「用の美」
先日、若手陶芸家の個展で面白い作品に出合いました。
それは廃墟のようなオブジェでした。 崩れかけた二面だけの白壁に、縦長の窓。 ところがそれだけではどうも物足りない。 思わず何かをプラスしたくなるのです。 たとえば、小さな人形でも置いてみたくなる。 壺に花を挿して添えてもいい。 何かを補うことにより初めて完成する、そんなオブジェでした。
ほかに完成度の高い作品もあり、それはそれで美しいものでしたが、 わたしの目には、自分が手を加えることによって完成するそのオブジェのほうが、 魅力的に映りました。
花器や食器も、ただそこに置いてあるだけで充分美しいものと、 使うことで美しさが引き出されるものとがあります。
芸術作品としてどうかはともかく、 「道具」として優れているのは後者ですね。 それ自体で完結せず、何かを補いたくなる器は、 使う者の想像力を引き出し、創作意欲を掻き立てます。 それも器の使い勝手の一部とみてよいのではないでしょうか。
「ここに何かを盛ってみたい」「飾ってみたい」と思わせてくれる器は、使うのが楽しく、 使い方のアイデアが次々と浮かびます。
所有するからには、美しいもののほうが良い。 そして、使うからには、使うことによってより美しくなるもののほうが良い。 ――そうは思いませんか。
初稿:2007年10月18日