日本に帰る日。
寝坊してはいけないと気を張っていたせいで、モーニングコールが鳴る前に目覚めてしまった。
明けゆくツェンワンの街を窓から眺める。
今日も空は不機嫌そう。
雨が降っているようだ。
時間をもてあましていたので、荷物の最終チェックをし、ついでに金勘定もしてみた。 ずいぶん香港ドルが残っている。2万円近くも。 福臨門での飲茶が意外にも安く済んだという嬉しい誤算もあったが、 そもそも4万円の両替が多すぎた。 せめて3万円にしておけばよかった。 ――まあ、今となってはあとの祭り。 まだおみやげもあまり買ってはいないし、空港でなにかいいものが見つかることを期待しよう。
モーニングコールが鳴ったあと、菜々子ちゃんの部屋に電話すると、 しばらくしてチャアが元気に部屋に帰ってきた。
ロビーに下りてきたのはまだ集合時間の30分近く前だった。 フロントは静かで、係りが一人しかいない。 用事は混み出さないうちに済ませるに限る。 早速セキュリティボックスの中のものを取り出し、チェックアウトを済ませた。
ソファで集合時間を待っていると、同じツアーの年配のご夫婦がやってきた。 彼らとは滞在中も一度エレベータの中で会って話をしている。 感じのいい人たちだ。 しばらくして菜々子ちゃんたちもやってきて、あくびをしつつ、皆でのんびり集合時間を待った。
集合時間になった。 ガイドさんはやってきたけれど、一向にバスへと誘導されない。 どうしたのかと思ったら、一組まだ来ていないらしい。
10分、15分。最後の一組はまだ姿を見せない。 不安になって思わず手帳で飛行機の時間をチェックした。 8時40分発のフライトだ。 一体大丈夫なのだろうかと思い始めた頃、ようやく最後の一組が揃い、 一向はロビーを出てバスへと歩き始めた。
バスへ向かう間うさぎが考えていたのは、到着時にバスで一緒になった、 荷物の少ないOLさんたちのことである。 街用のバッグ一つという軽装備だったあの人たちの荷物は一体、 帰国時にはどのようになっているであろうか。 それが、この香港旅行における最後の関心事であった。
ところが、そんなことを考えつつ、同行のご夫婦の荷物に目をやったら
――ボストンバッグがぺちゃんこ!
おもわず菜々子ちゃんに耳打ちした。
「ねえ、あの方たちの荷物、やけに少ないと思わない?」
「‥確かに。しかも行きより減ってるし」
「えっ、減ってる? ホントに?!
確かに、行きはそんなに少ないと思わなかったわ。
でもそれって、OLさんたちの荷物が超少なかったから目に付かなかっただけかも」
「いいえ。確かに減っている」妙に確信に満ちて菜々子ちゃんは言った。
「行きはあんなにぺちゃんこではなかったもの」
うさぎは可笑しくなった。この人はこの涼しげな顔で、そんなに細かく観察していたのか、と。
「でもどうやって減らしたんだろう?」
「衣類を捨ててきた、とか」
菜々子ちゃんが静かに言う。
「捨て‥?! そうかなー、そうかなー、そんなことってあるかなー」
と好奇心全開で大騒ぎするうさぎ。
「"すみません、お荷物、減ってません? どうしてですか"って聞いたら失礼かなあ??」
「ふふふ」と上品に笑う菜々子ちゃんのほうは到って澄まし顔。
人の荷物に詮索をめぐらす相方には到底見えない。
しかしこうなると、ますますOLさんたちの荷物の量が気になるところだ。
けれども、残念。OLさんたちは、同じバスにいなかった。
おそらく帰りは別のフライトなのだろう。
「ねえ、あのOLさんたちの荷物、ますます減っている‥なんてことはないよねえ?」とうさぎ。
それは怖い。怖すぎる。
「もしかして、3日間のツアーだったとか」と菜々子ちゃん。
「あ、そうか〜! それならあの少なすぎる荷物にもちょっと納得できるわね」
パンダホテルは空港から近い。空港についてもまだまだ時間はたっぷりあった‥ように思われた。 けれど、チェックインカウンターの前は長蛇の列。 ようやくチェックインを済ませ時計を見たら、もう出発の1時間前だった。 しかもセキュリティチェックの前が長蛇の列。 その列の長さに危機感を感じ、出国を優先しておみやげ屋のチェックは諦めた。
結果からして、おみやげ屋のチェックを諦めたのは、英断であった。
なぜって、この期に及んで、菜々子ちゃんの手荷物が大きすぎると判断され、
チェックインカウンターの長蛇の列に逆戻り、の世界が待っていたからだ。
「これじゃあ二度手間じゃない!
どうしてチェックインカウンターの前でチェックしてくれないのかしら?!」と
憤慨してみても仕方がない。
うさぎが子供二人を連れて一足先にこれまた長蛇の列の出国手続きを済ませ、
あとからやってきた菜々子ちゃんと合流して無事ことなきを得た。
もしあそこでおみやげ屋に寄っていたら、飛行機に乗り遅れていたかもしれない。
でもそんなわけで、うさぎは香港ドルを130も余らせたまま、日本に帰る羽目になったというわけだ。