Essay  うさぎの旅ヒント

【 子連れでなくちゃできないこと 】

なんでわざわざ子どもを連れて、海外旅行に行くのか

この問いにきちんと答えられる人って、あんまりいないと思う。
うさぎにしても、「なぜ山に登るのか――それはそこに山があるから」と同じノリで、 「そこに海外があるから」、 そして「たまたま子どもがいるから」という答え方しか思い浮かばない。

ただ、数ある子連れ旅行サイトを見て思う。 一口に「子連れ旅行」と言っても、 どうやら大まかに二通りのパターンがあるらしい、と。
一つは、まず海外旅行ありき、で、親の旅行に子供も連れて行く、というパターン。 このパターンでは、親の興味に子どもが付き合う形の旅となる。
そしてもう一つは、まず子どもありき、で、子どもがいるから旅行に行く、というパターン。 これだと、子どもに親が付き合う形となる。

まあたいていはこの二つの折衷パターンで、 どちらかの比重が高いまたは低いということになろうが、 わが家の旅行に関して言うと、かなり後者の比重が高いと思う。

うさぎは子どもが生まれる前から海外旅行が大好きだったし、 「外国かぶれ」度においては誰にも負けない自信がある。 けれど、もし子どもがいなかったら、今のようなリゾート滞在型の旅は、 絶対にしていないと思う。 きっとビーチリゾートでのんびりしているヒマと金があれば、 ヨーロッパとかイスラム圏あたりで城めぐりや寺めぐりに血道を上げているに違いない。

子どものいるこの現実においても、決してお城やお寺に興味を失ったわけではないし、 そういう旅に行くチャンスを虎視眈々と狙ってもいる。 けれど、子どもを連れてそういう旅をしようとは到底思わない。 だってウチの子どもたちはそんなものに興味はないし、そんな観光に連れて行ったところで、 やれ「疲れた」「飽きた」、 やれ「お腹が空いた」「喉が乾いた」のと文句を垂れるに決まっているから。 うさぎは辛抱強くないから、 そんな面倒くさい旅にわざわざ大枚はたいて出かける気にはなれない。
以前はそれでも、子連れ旅行に親の趣味を取り入れようと躍起になりもしたが、 最近ではその奮闘努力も空しく思えてきて、結局子ども主導の旅に落ち着いた。

けれど、それじゃ「子ども主導=親はガマン」かというと、そうではない。 それどころか、 リゾートで「何もしない」という贅沢を教えてくれた子どもたちには感謝している。
たぶん、ネネとチャアがいなかったら、 うさぎは一生この贅沢を知らないで終わったに違いない。 うさぎは貧乏性だから、「渡航費用のモトの取り方」といえば、 街中を駈けずりまわって史跡名所を飛び回り、 頭に歴史や地理の知識を詰め込んで帰ってくることしか思い浮かばなかったに違いないのだ。

それが、今のうさぎは、ひねもすホテルのプールサイドでボ〜ッとしていても、 「渡航費用のモト」が充分取れていると思う。 まず一番に、子ども達がこんなに喜んでいるのを眺めているだけで幸せな気分になるし、 それに、デッキチェアに腰掛けているだけでも、様々なものが目に飛び込んでくる。 さながらミス・マープルが片田舎の村の自宅で編物をしているだけで、 充分刺激的な日々を得ているがごとく。

子どもというのは未完成の人間であるがゆえに、概して動物的である。 動物的といって悪ければ、本能的、とでも言おうか。 とにかく「頭で考える」ことよりも、「体で感じる」ことの方が好きな人たちである。 娘たちを見ていてそう思う。
彼女たちは、どこの国へ行こうとも、その国の文化だの歴史だのにはとんと興味がなく、 ただただ風の心地よさや水の冷たさ、陽の光の暖かさを楽しんでいる。 何がどうだったか、何をしたのかはとんと覚えていないクセに、 おいしかったものの味や匂い、何が心地よくて、 どこで痛い思いをしたか、などは実によく憶えている。
そういう子ども達と一緒にいると、 うさぎも「人間」という枠組みから放たれて、自由になれる気がする。 たぶんこの感覚は、いかに最近リゾート滞在の醍醐味を知ったとはいえ、 きりんと二人だけでは感じることのできない部分だと思う。 半人前の子どもたちと一緒だからこそ、大人も人間ならではの勤勉さを捨てられるわけで、 そこに、

なんでわざわざ子どもを連れて、海外旅行に行くのか

という問いの答えがあるような気もする。

2002年8月3日 うさぎ

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