捨てる神 拾う神
物を作ることに手間がかかった時代、多くの物を所有することは豊かさの象徴でした。 処分することの難しさが見えてきた現代、余分な物はむしろ負債に近い存在です。
もはやプレゼントは必ずしも嬉しいとは限らず、 余分なものとお返しの義務という二重の負債に頭を抱えることも。
そんな中で手放しに喜べる贈り物、それは、自分には必要で 相手には不要なものを譲り受けたときです。
たとえば昨年、コタツ布団を探していましたが、案外高い値段に躊躇する間に冬が過ぎ、 仲間たちには会う毎に「まだ買ってないの?」とからかわれる始末。 春に仲間の一人が引越すことになり、不要になったものを譲り受けることになりました。 着払いで送ってもらったコタツ布団は趣味が良く、早速ぬくぬく愛用中です。
先日は子どもが遊んだリカちゃん人形を人に譲りました。 人形を集めている友人に、 こんな古びた人形が本当に喜ばれるのだろうかと思いつつ、 「いいの? 本当に迷惑じゃない?」としつこく確かめ、貰って頂きました。 後日、お風呂に入れて髪をとかし、見違えるようになった人形の画像がメールで送られてきて、 嬉しくなりました。
貰ってラッキー、譲ってハッピーなこうした物のやり取りには、「お返し」なんてナンセンス。 ただお互いに、譲ってよかった、貰ってよかったという気持ちが伝え合えたらいいな、と思っています。
初稿:2007年11月15日