2004年4月10日 台所の電気をつけないわけ

萩の一種??

電気もつけずに暗い台所でなべをかき混ぜていたら、 きりんが電気をつけてくれて、言いました。
「ママまた、電気をつけないでやってる」と。

子どもたちもうさぎのためによく台所の電気をつけてくれます。
「ママ、どうして台所の電気をつけないの?」といいながら。

どうして台所の電気をつけないかって――?

それは、億劫だからです。電気をつけるのが。
電気をつけると、散らかっている台所の惨状がいやおうなく目に飛び込んでくる。 それを見たくないという意識がどこかで働いて、 電気をつけることが億劫なのでしょう。

かつて我が家の台所はいつ見てもきれいになっていました。 洗いものをいつまでも溜めておいたりなんてことは決してなかったし、 頻繁な拭き掃除の甲斐あって、ステンレスのトップも壁のタイルもぴっかぴか。 まるで新築したてのようだと、友達から褒められたものです。

それがいまや見る影もなし。 散らかり放題、汚れ放題。 それは、台所を汚すのを嫌うあまり、料理が億劫である自分に疑問に感じて、 「台所とは汚れるもの」と割りきることにした結果です。 でも、汚い台所は嫌い。散らかった台所は嫌い。嫌なものは、嫌なのです。 だから電気をつけたくない。 台所の惨状を見たくないという心理が、 うさぎをして電気をつけることから遠ざけていることは、明々白々であります。

そして、電気をつけないから、 よけい台所は放置状態となり、ますます散らかってゆく。 だからますます電気をつけたくなくなる‥という悪循環。 これはもう、「台所は汚れるもの」云々という思想の具現ではなく、 ただ単に台所の掃除をサボっている状態に他なりません。 そして、それが分かっているからこそ、ますます電気をつけたくないんですよね。 自分の怠けぶりを見るのが嫌で。

台所と同じことは、家計簿に関しても起こります。 長く記帳を溜めこむと、どうしても帳尻が合いづらくなる。 それが分かっているものだから、ますます記帳するのが億劫になる。 その悪循環で、家計簿記帳は、溜まりはじめると、ますます溜まります。 どこかでその悪循環を断ち切らなければならないと分かっていても、 そこから脱却するのはなかなか難しい。 今日こそ記帳して帳尻を合わせるぞ、と何度も思っては挫折を繰り返します。

ことほど左様に、人間は自分の見たくないものから目を逸らします。 気付きたくないことには、たとえそれが目の前にあっても気付こうとはしない。 考えたくないことは、金輪際考えないでやり過ごそうとする。

でもそうやって都合の悪いことから目をそらし、耳を覆っているうちに、 事態はどんどん悪循環に陥ります。 曖昧な言葉で自分にいいわけし、誤魔化しているうちに、 本来自分のあるべき姿からどんどん離れていく。

それが怖くて、うさぎは文章を書き続けているのかもしれません。 見たくないことから、考えたくないことから目をそらさずにいるために。