ママヌザレストランに入ると、そこはステージに向けて椅子が並べられ、すっかりショーの会場と化していた。
ステージ近くの席はすでに満席状態で、脇の方の席が僅かに空いているのみ。
ステージのすぐ前にクッションを並べた特等席は子供たちの席で、ここも満員である。
いつもならこういう状態を予想して、良い席確保のため20〜30分前には会場に出向くのに、
どうもこの島に来てからというもの、こういう目端がきかない。ついついのんびりと構えてしまうのだ。
ショーはまだ始まっていなかったが、会場ではなにやら表彰式のようなものが行われていた。 どうやら優秀なスタッフを表彰する月一度の式らしい。 数人のスタッフに混じり、あのオムレツ焼きおばさんが、賞状を受け取っていた。
表彰式が終わると、いよいよフィジアンスタッフによる「メケショー」が始まった。 男性は腰にミノを巻いた素朴ないでたちだが、女性は長短の模様入りのスカートを二重に身につけ、 上半身は首回りに3重のフリルとパフスリーブのついたショッキングピンクのブラウスという、 西洋的なスタイルだった。 「メケショー」というのはフィジーに古くから伝わる伝統的な舞踊を披露するショーだと思っていたので、 この女性たちの西洋的かつ近代的な衣装は意外だった。 さっきフィジアンブレで着せてもらったような素朴ないでたちを想像していたのだ。
けれど、近代的な衣装とは裏腹に、ショーの内容はこれまた非常に素朴であった。
男たちが竹筒を床に打ちつけて鳴らし、女たちが歌う。それに合わせて数人の男たちが力強く踊る。
それは「踊り」というより、何かのパフォーマンスのようだ。
おもしろいなあ、と思ったのは、女たちがステージ後方に車座になって歌っていること。
「ショー」というのは観客あってのものだから、普通は客席に背を向けたりしないものだが、
このショーはフィジアンの祭りをそのままステージに載せました、という感じだ。
会場の隅に僅かに残った席に座っていると、
ふと、広い会場を埋め尽くすゲストたち以外にもこのショーを楽しんでいる者がいることに気づいた。
レストランの窓に数十人のフィジアンが鈴なりだったのだ。
最初は仕事途中のスタッフが油を売っているのかと思ったが、よく見ると、子供や年寄りもいる。
わざわざ村からやってきたのだろうか。
メケショーなど珍しくないはずのフィジアンがわざわざショーを見にくるという事実にはちょっとびっくりした。
ステージには数十人のフィジアン、それを見にきた村人たち、
更にレストラン付近で立ち働いているスタッフを合わせると、周りはフィジアンだらけ。
リゾート内にいながらにして、まるでフィジアンの村に紛れ込んだような気分になった。
ショーもたけなわの頃、皆と揃いの腰ミノをつけた少年がどこかからかステージに現れ、 成人の男たちに混じって踊り始めた。 歳の頃は11歳くらい。 姿は小柄でも、大人顔負けに激しく踊る彼に、会場はやんや、やんやの大喝采! 中でも彼の登場に喜んだのは、窓の外に鈴なりのフィジアンたちで、頭をのけぞらけて大笑いする女もあれば、 その踊りに誘われるようにフラフラと会場内に入ってくる子供もいて、大騒ぎになった。
少年が踊りおえ、盛大な拍手に送られて退場すると、ショーも最後の曲を残すのみとなった。
最後の曲は「イサレイ」。これは大変有名な曲で、内容からしてフィジー版「また会う日まで」といったところか。
原始の香り漂うこれまでの歌と踊りとは打って変わり、女性が高い裏声で歌う、まるで賛美歌のような曲だった。
女性の衣装といい、この曲といい、フィジーはあんがい西洋的だ。
ま、そりゃそうか。この国は英連邦の一員で、公用語は英語。
100年以上も前にキリスト教と共に西洋文化が伝来した国なのだから。
とまれ、メケショーは今もなおフィジーに生き続けている文化なのだと感じた。
とっくに引退した文化を観光客のために引っぱりだしてきたわけではなく、
長い歴史の中で少しづつ西洋文化と融合し、形を変えながら、
今もなお現地の人々を楽しませているフィジーの現役文化なのだ、と。