飛行機はほんの30分余りで、まだ日が沈みきらない6時半頃ペナンに到着した。 こぢんまりとした空港の出口では様々なツアーの現地係員が鈴なりになって、客の到着を待っていた。 その中にはうさぎたちを待つJTBの係員もいた。彼は、うさぎたちを含めて3組のお客を待っていたのだった。
そのうち一組は、男の子二人を連れた、うさぎたちと同じような家族だった。
彼らには見覚えがある。クアラルンプールのトランスファーデスクで係員の英語が聞き取れなくて困っていた人たちだ。
うさぎの方がまだちょっと英語が分かるから、助けてあげようかな、って一瞬思ったんだよね。
――そうか、この人たちも無事飛行機を乗り換えることができたんだー、って思ったら、
なんかちょっとフクザツな気分‥。さっきちょっとばかり感じた優越感はどこへやら、だ。
最後の一組である二人連れが出てくると、一行は待たせてあった大型観光バスに乗り、
ホテルのあるバツーフェリンギへと向かった。
たった十名の客のために大型バスとは何とも贅沢だが、それでも客の数がこれまでのJTBのツアーで一番多い。
「おお、今回は儲かってるじゃん、JTB!」ときりん。
宿泊先は、うさぎたちがラササヤン、他の2組がゴールデンサンズと、3組共シャングリラビレッジ内であった。 ウィリーさんという中華系の係員が、バスの中で今後の日程を説明した。 うさぎはそれを聞きながら、バスの外を流れる景色に見入った。
空港のまわりは山がちで、いたってのんびりした風景だった。高床式のこぢんまりとした農家の集落、それに家畜舎‥。 これぞNHK取材番組の世界!、と喜ぶうさぎ。
けれど。ほんのすこし行くと、あたりは急に街中になった。
高層マンションがびっしりと立ち並び、フラットや一戸建てが群をなす。その都会的な光景に、うさぎはびっくりした。
住宅形態の違いによらず、それらはどれも非常にお洒落で新しく、美しい。
吹きつけの壁は、暖色系のパステルカラーで彩られ、窓の形も装飾も西洋風の垢抜けたイメージ。
そしてなぜだか、たいてい赤い三角屋根が乗っかっている。高層マンションにも。
どだい、高層マンションのその高層ぶりが日本とは違う。20階、30階建ては当たり前。 外壁をサーモンピンクと白などツートンに塗り分けていることが多く、形は白い地中海風の欄干がついた半円形のベランダ、 もしくは半円形のパノラマウィンドーの採用など、曲線の凹凸が多い。 てっぺんに乗っかった赤い三角屋根のアクセントも可愛らしい。 トーフのようにのっぺりと四角くて無機的な昨今の日本のマンションとなんと違うことか。 まるで、都内の一等地に建つ往年の秀和レジデンスみたい。
このような建物がスポット的に建っているだけなら、うさぎもそれほど驚かない。
どんなに貧しい国にも、お金はあるところにはあるものね。
けれど、バスが何十分走りつづけても、綿々とこの景色が続くってことは、ここは相当豊かな町なのだ。
高層マンションの窓の数は、とても一部の特権階級だけで埋め尽くせる数ではないから、
これらの住宅が一般的なものであることは間違いない。
一体、この住宅レベルの高さは何?!
確かにペナンは、他のアジアのリゾート地とは違う。 他のリゾート地が観光産業に依存して生計を立てているのに対し、ペナンの基幹産業はあくまでハイテク関連である。 国際リゾートとしての観光産業は副業に過ぎない。ここはアジアのシリコンバレーであり、マレーシア第二の都市なのだ。
でも、それにしたって、ここは所詮「マレーシア」である。
「わあー素敵! こんな街に住んでみたーい!」
もしこれがヨーロッパやアメリカだったなら、うさぎは何のわだかまりもなく、こんなふうに素直に憧れただろう。
でも、ここはマレーシアなのだ。
たかがマレーシアごとき経済二流国(失礼!)が、かように豊かな暮らしを営んでいるのを見ると、なんだか悔しい。
街が素敵であればあるほど、経済大国ニッポン国民としてのプライドが傷ついてしまう。
そしてつい街並みの中に貧しい部分はないかと、アラ捜しをしてしまうのだ。
けれど。アラ捜しをすれど、貧しい部分はなかなか見つからなかった。 その代わりに目にしたのは、アルファベットで書かれたマレー語の看板、英語の看板、漢字の看板、 そしてたまにアラビア文字の看板。 敷地が1000坪ほどある邸宅の玄関扉の上に、表札だか家訓だか漢字熟語が掲げられているのもしばしば目撃した。 「チャイニーズガールズスクール」とか「チャイニーズスポーツセンター」 などといった看板を掲げた建物がそここちらにあり、"Chinese"の文字が目立つところに中華系の羽振りの良さが窺える。 ――ああなんて悔しい!
ちょっと不思議だったのが、まるっきり同じかたちの大邸宅が何軒も立ち並んでいるところがあったこと。
建売なんだろうか。
せっかくの大邸宅も、金太郎アメではいまいち高級感に欠ける。
同じ外観の低層フラットが何列も並んでいるのは統一感があってオシャレだと思ったけれど、もし大邸宅に住めるのなら、
お隣さんとは違う家に住みたいものだ。うさぎは負け惜しみ的にそう思った。
もうひとつ、気になったものと言えば、建設中の高層マンション。ほんとにここは何と普請の多い町だろう。
さすがに急激に人口の増えている国である。なんせ国民の平均年齢が20代というのだから恐れ入る。
けれど建設中の集合住宅が気になるのは、数の多さだけではない。それが、なぜか廃墟に見える、という点なのだ。
それらは、完成予想図が看板として添えられているところから見て、決して廃墟ではありえない。
あくまで建築中なのだ。なのに、どうみても廃墟に見える。なぜだろう――?
うさぎはその理由を考えてみた。錆びた鉄骨、コンクリートに染みた雨の跡、日本とは異なる建築方法‥。
この辺が、その理由のようである。
この国の建築方法、それはなかなか興味深い。
鉄骨を埋め込んだはコンクリートで柱を作るところは日本と同じだが、その際に壁は作らない。
壁となる部分は、レンガ色または白っぽいブロックを積み、目地をコンクリートで固めて作るのだ。
どうしてそんな手間のかかるやり方をするのか、そんなやり方で堅牢性は充分なのか、その辺がいまいち腑に落ちないが、
この街ではこのやり方が主流らしい。
錆びた鉄骨とコンクリートの汚れについては、後に謎が解けた。
うさぎが「廃墟だ」と思ったのは、あながち勘違いではなかったらしい。
建築中のビルの中には、途中まで工事が進んだはいいが、ディベロッパーの倒産によって建築計画が頓挫したものがあり、
そのまま雨ざらしになっているそうなのだ。
さて、乗車してから40分以上が経過した。けれど、バスはまだホテルにつかない。
時刻は7時半をまわり、さすがに外も暗くなってきた。そして、雨がぱらぱら降りだした。
この頃から、あたりの景色は徐々に変わってきた。右手に海が見えはじめ、左手には山が迫ってきた。
そして住宅の数が減ってきた。
道の海側に高層のリゾートホテル、山側に高層マンションがぽつんぽつんと建っている他は、海と山だけだ。
‥おかしいな。この辺はバツーフェリンギに次いでメジャーなビーチ、タンジュンブンガのはずだが‥?
更にバスが進むと、ますます辺りはマイナーになってきた。 海と山に挟まれて道が細くなり、車2台がやっとすれ違えるほどの幅しかない。 しかも小刻みなうねうね道だ。右にまがり左にまがり‥。うさぎはだんだん気分が悪くなってきた。 本当にこの先にバツーフェリンギがあるんだろうか‥? タンジュンブンガからバツーフェリンギまで、地図の上ではほんの数キロのはずだが、道はうねうねを繰り返すばかり‥。
何十回となくうねうねを繰り返した後、ようやく道がまっすぐになってきた‥と思ったら、
もうラササヤンの門の前だった。空港から約一時間。
「えっ、ここーっ?!」うさぎは不意をつかれた。
ラササヤン自体は想像通りの美しさだが、この辺りのマイナーさは一体‥?! ラササヤン以外、他になーんにもない。
そりゃハワイのホテル街を想像しちゃいなかったけど、
「国際的リゾート」って言ったら、もうちょっと賑やかじゃない?、普通。
ここって、ただの田舎に見えるんですけど‥。
中心街の都会さ加減にびっくりし、バツーフェリンギの田舎さ加減に二度びっくり。
ハイテクが本業、観光は副業、という地域の特性がよーく分かったのであった‥。