チャアに付き合って、ピアノの発表会に行きました。
ソナタ、メヌエット、ワルツ‥。
プログラムには、ベートーベンやモーツァルト、バッハの名曲が勢ぞろい。
そんな中に、「ラジオ体操」という演目がありました。
「これってさあ、どんな曲なんだろうね」とチャア。
「さてねえ‥」
二人で、その曲が始まるのを楽しみに待ちました。
果して、その曲の順番がやってきました。 演奏者が弾き始めると、会場は思わずどよめきました。 その曲が、そのものズバリ、 誰もが知っているあの「ラジオ体操」だったからです。
演奏が始まった次の瞬間、うさぎは条件反射的に自分の背筋がピンと伸びるのを感じました。
それどころか、なんだか体がウズウズする。
「ここはピアノの発表会の会場なんだ」という意識をちゃんと保っていないと、
思わず立ち上がって体操してしまいそう。
「本当ならここで、"ラジオ体操第一、よぉーい!"というかけ声が入るのよね」とか、
「"膝の屈伸、曲げ伸ばしっ!"と言うのよね」
とか思いつつ、体操の順番を頭の中で追いながら演奏を聞いている自分がいました。
だって、
幼少のみぎりより何百回、もしかしたら何千回と聞いてきたけれど、
体操せずに、この曲を椅子にじっと座って"音楽として観賞"したことなんて、ある?
――いいえ。たぶん、今回が初めてだと思います。
そして、そうこうしているうちに、一つ思い出したことがあります。 20年も前に見た戦争映画です。 題名も、ストーリーもとうに忘れたその映画の一シーンを、演奏を聴いているうち ふと思い出しました。
◆◆◆
ナチスドイツの爆撃から逃げ延びて、
戦場近くの小屋に一人で潜伏しているアメリカ兵士が、
アメリカ人と名乗る別の兵士と出会う。
けれども相手が本当にアメリカ人だという確証はない。
もしかしたら英語のうまいドイツ兵かもしれない。
そこで彼は相手に尋ねるのです。
「ニューヨークのスタンドで売ってるガムの値段は?」
「今期優勝したのはどこの球団?」
いや、それとも、「ニューヨークメッツのピッチャーの名前は?」だったかもしれません。
とにかく、アメリカ人なら誰でも知っている、
そして、外国人では答えられなさそうな質問を、彼は相手にぶつけるのです。
そして相手がそれに淀みなく答えるのを見て、彼は初めて相手を信用する気になります。
このシーンは、非常に印象的でした。 多種多様な民族の集まりで、世界の共通語である英語を話すアメリカ人にとって、 アメリカ人たるアイデンティティはこういうところにしかないのかもしれないなあ、 と思って。 そしてまた、わたしがこういう状況で、質問されるほうの立場に置かれたら、 正しく答えられそうにないなあ、と思って。 実際わたしは、巨人軍のピッチャーの名前を尋ねられても、 昨年パ・リーグを制した球団は?、なんて尋ねられても答えられません。 だから、こういう状況下に置かれたら、わたしは質問に正しく答えることによって、 相手の疑いを晴らすことはできないなあ、と。
まあ、「それはオマエはモノを知らなさ過ぎるからだ」といわれてしまえばそれまでですが、 20世紀半ばのアメリカと21世紀初頭の日本では、 野球というものの占めるウェイトが違ってもいるのではないでしょうか。 もしかしたら、20世紀半ばのアメリカにおいて、 ニューヨークメッツのピッチャーの名前は大統領の名前と同じくらい、 誰でも知っていることだったかもしれません。 そして、質問がアメリカの大統領の名前では用をなさないわけです。 そんなこと、ドイツ人でも知っているでしょうから。
日本人はアメリカ人と違ってほとんど単一民族で、日本語という特有の言語を話します。 だから日本人を見分けるのは簡単。 風貌が日本人で、日本語を流暢に話せば、それはたいてい日本人です。
でも、日本人の文化的なアイデンティティってどこにあるのかな。 世代を超越した日本人の共通の文化ってあるのだろうか。 ほとんどの日本人に答えられて、 たとえばの話、北朝鮮の工作員には答えられない問題ってあるのかな―― そういう問いが、映画を見て以来、ずっと頭のどこかにありました。
そして、その長年の問いが、ピアノの発表会で解けたというわけです。 「ああ、ラジオ体操だ」と。
日本で育った日本人に、この曲を知らない人は、まずいない。 この曲にあわせて体操のできない人はいない。 同時に、外国で育った人に、この体操ができる人はまずいない。 見事に日本人と非日本人を振り分けられそうです。
わたしは長年の問いが解けた清々しさに浸りながら、 「ラジオ体操」のピアノ演奏を堪能しました。
◆◆◆
ところがですね、家に帰って、ネネにふと、
「あなた、ラジオ体操ってできるわよねえ?」と尋ねると、
言下に「できなーい」。
「えっ、どうして?! 学校でやらないの?」と尋ねると、「やらない」。
「そうなの! ‥でもほらっ、子ども会でも夏休みにやるじゃない」と言うと、
「そんなの毎年数日だし、覚えてない」とのお返事。
うーむ、確かに。
わたしが子供の頃には、夏休みといえば近くの神社で毎日ラジオ体操があって、
「40日の休みの日のうち、最低20日は出ないといけない」と決まっていたものです。
出なかったらどうなるか、どんなペナルティが待っているのか、
試してみたことがないから分かりませんが、
とにかく"そういうことになっている"というので、一生懸命早起きして
ラジオ体操に出席した証であるハンコウを貰いに毎朝神社へ通ったものです。
でも最近は、40日の休みのうち、ラジオ体操があるのはせいぜい一週間。
朝っぱらから大音響でラジオをかけるのも近所迷惑だし、
母親たちも、朝っぱらから世話係をやるのはまっぴらゴメン――というわけで、
年々期間は更に更に短くなり、昨年は4日でした。
わたしも正直なところ、
「夏休みのラジオ体操なんて、いっそのこともうやめればいいのに」と思っていたりします。
でも、昔から脈々と受け継がれてきたラジオ体操の文化が 娘たちには引き継がれていないと思うと、なんだか複雑な心境ではあります。 尤も、近所迷惑を考えて、世話係の母親たちにしか聞こえないくらいの小さな音の ラジオで行うラジオ体操に大した意味があるとも思えませんが。
ともあれ、一件落着とは相成らず。