2003年12月16日 賢者の贈り物

今日はプレゼントの話をしましょう。クリスマスが近いので。 みなさんは、 オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」 という短編小説を読んだことがおありでしょうか。

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都会の片隅の粗末な部屋に、ある夫婦者が住んでおりました。
2人はとても貧乏でしたが、誇れるものが2つだけありました。
一つは、夫のジムが親から受け継いだ金時計、そしてもう一つは妻のデラの美しい髪でした。

さて、あるクリスマスのこと、2人は互いに相手へのプレゼントを買おうと思いました。
でも、二人とも、そのお金がありません。
そこで、妻のデラは自分の髪を売り、ジムへのプレゼントを買うお金を作りました。
夫のジムは自分の大事な懐中時計を売って、デラへのプレゼントを買うお金を工面しました。

そして2人は相手のために、何を買ったでしょうか。
ジムがデラにプレゼントしたのは、美しい髪に挿す櫛。
そして、デラがジムにプレゼントしたのは、懐中時計につける金の鎖だったのでした。

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わたしはこの話が大好きです。 プレゼントというもののすべてを語っているような気がして。 どうしてお金で買うものしか思い浮かばなかったかなあと思いつつ、 はやくデラの髪が元通りの長さまで伸びますように、 ジムが懐中時計を買い戻せますように、そして2人がずっと幸せでいられますように、 と祈らずにはいられません。

プレゼントの嬉しさというのは、 自分で欲しいものを買って手にいれる嬉しさとは根本的に違うような気がします。 わたしの場合、貰って嬉しいのは、"モノ"ではなく、"相手の気持ち"です。 プレゼントは、相手が自分のために払ってくれた犠牲の象徴だという気がしてならない。 自分へのプレゼントを選ぶのにかけた時間、かけたお金。 その人自身のために使えたであろう時間とお金を、わたしの為に使ってくれたという 事実が嬉しいのです。 自分のために払ってくれた代償自体が嬉しい。

たとえば、手編みのセーターというのは女性が意中の男性に渡す古典的なプレゼントですが、 これなどまさに、セーターという"モノ"自体の価値云々よりも、 "手間"という代償こそが相手を喜ばせるポイントなのかな、という気がします。 もちろん、男性の方もその女性が好きだったらば、のはなしですが (好きでない人からもらったら、ただただ怖いだけかも?)。

逆に、お金はかかっているけれど、気持ちがこもっていない贈り物というのもあって、 そういう贈り物の嬉しさはそれほどでもありません。 「わたしのために代償を払った」というより、 「その人自身の世間体を買っただけ」といった性格のプレゼントは、貰うほうも機械的です。

ところでプレゼント、特に男性から女性への気持ちのこもったプレゼントに、 騎士道精神めいたものを感じるのはわたしだけでしょうか。

キーワードは「きみの喜ぶ顔が見たくて」。 「王子様と雪の夜」というクリスマスソングがありますが、 この曲に出てくる「王子様」というのは、「見た目はへなちょこりん」なのだけれど、 人を驚かせたり喜ばせたりするのが好きな男の子です。 女性にとって「王子様」というのはなにも、 大金持ちで欲しいものは何でも買ってくれる人でなくたっていいんです。 王子様というのは、「喜ぶ顔がみたい」と思ってくれる人のこと。 それだけ自分のことを考えてくれている時間が長いということだから。

かけた時間やお金、知恵などの代償が大きければ大きいほど、その心意気に感動します。 ただ、それはあくまで相対的。 単純に1000円のものより1万円のものの方が嬉しいわけではありません。

先月、サッカー選手のベッカムが夫人に4億円の指輪をプレゼントしたというニュース を読んだとき、ベッカムの奥さんはどれくらい嬉しかったかなあ、とふと思いました。

もしベッカムの年収が1億円くらいだったとしたら、 4億円の指輪を貰った奥さんは、さぞかし嬉しかっただろうなあ、と思います。 なんてったって年収の4倍ですものね。 年収の4倍といったら、 比率から言っても、サラリーマンの奥さんが何千万円もする指輪を貰うくらいの迫力です。 4年間自分が身を粉にして働いた分をそっくりそのまま誰かにプレゼントできるとしたら、 相手は、ものすごく愛している人ですね。 わたしもそんなふうに誰かに愛されてみたいものです。

でももし、ベッカムの年収が10億円とか100億くらいあるんだとしたら、 かなりトーンダウンしてしまうかも? だって、10億のうち4億円減ったって、どうってことはありませんもの。 あと6億円以上もあるんだったら、 指輪を買うために何かを我慢する必要なんてほとんどないだろうし、 ある日ドロボウが入って4億円盗まれたとしても、気付きもしないかもしれない (さすがにそれはないか)。 そういう意味では、お金持ちほど、プレゼントで愛情を示すのは難しいかもしれません。

比率は同じでも、年収1000万円の人が奥さんに400万円の指輪を買ったら、 それはけっこう「へええ」と思うし、 いわんや、年収100万円の人が40万円の指輪を買うことをや。 推奨はしないけれど、その心意気に感動はします。

ところで、プレゼントに何を貰ったら一番嬉しいか。 わたしの場合は、花です。花束。 きれいな花束を貰うと、本当に嬉しい。 かつて嫌いな男の子から貰って、ついニッコリ微笑んでしまったことがあるくらい、 花束には弱い。 どうしてこんなに嬉しいのかしら、と考えて、思い当たることが一つ。 それは、「枯れるから」ではなかろうか。

生花は枯れるから残らない。 あげる方にしてみれば、「あげた」という証拠の残らない、実にソンなプレゼントです。 でもだからこそ、その気持ちが嬉しいのです。 だから形は残らなくても、ずっと覚えている。何年経っても。 結局、花は最も印象的なプレゼントです。

自分が貰って嬉しいから、大人の女性へのプレゼントはたいてい花にします。 ちょっと張り込み気味に、花やさんに立派な花束を作ってもらいます。

そして目論みはたいてい当たります。たいていの女性はとても喜んでくれる。 「ありがとう」という声が弾んでいるのが分かります。

相手が喜んでくれると、わたしも嬉しい。 「男性からじゃなくってごめんなさいね」と心の中で謝りつつ、 わたしも白馬に跨ったリボンの騎士の気分になります。

12月24日付記:
昨日、ネネからうさぎには、 もう一つプレゼントがありました。

本:Michio's Northern Dreams オーロラの彼方へ
Michio's Northern Dreams オーロラの彼方へ

彼女は学校の図書室で、うさぎのために本を借りてきてくれたのです。

この本は、前にうさぎが風邪をひいたとき 「外に出られないから退屈してると思って」と言って借りてきてくれた本です。 学校の図書室は一度に2冊までしか借りられないのだそうで、 その後、一冊返してはまた別のを借りてきてくれていました。 要するに、彼女は借りられる2冊のパイのうちの半分をうさぎに分けてくれていたのです。

ところが昨日は4冊まとめて借りてきてくれました。 どうやら「全部並べて見てみたいわ」 と何の気なしにつぶやいたうさぎのセリフを覚えていたらしい。 聞けば、「冬休みだけは4冊まで借りられる」のですと。

でも、4冊借りてしまったら、自分自身の読みたい本は一冊も借りられない。

本文で、

「(プレゼントというのは)自分のために払ってくれた代償自体が嬉しい」

と書きましたが、そういう形の"代償"もあるんですね。 ネネが教えてくれました。 お金も、さしたる労力もかかっていない。 でも、とても嬉しく、そしてどこか切ない、大きなプレゼントでした。