夜のサレンアグン宮殿は、大勢の観光客で賑わっていた。 今夜はここで、レゴンダンスとバロンダンスの公演が行われるのだ。 催し物が退けたらまたここに迎えにきてくれるよう運転手に頼むと、 うさぎたちも車を降りて会場へと繰り出した。
一人につき5万ルピーばかりの入場料を払って宮殿の敷地内に入ると、 そこはすでに東西からやってきた観光客でいっぱいだった。 舞台に近いところには腰を下ろせるよう、地べたに毛氈が敷かれており、 後ろの方には椅子が並んでいる。
椅子はすでにふさがっていたので、 舞台正面の毛氈の上に靴を脱いで座り込んだ。 左右の西洋人たちは、慣れない座姿勢に、長い足を持て余しているようだ。 でも東洋人のうさぎにとっては、椅子に腰掛けるよりむしろ、 地べたにべったりと腰を下ろすほうがくつろげる。 ‥なんて思っていたら、やれ情けない、 舞台が始まりもしないうちに、早くも足がしびれてしまった。
舞台の左右に並んだガムランの長い演奏の後、ようやく一人目のダンサーが現れた。 濃いピンクの衣装を身につけたそのダンサーは、ガムランの奏でる雅やかな調べに合わせ、 足の裏を床からあまり離すことなく、カッと見開いた目で体をくねらせて踊った。 まるで何かに憑りつかれているような独特の表情で。
そのうち、第二、第三のダンサーが現れ、舞台は華やかさに包まれた。 道化のような役回りも登場した。
ところがそんな宴もたけなわというときに、 あろうことか、うさぎはトイレに行きたくなってしまった。 そこで、他の観客の視線を遮らないように人の間を這って進み、観客席の外に出た。 そしてそこにいた係員にトイレの場所を尋ねた。 係員は、あっちだと前方を指し示した。 そっちを見やると、舞台脇の戸口があった。 そういえばさっきから、上演中にその戸口の付近をウロウロしている人がいたっけ。 きっと彼らもトイレに行っていたのだろう。 ――そううさぎは合点し、戸口を目指してまた観客とガムラン楽団の間を這い進んだ。
戸口にようやくたどり着くと、その先は意外にも楽屋だった。 いや、ちっとも意外なんかではない。 舞台の裏手にあたるここが楽屋なのは道理だ。 そこでは、出待ちのダンサーたちが楽しそうに談笑していた。 舞台では何かに憑りつかれているような表情で踊る彼女たちは、 楽屋ではごく普通の娘さんたちだった。
うさぎは彼らに、「すみません、トイレはどちらですか?」と尋ねた。
すると皆は一斉に、今入ってきた戸口の反対側の戸口の方を指差した。
おお、そっちであったか! うさぎは礼を言うと、もう一方の戸口を目指した。
ところが。
その戸口をくぐると、そこは観客席だった。
つまりうさぎは、観客席の左側の戸口から楽屋に抜け、
右側の戸口から観客席に戻ってきてしまったというわけだ。
仕方がないので、さっきの係員とは逆の隅に待機している係員にまたトイレの場所を尋ねた。 すると彼は、さっきの係員の方を示した。
結局ふりだしに戻り。 最初の係員にもう一度トイレの場所を尋ねると、彼はさっきと同じ方を指差した。 うさぎは心の中でためいきをつきながら、彼の示すほうを眺めた。
けれど、今度はさっきとは違う展開になった。 楽屋に通じる戸口までは行かない暗がりの中に、小さなドアがあるのが見つかったのだ! さっきはそんなドアがあるなんて、全く気付かなかったのに。 きっと、明るい舞台をずっと見ていたものだから、暗がりに目が慣れず、 見えなかったのだろう。
用事を済ませて元の場所に戻ると、レゴンダンスが終わり、 すっかりバロンダンスの世界に変わっていた。 話の筋がもともと読めないところにもってきて、途中で抜けたものだから、 一体どういう展開なのやら、さっぱり分からなかった。 あとであらすじが日本語で書いてある紙を貰い、それでようやく、 「そういう話だったのか〜!」と分かった次第である。
1時間半ほどで宴は終わり、他の観客同様、うさぎたちも会場から引き上げた。 ちょっとばかり意外だったのは、 観客と一緒にダンサーたちも一斉に会場から引き上げたこと。 若き女性ダンサーたちもまた、美しく施した化粧、きらびやかな衣装のまま、 迎えにきたカレシのバイクの後ろにまたがり、帰っていったのであった――。