先日公募に落選した旅行のエッセイです。 恥かしいけれど、せっかく書いたので、ここで公開してしまおう!
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その旅行は、とある公募の賞品でした。 入賞者とその連れが、南ドイツで家庭菜園を見学するツアーに招待されるという。
専業主婦になって10年、わたしの生活はすべて夫の稼ぎによって賄われていました。 夫へのプレゼントでさえ、彼の稼ぎで買ったもの。 ご馳走を作っても、セーターを編んでも、その材料は全て夫の稼ぎから出たものです。 生活を支えてくれる夫に、 いつか何か完全に自分の手で手に入れたものを贈りたいと思いつつ、 10年を過ごしてきました。
だからこの旅行を自分の手で射止めたときは、どんなに嬉しかったことでしょう。
自分が旅行に行かれること以上に、夫の喜ぶ顔が嬉しかった。
「きみが連れてってくれなきゃ、海外旅行なんてなかなか行かれるものじゃないからなあ」
と彼は言ったものです。
無為徒食のわたしが"夫を旅行に連れて行く"! わたしはなんともくすぐったいそのセリフを反芻しては、一人でニヤニヤしました。
子ども二人を実家に預け、二人で成田へ向かうのは、不思議な気分でした。 まるで10年前にタイムスリップしたみたい。 話題は自然と10年前の新婚旅行のことになりました。 二人で歩いたイタリアの街。 「史跡を見たことよりも、その史跡までたどり着くことの方が楽しかったね」と。 地下鉄の切符を買うとき駅の人にからかわれ、なかなか切符を渡してもらえなかったこと、 街を歩いているうちに迷子になり、道を尋ねたものの英語の分かる人が誰もいない。 タバコ屋のおばさんが隣りの時計屋のお姉さんを呼び、 お姉さんがそのまた隣りの店のおじさんを呼び、 おじさんが見回り中のお巡りさんを呼び止めて、 やっとフォロロマーノの方角を教えてもらえたんでしたっけ。
今回の旅も一緒に街を歩こうね。二人で手をつないでミュンヘンを歩こうね――。 二人でそう言いながら、成田までの電車に揺られていきました。
ミュンヘンの中心街は、そぞろ歩くにはちょうど良い広さでした。 わたしたちは団体行動の合い間に暇を見つけては、朝に夕に二人で街の中を歩き回りました。 フリーマーケットで小さなおばあさんから手の込んだ民族衣装を買ったり、 広場でゲイパレードに巻き込まれたり。 市場で名物の白ソーセージを立ち食いしたときには、 ガイドブックに書かれていた「白ソーセージの食べ方」通りナイフで皮をむいていたら、 前にいた眼光鋭いおじさんが「手づかみにして皮から押し出すように食べろ」と、 ジェスチャーで教えてくれました。 わたしはナイフを置き、おじさんを真似てソーセージにかじりつきました。 おじさんはニコリともせずにただ頷きました。 「よろしい。それでいいんだ」というように。
ミュンヘンの中心マリエン広場から中央駅近くの宿泊ホテルまでは 2キロほどの道のりでした。 二人は手をつないで、毎日その道を通いました。 一度目は地図を見ながら恐る恐る歩いた"知らない道"が、 二度目は"いつか来た道"となり、三度目は"いつもの通い路"となりました。
通い慣れた道は二人をいつになく饒舌にしました。 「若い頃よくこうして二人で道を歩いたね」 「今日の夕食は何を食べようか?」 「定年退職したら、二人でメキシコなんかにも行ってみたいね」。 二人の過去、現在、未来。ここ10年、とんと忘れていた会話です。 子どものことならともかく、二人のことなんてもう話すことは何もないと思っていたのに。
15分おきに聞こえる教会の鐘の音、 ケバブ屋が放つ肉の匂い、その前に列をなすトルコ系の人々の姿。 そういうものが当たり前になってきた頃、 わたしたちが二人きりでいることも当たり前になっていました。 なのでときどき確認しあいました。 「数日前、初めてここに来たのよね。日本には子どもたちが待っているのよね」と。 確認しないと忘れてしまいそうです。 頭に思い描く子どもたちの姿はまるで霞みがかかったよう。 まるで、新婚旅行から帰ったあとの10年間をすっぽり日本に置き忘れてきたみたい。 そんな時間があったことすら、どこか不確かな気がしました。
ドイツから日本に帰る12時間は、 わたしたちが元の日常へと戻ってゆくのに必要な時間だったのかもしれません。 ドイツではぼんやりとしか思い描けなかった子どもたちの姿は 日本に近づくほどにはっきりとしてきて、 成田に着いた頃には、話題は子どもの話一色。 二人とも、早く子どもたちに会いたくて会いたくてたまらなくなっていました。
空港駅で電車を待っていると、同じツアーにいた若い婚約者同士の二人が目に止まり、 10年前の自分たちの姿とダブって見えました。 真っ白な未来が待っていたあの頃。 今のわたしたちを待つのは、すでに半分彩られた未来と、子どもたち。 ああ、なんて幸せなんだろう、と思いました。 そしてびっくりしました。この10年で二人、なんて大きなものを積み上げたのだろう、 と気がついて。