「夜遅くでも、食事のとれるレストランって近くにありますかしらね?」
うさぎがアラムジワのスタッフにそう尋ねたのは、
バリダンス公演に行った晩のことだった。
「ございますとも。系列のラカレケレストランに出向かれても良いですし、
お部屋にお持ちすることもできますよ。
なんなら今、オーダーを先に済ませておかれては?
そしたら公演から帰ってきてからあれこれ考える必要なく、食事にありつけますから」
長老めいた雰囲気のそのスタッフはそう答えた。
うさぎは、それは良い考えだと思い、夕食のオーダーを済ませてからダンス公演に出かけた。
公演から帰ってくると、彼はまたそこにいた。
「おかえりなさい。さっそく食事の準備にとりかからせましょうね?」
「ええ、お願いします」
うさぎは明日の朝食のメニューを借りて、部屋に戻った。
夕食後、翌日の朝食のオーダーを決めてレストランに戻ると、 彼はまたそこに立っていた。 若いスタッフの中で、彼だけは年配である。。 おっとりとした表情のスタッフの中、彼にはどこか威厳がある。 つまり彼は、他のスタッフとはちょっと違っていた。
朝食のオーダーを済ませたあと、
「さきほどの夕食の件では、よいアドバイスをどうもありがとう」と彼に礼を言うと、
「いやなに。困ったこと、分からないことがあったら何でも私に相談してください」と
彼はゆっくり言った。
その言葉を聞いたら突然、うさぎの頭に一つの名前が閃いた。
「コマン」という。
「アラムジワで何か困ったことがあったら、コマンさんに相談するといいですよ!」
ネットの掲示板でそうアドバイスされたことがあった。 そしてそれ以外にも、 頼れる人としての「コマン」という名を何度か目にしたことがあったのを思い出したのだ。
「分かった!」とうさぎはだしぬけに叫んだ。
「わたし、あなたを知っているわ。あなたはミスター・コマンでしょう?」
彼はこころもち頭を後ろに反らしてうさぎをちょっと見つめると、唇に笑みを浮かべ、
大きな手をうさぎの方に差し出した。
「いかにも、わたしがコマンです。改めまして、どうぞよろしく」
「あ、こちらこそ、ナイストミーチュ」慌ててその手を握り返すうさぎ。
「して、あなたにコマンの名を教えたのは一体どなたでしょう?」とコマンさん。
「ネットで知り合った方が、教えてくださったんです。
"何か困ったことがあったら、コマンさんに相談しなさい"と。
そうだわ、忘れてた!
わたし、あなたにエアチケットのリコンファームのことを相談しなくては!」
この言葉を聞いたとたん、背後で二人の会話を聞いていた4、5人のスタッフたちが一斉に やんやとはやし立てた。
「困ったことがあったら、コマンのところへ行けだってさ〜♪」
一人が歌うように言った。
「リコンファームで困ったら?」
皆が一斉に叫んだ。
「コマンのところへ行け!!」
また別の誰かが訊いた。
「お腹が空いたら?」
皆が合唱する。
「コマンのところへ行け!!」
「失恋したら?」
「コマンのところへ!!」
「赤ん坊が泣いたなら?」
「コマンのところに急げ!!」
これにはコマンさんが、顔をしかめてみせた。
「金に困ったら?」
「コマンのところに借りに行け!!」
おお、それは勘弁してくれ、と、コマンさんはますます困ったような顔をしてみせた。
それはまるで、ミュージカルを見ているようだった。
ひとしきり皆で大騒ぎをしたあと、コマンさんが言った。
「ここにはわたし以外にも、"コマン"がたくさんいますからね。
困ったことがあったら、誰に頼んでも大丈夫ですよ。
リコンファームについてもね。
そうだろ? みんな?」
後ろに並んだ連中が「はーい!」と手を挙げた。
「ボクもコマンって言います!」
「ボクもコマン!」
「みんなコマンで〜す!」
実は、バリの最多カーストである"スードラ"には4つの名前しかない。 男であれ女であれ、長子には必ず「ワヤン」という名がつけられ、 二番目は「マデ」、三番目の子は「コマン(ニョマン)」、四番目は「カトゥト」で、 五番目以降はまた「ワヤン」に戻って順繰りに名前がつけられるのだそうだ。 だから、全員が「コマン」という名前であるというのは冗談だとしても、 本当にコマンは他にもいるはずである。
「でも、みんなコマンさんだったら、あなたのことは何てお呼びすればいいの?」とうさぎ。
長老のコマンさんは高らかに笑い、
「わたしはビッグコマン。三番目に生まれたので、子供の頃からそう呼ばれています」
と答えた。
「他にはどんなコマンがいるの?」と尋ねると、
「そうですねえ、ヤングコマンとかリトルコマン、
中くらいならミディアムコマン、色黒なブラックコマン‥」と彼は指を折りながら言った。
様々なコマンがいる中で、彼の名は「ビッグコマン」。 彼にぴったりの名だと、うさぎは思った。