2003年9月23日 時には冷やして温めて(その1)

事の起こりは、 バリ旅行から帰ってきて、やっと家の中が片付いてきた9月のはじめ頃のこと。
まだ洗っていない靴下が片方、洗濯機の裏に落ちてしまい、 それを取ろうと、壁と洗濯機の隙間に手を伸ばしたことでした。

狭い隙間には、腕は入るけれど、体までは入らない。 首を横に傾げたまま、腕を伸ばして手探りで汚れた靴下を拾おうとしました。

ときどき靴下の感触が指先に触れました。 もう少し手を伸ばせば、掴むことができそうです。
あともう少し、あともう少し手を伸ばせば――。

洗濯機の裏を探っているうちに首が痛くなってきました。
それも当然。だって無理な体勢でひねっているんですもの。
でも、あとほんの数秒頑張れば、靴下が拾える。

あと少し、ほんの少し――。

そこに、勢いよく玄関の扉が開き、チャアが学校から帰ってきました。
「‥ママ何してるの?」
洗濯機の脇で隙間に腕を突っ込んでいるうさぎの姿を見つけると、チャアは尋ねました。

うさぎは腕を引っ込め、言いました。
「洗濯機の裏に靴下が落ちちゃって‥。そうだ、アンタなら拾えるんじゃないかしら」

「うん、たぶん」
そういうと、チャアはランドセルを肩から下ろし、隙間に細い体を滑り込ませました。 そして、難なく靴下を拾ってくれました。

なあんだ、最初からチャアが帰ってくるのを待てばよかった――。

うさぎはそう思いました。 でも、すでに後の祭り、無理にひねったため、うさぎは首を痛めてしまっていました。 そしてそれ以降、首の痛みに悩まされるハメになったのです。

◆◆◆

最初の数日間はどうにもこうにも痛かった痛みは、時を経るにつれ、 徐々に退いていったはずでした。‥多分。
けれども、1週間、もしかしたら2週間くらい経ち、すっかり直っているはずの頃になって、 まだ首が痛いのに、ある時うさぎは気付きました。 いつからまた痛み出したのか、それともずっと痛かったのかは、自分でもよく分からない。 でも少なくとも、今現在は痛い。かなり痛い。――それに気付いたのです。

もしかしたら、靴下事件とはまた別件で、最近寝違えたのかもしれません。 でも、そう思うのは、 いくらなんでも自分がこの痛みに2週間も耐えていたとは思えないからであって、 実際のところは、よく憶えていないのです。 いつからどれくらい痛かったのか、 靴下事件のあと、一度はよくなったのか、それともずっと痛かったのか、 不思議なくらい、全然憶えていない。 おそらく、首が痛いというこの状況に、いつの間にか慣れてしまっていたのでしょう。

それでも、

とにかく休まなくっちゃ!

と、うさぎは思いました。 そして、それまで向かっていたパソコンの前から離れて、横になりました。

それは一種のひらめきのようなものでした。 首は、痛いといっても、我慢ができないほど痛いわけではない。 頑張ろうと思えば、頑張ってしまえる程度の痛みでした。 それまで、意識的に「痛い」と認識していなかったくらいなのですから。

けれども、枕を高くして天井を見つめながら横になっているうちに、 首の痛さは却ってはっきりと認識されてきました。 一度横になったら、容易には起き上がれないくらい痛いのです。

同時に、痛いのは首だけではないということにも気付きました。
腰が痛い。肩凝りがひどい。頭がグワーンと痛い。体中が、鉛のように重い――。 気付いてみれば、ものすごい疲労感に体中が包まれていました。 どこか一箇所でも悪いところがあると、 体中がそこを庇おうとして、無理をするのでしょう。

それでもうさぎは横になりながら、休んでいる自分に気が咎めました。

あーあ、わたしってば、また理由をつけてサボってるわ。

って。
うさぎは、性格的に全く"頑張り屋さん"ではないから、 "ちょっと頑張っているつもり"くらいがちょうどいいのです。 決して「過労死」なんてありえないタイプ。 日本人がみんなうさぎみたいな性格だったら、日本の高度成長はなかったと断言できる。 だからせめて、自分では頑張ってるな、と思えるくらいでないといけないのに‥。

それでも休むことにしたのは、ここ数週間、 けっこう頑張ったほうかな、と思えたからです。
理想には程遠いけれど、まあ自分なりによく頑張った。
旅行から帰ったときには溢れかえっていた洗濯物はとっくに片付いているし、 旅行収支も計算して記帳した。 アルバムも楽しみながら作ってしまったし、 パソコンにスキャナで写真を取り込む作業だって、いつもよりも早く終わらせた。 毎日三度の食事に加え、きりんとネネのお弁当もちゃんと作っている。 学校の委員会にも出席したし、ピロリ菌の検査にも忘れずに行った。

どれもみんな当たり前のことかもしれないけれど、うさぎにとってはすごいこと。
やらなきゃならないことは敢えて数えず、 やったことを数え挙げてみたら、ちょっと気がラクになりました。

それでも、

いつまでこうして休んでいてもいいのかしら?
もしかしたらこのまままたズルズルと怠け者になってしまうのでは?

という不安は消えませんでした。でも翌朝ウェブの掲示板に、

「首が痛いのでしばらく休みます」

と書き込んだら、腹がすわりました。

もう休むって決めちゃったモン、
休むって宣言もしちゃったモン、
休むと言ったら、休むんだっ!

それで、その日は一日中、朝から晩まで何もせずにひたすら寝ました。 いま一番やらなくてはならないことは寝ていることだと思って寝ました。 ここ数週間頑張った自分を褒めながら寝ました。 首が痛いということに気付いた自分、 休むことを決断した自分を褒めながら寝ました。

明日につづく