四季折々の暮らし
こたつで背中を丸めて寒がっていたのはつい先日のことなのに、 今はもううちわ片手に暑がっている。 外はすっかり夏です。
冬には中に空気をたっぷり含んだ分厚い陶器から じんわりと手に伝わるお茶の熱さを楽しんでいたものですが、 夏となった今は、薄手のガラスを通して麦茶の冷たさがダイレクトに手に伝わるのが嬉しい。 季節によって器を着替えるのはわたしたち日本人のささやかな贅沢ですね。
日本の家庭にはモノが多いとよく言われますが、 それはひとつには、四季があるからではないかと思います。 これほど完璧な四季のある国は世界でも珍しい。 タンスに長袖半袖が同居し、 食器棚に磁器やら陶器やらガラスやらが所狭しと並ぶのは、 この四季ある国ならではの光景でしょう。
ながねん四季の変化によって鍛えられてきた適応力はまた、 異文化へのたぐい稀なる順応性を生み、 わたしたちの食卓には、和食のみならず、中華や洋食が当たり前のように並びます。 この多様性でますます持ち物は増える。
持ち物が多いと管理が大変なので、 わたしはかつて何でもマグカップで済ませていた時期があります。 熱い緑茶も冷たい麦茶、そして紅茶も、同じ茶碗で飲んでも なんら支障はなく、季節は過ぎていきました。
でも今こうして透明なグラスの中で揺れる麦茶の色を見ていると、管理の煩雑さを押しても、 そう簡単にこの贅沢は捨てられないなあと思うのです。
初稿:2007年6月14日