どもたちもしばし感動。
そして絶句。
本当に感動すると言葉にならない、とはまさにこのことでしょう。
遠く南には明日行く予定のベルロックやキャセイドラルロック、
北にはその名の通りのコーヒーポットメサ、チムニーロックが一望のもとに。
街を優しく包む夕日のオレンジ色がさらに感動を呼びます。
エアポートメサからコーヒーポット方面をのぞむ
「来てよかったネ。」のことばにうなずく私たち。
ここに思わぬ露天商の少年が。
ここからかなり離れたチューバシティというナバホインディアンの街から来たという12歳の少年が、
せまい頂上で自作のジュエリーを広げて売っていました。
もちろんまた買いまくる私‥。
あぁ、やっぱりcrazy??
でもあのきれいで純粋な瞳に見つめられたらきっとあなたも買わずにはいられないハズ!
セドナの宿はベストウエスタン・アロヨロブレ。 Sさんにすすめてもらった宿だけあって、ロケーションは最高でした。 フラッグスタッフ方面への道89号沿いのアップタウンセドナの中央に位置し、 買い物にとても便利だったし、部屋からはセドナを囲む美しい山々の連なりが堪能できます。 一部屋$150ぐらい。 かなり広いホテルで、プールやテニスコートなど施設も充実しています。
セドナの夜でひとつだけ残念なことがありました。 ステキなレストランがたくさんあったのに、 タラケパケで食べた大盛りランチやホテルそばのアイスクリームやさんでの間食が尾を引いてしまい、 食事らしい食事ができなかったのです。食いしん坊の私としては珍しい失態;でした。
本来ならここから足を伸ばして車で4時間ほどのホピの街まで行くはずでした。 でも短い日程であまりにも強行軍になってしまうため、今回はホピ行きを断念したのです。 ホピとは今でも昔ながらの生活や儀式を重んじている全米最古のインディアンの村、といわれている場所。 きっとセドナと同じで、いちど行ったらもっとゆっくりしたいと思うに違いないでしょう。 それに両親や子どもが同行している今回のような旅ではきっとみんなに悪いだろうな、とも思いました。 ホピの良さ、インディアンの良さがわかる人といつかのんびり訪ねる日がくることを待つことにしましょう。