"トライショー"というのは、いわばマレーシアの人力車である。 これ自体がペナンの名物で、しかも観光名所を巡るのに便利だというので、 うさぎたちもぜひ乗ってみたいと思ってジョージタウンにやってきた。 幸い、トライショーはジョージタウンに着いたとたんに見つかった。 さっきシャングリラホテルの前でバスを降りた時、ちょうどそこに、たった2台だが、待機していたのだ。
食事を終え、さっきの場所に戻ると、いた、いた。さっきバスを降りたとき、一時間RM25でどうだ、 と声を掛けてきたおじさんたちが、まだそこにいた。 あれから一時間半も経っているのだが、その間に、お客は誰も来なかったのだろうか。
さして高いとは思わなかったので、きりんとうさぎはおじさんたちの言い値で手を打ち、市街地図を見せて、 自分たちが見たいスポットを、順におじさんたちに指し示すと、うさぎとネネ、 きりんとチャアの二手に分かれて2台のトライショーに分乗し、トライショーは走りだした。
トライショーは、前に2つ、後ろに1つ車輪のついた三輪自転車である。
二つの前輪の間に二人分の客席があり、それを後ろから押すような形でおじさんたちが自転車を漕ぐ。
客席の上には日除け用の幌があり、漕ぎ手の為にはハンドルに傘が取り付けてある。
車体のあちこちにパイプを繋いだ後があり、普通の自転車を改造して作られたものであることが分かった。
見た目はいささか粗末であるけれど、あんがい乗り心地は良い。時折ガタガタ揺れはするけれど、落ちそうになることはない。
それに、街を眺めるにはちょうどいい速度である。
ただ、大通りの真ん中を、車と一緒に走っていくのには、いささか不安を覚えもするけれど――。
まず最初にトライショーが到着したのは、カピタン・クリンモスクであった。 この国の最多数民族マレー人の信仰する、イスラム教の寺院である。さっそく車を下りて、モスクの前で写真を撮った。 金色に光るタマネギ型の屋根と、整然とした庭園が美しい。
モスクからほんのわずか走ると、こんどはスリ・マリアマン寺院の前に到着した。ここはヒンドゥーの寺院である。 モスクの前のピット通りから一本脇に入ったこの道は、インド人街なのだと、 トライショーのおじさんがカタコトの英語で教えてくれた。 他の建物の隙間にはまったこぢんまりとした寺院だけれど、 奇妙な形の屋根にごちゃごちゃとレリーフされたヒンズーの神々が面白い。 しかもレリーフは色とりどりで、塗りなおしたばかりなのか、とてもきれいだ。
インド人街を抜けてピット通りに戻ると、もう観音寺は目の前にあった。 ここは中華系の人々のための仏教寺院で、そのしつらえは日本のお寺とほとんど変わらなかった。 赤い瓦屋根の上には、日本のよりはちょっと派手めのしゃちほこが乗っかっていたけれど、 それでもイスラムやヒンドゥーの寺院のあでやかさに比べると、まるで地味である。
セント・ジョージ教会は、ピット通りから入った脇道に面しており、広々とした緑の芝生の奥に、 英国教会の真っ白なチャペルが涼しげな風情で佇んでいた。
教会のお次は、真っ白な西洋建築シティ・ホールの前を通ってコーンウォリス砦へ。
この辺はいかにも旧イギリス領の雰囲気である。
コーンウォリス砦は、200年前、西洋人が最初に上陸した場所で、英国砲兵隊の駐屯地として要塞の役割を果たしてきた。
現在は小さな大砲が海に向いているだけだが、観光スポットなので、一応車を降りて写真を撮った。
トライショーのおじさんたちの方にもカメラを向けると、おじさんたちはむっつりした顔のまま、
手だけがピースサインになっていたので、うさぎは笑ってしまった。
大砲を見おわると、海沿いを走って有名な時計台の脇をすり抜け、水上家屋へ。
途中、本土行きのフェリー乗り場の桟橋あたりから、バイクの大群がこちらへ向かって押し寄せてきた。
すわ、暴走族か?!、と一瞬思ったが、それはうさぎの勘違いであった。
バイクの行く先を目で追うと、それらは次第にバラけていった。
日本で車が数珠繋ぎになって走るように、この街ではバイクも数珠繋ぎになる。
ことほど左様にこの街にはバイクが多いのであった。
水上家屋の入り口には、屋根付きの立派な門が立っていた。 ここから先は個人のお宅が建ち並ぶ場所なので、 はたして観光客がその門を超えて入っていっていいものだろうかと躊躇していると、 トライショーのおじさんたちが率先して中華風の門をくぐり、中を案内してくれた。
立派な門の中は、スラムと呼びたくなるような貧しい横丁であった。 海の上に貧弱な丸太を渡し、そこに粗末な板を置いただけの通路の両脇には、これまた粗末なバラックがひしめきあっている。 辺りには異臭が漂い、ところどころにある「空き地」ならぬ「空き海」には、薄緑色の海水が泡立って淀んでいる。 うさぎはそれを見て、わざわざ海の上に家を建てる理由が分かったような気がした。 きっとそれは、海の上では下水を整備する必要がなく、汲み取りの必要もないからなのだ。
海に突き出した桟橋の先端まで歩き、また戻ってくると、門の脇に揚げ物の屋台が出ているのに気付いた。
ネネくらいの男の子が母親を手伝ってお好み焼き様のものを混ぜ合わせ、それを母親が揚げている。
具は他にも幾つかあったが、うさぎたちはそのかき揚げ風のものをRM1(約30円)分買った。母親の方が英語で
「日本から来たの? 日本のどこ? ナゴヤ?」などと喋りながら、買ったものを揚げなおし、
食べやすいようにカットしてくれた。それはたいそう油っぽかったが、プーケットの船着場で買った揚げイモに似て、
おいしかった。庶民の味は、やはり美味しいのだ。
水上家屋から引き上げると、あとは一路シャングリラホテルに戻るだけであった。 トライショーに乗ってからそろそろ一時間がたつ。我ながら、なかなかいいコース設定であったわけだ。
ホテルに戻る途中、ドリアンの屋台に出くわした。 ドリアンは、日本では滅多に食べられない、きわめてクセの強い果物である。 特に、その臭いは強烈で、そのためホテルや飛行機への持ち込みが禁止されている、というシロモノである。 ドリアンの屋台は数十メートル先でもにおう、と何かに買いてあったが、その割には、前を通り過ぎても、 うさぎはにおいを全く感じなかった。
シャングリラホテルに帰り着くと、うさぎたちはトライショーを降りておじさんたちにRM50札を渡し、別れを告げた。
おじさんたちは二人なので、RM25づつ一人一人に手渡した方がいいかな、と思ったのだが、RM50札しか手元になかったのだ。
おじさんたちは親切で、一生懸命英語で説明してくれたし、天候に合わせてきめ細かく幌を上げたり下げたりしてくれた。
二人のおじさんに一時間たっぷり奉仕してもらって1500円で済んだとは、安い観光であった。
おじさんたちにしてみれば、時給750円は悪くないだろうが、それもひっきりなしにお客が来れば、の話である。
炎天下の中、来るかどうか分からない客をまた待ちつづけ、やっと捕まえたお客が支払う金額が750円では、
いかに物価が安い国とはいえ、食べていかれるのだろうかと心配になってしまう。
うさぎはここに来る前、街のあちこちでトライショーは走っているもの、と思っていた。
けれど、街中を走っている時、他のトライショーは一台も見かけなかった。
インド人街の一角に何十台も置いてあるのは見たけれど、お客を乗せて走っているのは一台も。
だいたい、この街で一番観光客が集まりそうなシャングリラホテルの前で待機していたのが、
うさぎたちが借りた2台だけだったのだから、見かけなくて当たり前かもしれない。
「ジョージタウンに来たからにはトライショーに乗ってみるべし」とガイドブックにだって書いてあるのに、
どうしてこんなに乗る人が少ないのだろう。
まあもっとも、今は日本人観光客が少ない時期。
あと一月して日本が夏休みに入ったら、きっとトライショーに乗りに日本人がたくさんやってくるだろう。
せめてそのときには、おじさんたちが儲かりますように。