ジェフ爺さんの店を出てから5分ばかり走り、バスはタロフォフォ川の河口に到着した。 ここはグアムで一番長い川だそうだが、さほど大きな川ではなかった。 すぐ近くに海が見えるようなこの河口付近でさえ、川幅は10メートルあるやなしや。 ただ、水の深さは数メートルあるそうで、流れは非常に緩やか。水は深い緑色に淀んでいる。
バスが船着場に到着する頃、ジョーさんが、
「あ、イノシシだ!」と言うので、
「どこどこ?!」とみな、窓の外に目を凝らした。だが、
「――あ、犬でーした!」とジョーさん。
さっきも、
「もう少し先へいくと、いつも水牛がいる場所があるんですよ。今日も見られるといいですね」
とジョーさんが言うので、みな
「へええ、グアムには水牛なんているんだー」としきりに感心していたが、実際に
「あっ、いたいた! ほら、右の方!」と言われてそっちを見ると、何のことはない、作り物の水牛だった。
「はははー、見えた?! あの水牛、毎日あそこに立って(建って?!)るんですよ。帰りもあそこにいるでしょうよ。
もしいなかったらコワイよね」とジョーさん。
ここで一回やられているのに、イノシシでまたひっかかってしまった。
どうやら、うさぎを含めてみな「珍しい動物」には弱いらしい。なんせこのツアーは、
「グアムにはねー、野性の○○がいたんだよ!」という話の種を仕込みに来た人の集まりなのだから。
ジョーさんはその辺の心理をうまーく突いてくる。
「おや、あそこに、野性の‥人間の子供が歩いています!」とかね。
船がやってくるまで、船着場にしばらく待機。 船を待つ間、辺りに鬱蒼と生い茂る南国の木々を見て、ヤブ蚊が多いのでは、とジョーさんに尋ねた。けれど、
「ダイジョーブ。蚊はそんなにいないでーす。
でも、途中で"ワルイ虫"が出るかもしれません」
とジョーさんは言って、意味ありげにフフッと笑った。
「ワルイ虫?」と聞き返すと、
「そう。悪い虫」と、うさぎの肩にちょっと手を触れて、ジョーさんは"エヘヘヘェー"と笑った。
そうか、きっと「悪い虫が付く」という意味の「悪い虫」ね。そう合点して、うさぎも"ヘヘヘヘェー"と笑い返した。
さて、船がやって来て乗船。 船の舵を取っているのは白人の青年で、彼は桟橋に立って、船に乗り込む一人一人に「こんにちは」と挨拶をした。 けれど、うさぎにはこう言った。
「アナタ、日本人? ウッソー!」
「あら。だったらなに人に見えますか?」と尋ねると、
「ごめんなさい、難しい日本語は分からないんです」と、いきなり英語に変わってしまった。
船にはもう一人、黒い肌のパウさんという小男のひょうきん者がいた。 彼はチャモロの生活習慣を実演する役どころらしく、船が動きだすと早速、器用に椰子の葉を編んで、 子供にエンゼルフィッシュのモビールや風車を作ってやっていた。
こうして、背丈も肌の色も異なる3人のスタッフと20〜30名ほどの観光客で、船の旅は始まった。
お客のほとんどは日本人だが、何人か外人さんも混じっていた。
日本人客は、なんだか農村のようなメンバー構成だった。
働き盛りの男がほとんどおらず、年寄りと女性と子供ばかり多い。そりゃそうだ。
大の男が4月のアタマから会社休んでたらクビになっちゃうもんね。
女子供がグアムで遊んでいる間も、男たちは日本の会社で24時間戦っているのだ、きっと。
船は、小さな双胴船で安定感があった。 「蚊はほとんどいない」とジョーさんは言っていたものの、何匹か足元をブンブンしていたので、 うさぎは虫除けを取り出し、足にスプレーした。 せっかく日本から、ボディチェックに引っ掛かってまで持ってきたんだもの、役立てなくっちゃね。
岸辺に見える植物に関するジョーさんの説明に耳を傾けながら、ほんの10分も川を上るうちに、 川の幅は狭くなってきた。そんな頃、誰かが叫んだ。
「あっ、待って! イグアナ! イグアナ!!」
それを聞いて、船は前進を止め、ゆっくりと岸近くまで後じさった。
「ほら、あそこ、あそこ!!」と指さす方を見ると、確かに。
巨大なトカゲみたいなやつが、のっそりのっそりと木の陰から現れて、別の木の陰へと入っていった。
うさぎはやにわにビデオを構え、その姿をしっかり映像に収めた!! ‥はずであった。
「よーし、これでカンペキ!」と思ってビデオの撮影/停止ボタンを押したら、
「撮影を開始します」というメッセージが出た。‥てことは、今、スイッチが入ったのね。
どうやら、慌てていて撮影モードにはしたものの、撮影ボタンを押し忘れたらしい。
あーあ、撮り損ねちゃったー。
「よかったねー、イグアナ見られてねー」とのんびりした調子でジョーさんが言った。
うん、確かに見られてよかった。本当によかった。‥でも、嬉しさ半分。
その証拠映像を取り損ねてしまったんだもの‥。
イグアナ遭遇からほんの数分ほど、木の葉が船の両脇に触れて音を立てるほどに両岸が迫ってきた頃、 パウさんが船の前方を見て叫んだ。
「見て、見て!! ワニ、ワニ、ワニ〜〜っ!!」
「えっ、どこどこ?!」またしても沸き立つ船内。
うさぎは今度こそ決定的瞬間を取り逃すまいとビデオを構え、ちゃんとボタンを押して、
パウさんの指さす先をめがけてズーミングした――!!
だが。
「ち・が・うー!!」とパウさん。あー、冗談だったのね。またしても、やられてしまった。
「あ〜あ、言ったでしょー、グアムにワニはいない、って〜」
と、歌うようにジョーさんが言った。
うーん、確かに。ほんの数分前、ジョーさんがそう言ってた。ふーん、って思って聞いていたはずだった。
なのにまったく我々ときたら、神妙な顔で頷いておいて、本当は何も分かっちゃいないんだなー‥。
川の幅が狭くなってきて、もうこれ以上は進めない、というところまでくると、船はくるりと向きを変え、 川を下っていった。 この狭い川のもっと上流に、「タロフォフォの滝」があるなんて、何だか信じられない。 その滝壺は有名な観光スポットだが、写真を見るかぎり、けっこう幅の広い、立派な滝だから。
10分ほど川を下って戻ると、支流が注ぎ込む地点があった。 この支流は「ホガン川」といい、チャモロ語で「赤い川」という意味なのだそうだ。 雨が降ると、水が赤くなる(ナゼかは知らない)のだそうだ。 このずっと先の湖の傍らに、横井さんが洞穴を掘って住んでいたという。 ジョーさんが横井さんの生活の知恵について、いろいろ話してくれた。
その他に、この支流でジョーさんが話してくれた印象的な話と言えば、グアムの歴史。
あまり考えたことはなかったが、グアムは要衝の地。
それゆえ、ここ数百年のグアムの歴史は、まさに列強支配の歴史だったのだ。
けれどそれを語るジョーさんは、いともの〜んびりとした調子。
「最初にスペインの兵隊さんがやってきました。
それでスペインの支配が 330年ほど続きました。
なんでもっと続かなかったかなー、っていうと、
アメリカの兵隊さんがやってきたからです。
スペインとアメリカが戦って、アメリカの兵隊さんが勝ちました。
それで、アメリカの支配が40年くらい続きました。
なんでもっと続かなかったかなー、っていうと、
ドイツの兵隊さんがやってきたからです。アメリカとドイツが戦って‥」
結局グアムは、スペイン、アメリカ、ドイツ、日本、アメリカの順にその統治国を変え、今日に至るのであった。
ところで、リバークルーズにもすっかり慣れてきた頃、船に「虫」が出た。
「虫」は、ままりんの首まわりをブンブン飛び回り、ままりんをうるさがらせた。
手で追い払ってみたものの、なかなか飛んでいかない。
「もう、いやな虫!」ままりんは、首すじに止まっては飛び立つ虫を追い払おうと、首を大きく振り回した。
すると、うしろでニヤニヤしているパウさんと目が合った。細い椰子の葉の繊維を手に持った‥。
そう。実は、虫なんか全然いなかったのだ。パウさんがこの葉の繊維の先で、
首筋をチョンチョンつついていたのだ。
「あら、あなたがやってたのね!」とままりんが笑うと、パウさんは「しーっ」と口に指を当て、
ままりんの隣のご婦人にターゲットを変えた。
そのご婦人も、ままりん同様、しばらく騙されて手を振り回していた。
パウさんのイタズラに気がついている回りのお客は、忍び笑いを漏らしながら、その様子を見物していた。
船を下りた後に、ジョーさんがわたしに言った。
「ねっ、やっぱり悪い虫が出たでしょう?」と。