Malaysia  ペナン島

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【 イスタナ 】

イスタナ

結局、子供たちは夕食時になっても目を覚まさなかった。 「食事にいこう」と声を掛けると、「いらない」と答えるので、食事にはきりんとうさぎだけで行くことにした。

食事はバツーフェリンギよりも先のテロクバハンという場所にある「イスタナ」で取ることにした。 ペナンカルチャーセンター付属のレストランである。 マレーシアの民族舞踊を見ながらマレー料理を食べられるというので、「エスニック料理は嫌いだ」 と難色を示すきりんをうさぎが説き伏せ、ここに決めたのである。

イスタナへは地図を見ると2キロ程度なので、歩いても行かれないことはないと思ったが、夜だし、 タクシーで行くことにした。
「タクシーを呼ぶなら、ホテルよりも外の方が安い」とウィリーさんが言っていたので、 うさぎたちはホテルの前にあるタクシー屋へ行った。 掘っ建て小屋の前に車が一台あり、運転手がヒマそうに突っ立っていた。
「イスタナまで、幾ら?」とうさぎが尋ねると、彼は答えた。
「12ドル」
うさぎは反射的に頷き、次の瞬間、しまったと思った。タクシーの料金は値切るのがこの国の習慣だった。 価格にこだわってホテルを出てきたクセに。習慣って恐ろしい。隣り町まで400円か。日本のタクシー並みの値段だな‥。

だが、イスタナまでは案外遠かった。まばらにネオンが輝くホテル街を抜けると、道は狭くうねうねと曲がりくねった。 あたりは真っ暗。ああ、歩くなんてバカなことをしなくて本当に良かった。 直線距離は2キロでも、道のりはその倍以上ありそうだ。

ネオンで飾られたマレー風大屋根のイスタナに着くと、きらびやかな衣装をまとったマレー女性が数人、 玄関先でお客を出迎えていた。うさぎは他の観光客同様、彼女たちと一緒に並んで、きりんに写真を撮ってもらった。

面白いことに、このレストランは土足厳禁であった。入口に下駄箱があり、そこに靴を入れた。 レストランの中は板張りだ。
重々しい大きなドアの中に入ると、右に写真撮影コーナーがあり、左は伝統工芸品の販売コーナーだった。 写真撮影用のセットはキンキラキンの御殿で、その中央に玉座があった。 うさぎときりんは、頭にマレー風の飾りを乗せて玉座に座り、ここでも写真を撮った。

レストランは、3つの団体の予約客でほぼ満席だった。
入口の正面奥には両脇に楽団席を従えたステージが設えられており、その前のフロアは大小の丸テーブルで埋められていた。 ステージ正面は30〜40人ほどのドイツ人ツアー客、その右側は台湾人の団体客で占められ、 左側はアラビア人ばかりであった。 予約をせずに行ったうさぎたちにはアラビア人の後ろの席があてがわれたが、 どうやらうさぎたちは異なる国から来た3つの大きな団体の中に紛れこんだ、唯一の日本人らしかった。

あたりを見回すと、ほとんどのアラビア女性はスカーフで髪を覆っていた。 普通の服に色物のスカーフだけを被っている人もいれば、頭から足の先まで全身黒ずくめの人もいたが、男性も含め、 皆おしなべて地味であった。
ところが、そこに一組だけ、やたら派手な人たちがいた。ステージに一番近い上席に座っていたカップルである。 うさぎの席からは、彼らの後ろ姿しか見えないものの、彼らがヘーンな恰好をしているのが分かる。 男女共に黒いベルベッドのズルズルした着物を着て、女性の方は頭いっぱいにきんきらきんの飾りものを被っているのだ。 なんか見るからにタダモノじゃあないって感じ。 しかも、そんな恰好で、男の方はステージに向けてビデオを回している。変なのー。

料理は、3種類のコースの中で一番安いのを選んだ。
最初に運ばれてきたのはサテと呼ばれるマレー風の甘い焼きとり。 紫タマネギと冬瓜、それに米を冷やして固めたトーフのようなものが添えられている。 これらをドライカレーに付けて食べるらしい。初めて食べるものだが、クセがなくておいしかった。
次に運ばれてきたのは、3重の皿の上に鎮座ましましたコンソメスープだった。 細かい具が入っていてピリリと辛く、ターメリックだか何だか、よくカレーに入っているような香辛料の匂いがした。

そのあとにはメインディッシュがどっと運ばれてきた。 柔らかい鶏肉、白身魚の甘辛煮、イカ料理、瓜や人参のピクルス、ビーフカレー、野菜とふくろ茸のカレー、 それに長粒米のご飯。 これらを端から味見をしていると突然、猛烈な辛さがうさぎを襲った。舌が燃えるように熱い。 あわててココアを呑んだが、ココアの温かさが仇になってますます舌が痛い。うさぎは急遽ミネラルウォーターを注文した。

一体何がそんなに辛かったのだろう? うさぎは用心深く、一つ一つの料理をすこしづつ試した。
犯人は意外にも白身魚の煮物だった。口に入れた時は甘いのに、猛烈な辛さが時間差攻撃を仕掛けてくる。
他の料理はそこまでではないが、やはり辛かった。カレー類は当然辛いし、ピクルスに添えられたチャツネでさえ辛い。 唯一の救いは白米だが、長粒米なので食べる気がしない。
辛くさえなければ、どれもそれなりに美味しい料理なのだが、辛さで焼けた舌が、 多少の辛さやすっぱさにも敏感に反応して痛いので、うさぎは途中で食べるのをやめた。

食事の間にステージでショーが始まった。男女20〜30人のダンサーが、きらびやかな衣装を身に纏って踊る。 音楽が変わる都度に、彼らは次から次へと衣装を着替えては踊り、着替えては踊った。
衣装には必ず金の装飾が入ってはいたが、色や形がバリエーションに富んでおり、音楽もドンドコ(?!)風、ガムラン風、 演歌調、歌謡曲風、アメリカンポップス風など様々であった。 踊り方も、皿を持ってそれを落とさずに踊るもの、 男性の肩に担がれた長い竿を組んだ上で女性が踊るアクロバット的なものなど様々で、 全体として「伝統的」というよりは「芸能風」。どれも、ものすご〜く派手で楽しい。

ひとしきりダンサーたちが踊ったあと、

「皆様、今宵はペナン文化センターにようこそ!
本日の主賓は、サウジアラビアからお越しのサミアリ夫妻です!!」

という挨拶が入った。 司会は英語の堪能な中華系の若者で、そのやわらかい話し方は「マレーシアの中居クン」といったところか。

紹介されたサウジのサミアリ夫妻とは、例の派手〜なアラビア人たちで、ここでやっと謎が解けた。 即ち、彼らはここに「マレー風結婚式」を挙げにやってきたカップルだったのだ。 わざわざ外国へ結婚式を挙げに行くのは日本人だけじゃあないらしい。

若い女性が前へ出て、サミアリ夫妻に関するスピーチをした。初めて聞くアラビア語である。
スピーチをした女性はうさぎたちの前のテーブルにいた人で、非常に魅力的であった。 グラマーで堂々とした体つき、彫りの深い顔だちに、びっくりするくらい長い睫毛。豊かに波うった漆黒の髪。 スカーフは被っておらず、体にぴったりとした黒い服がセクシーだ。 同じ黒でも、他のアラビア女性の着ている地味な黒とは異なり、華やかな黒である。 場慣れしたその様子といい、堂々としたその物腰といい、自分の魅力を知り尽くした感じといい、 まるでハリウッド女優みたい。うさぎはその魅力に圧倒され、食事の間も、ほれぼれと彼女を眺めていた。

ステージでは、ダンサーの踊りが終わると、参加型のショーが始まった。お客がステージに上がるのだ。
最初はきりんがダンサーに誘われて、他の10名ほどの客と共に壇上に上がった。 そして「バンブーダンス (竹の踊り) 」を練習した。
まずダンサーたちが見本を示す。竹の長い竿の間でステップを踏みながら左右に移動するのだ。 ごく大雑把に言うと、反復横飛びに似ている。
見本が終わると、今度は各国の代表たちだ。ダンサーたちの後ろに並んで右、左、右、左と足を動かす。 最初はごく簡単なステップだが、段階を追って難しくなり、しまいには、しろうと軍団たちはみな足がもつれてしまった。
でもきりんだけは別。何事にも器用なきりんは見事にこの難ワザをやってのけた。

その次のダンスでは、うさぎがステージに上がった。 東マレーシアの伝統的なダンスだそうで、あぐらをかいて座り、手と上半身だけで踊る。 アジア独特の手の動きがなかなか難しい。
とりあえずうさぎはアジア人の誇りにかけて、隣りのドイツ人女性よりも上手に踊ることを目標に踊ってみた。 でも後でビデオを見てみたら大差なく、代わりにうさぎの後ろであの美しいアラビア女性が何とも魅力的に踊っていた。

ショーは、孔雀男 (クジャクの羽を腰に着けている) が中心のダンスで締めくくられて終わった。 うさぎたちは帰り支度をし、給仕を呼んで、カードで支払いをすることを告げた。 給仕はうさぎのカードを持って立ち去り、随分してから戻ってきて言った。
「他にカードはお持ちじゃないですか?」
なんでも、カードリーダーが壊れていてVISAが読み取れないのだそうだ。 他のカードなら読み取れるのだが、と言うが、うさぎたちはそれしかカードを持っていない。
「現金は充分にないし。どうしたらいいかしら?」とうさぎが肩をすくめて言うと、
「この男にホテルまで送らせますから、そこで現金で支払ってください」とフロアマスターがやってきて言った。

その男とは、テンガロンハットを被った西部劇に出てくるようなタフガイだった。
うさぎたちは、サミアリ夫妻を先頭にしたダンサーたちの婚礼行列の中をかいくぐって外へ出、他の数人の観光客と共に、 タフガイの運転するワゴンに乗った。そして、ホテル着くと部屋から現金を持ちだし、ロビーで待つ彼に渡した。

「帰りのタクシー代が節約できて、ラッキーだったかもねー」部屋に落ちつくと、うさぎはきりんにそう言った。
このちょっとした事件が、あとで大きな事件になって帰ってくるとは、この時のうさぎには想像もできなかったのである。

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