Palau  パラオ

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【 ヤップの石貨 】

方解石

青の洞窟から外に出ると、前方にボートが来ていた。 ボートはほんの狭い船着場を持つ、きりたった岩山の近くに停泊しており、 ボートの上で皆はお昼を食べることになった。 そろそろお腹が空いていたので、嬉しい。

お弁当の中身はみんなそれぞれ好きなメニュー。 昨日ツアーを申し込むとき、10種類くらいのメニューの中から、 皆それぞれが自分の好きなものを選んでおいたのだ。 うさぎとチャアはうどんとてんぷら、ネネはおにぎり定食、きりんはチキン定食。 コンビニ弁当のワンランク上をいく味だ。

上から入れると下から出したくなるのが生き物の宿命、 食事を終えると、今度はトイレに行きたくなった。 でもこんなところにトイレなんてあるわけがない。

「すみません、トイレに行きたいんですけど‥」とガイドさんに告げると、
「山の中と海の中、どちらでもお好きなほうでどうぞ」という返答がかえってきた。
「海〜っ?! 山〜っ?? どっちもいや〜っ!」子どもたちが騒ぐ。

「ダイバーは海でするの、抵抗ないけどね。泳ぎながらどこででも」 ダイバーご夫妻の、ご主人のほうがニコニコしながら言った。
「でもダイビングスーツ着ていますよねえ?」うさぎが尋ねる。
「そう、だから、スーツの中でするの」
「エッ! そうなんですか。 ‥でも、スーツの中に溜まったりしません?」
「そうだね、すぐには出て行かないね。だから、スーツの中がぬくう〜くなる」
「そうすると、自分のおしっこを纏って泳ぐわけですか!!」
「そうだねえ‥」 ダイバーの旦那はニコニコしている。なんかこの方、面白〜い。 「ぬくい」という関西弁独特の表現が、うさぎはすっかり気に入ってしまった。

一方、子どもたちは大パニック!
「げげ〜っ! ひえ〜っ!」の連続である。 「海よりは、山のほうがまだマシ」 そういう結論に達したらしい、ネネとチャアとうさぎの三人でトイレツアーを組み、 船着場から狭い階段を上がって場所を探した。

うさぎとすれば、母娘3人、皆で並んで用を足すのも悪くないと思ったが、 思春期の子どもたちは、それぞれに場所を見つけると、ささ〜っと離れて行ってしまった。 相手が親であろうとも、用を足すところを見られたくはないらしい。

トイレを済ませて帰ってくると、ガイドさんが言った。
「さあ、ではそろそろ石貨を見に行きましょうか」
「ヤップの石貨ですね」うさぎはワクワクした。 ヤップの石貨は、アイライ方面に来たかった理由の一つだ。 「どこにあるんですか?」
「ここを上がったところです」
「えっ!!」思わず声が裏返った。 今トイレにしてきたばかりの山の中にまたみんなで上がる?! ひゃああ‥。

この石貨について少し話しておこう。 パラオから400キロほど離れた隣の島ヤップでは、 かつて石貨と呼ばれる、巨大なお金を作る習慣があった。 大きいものでは直径が3メートル以上にもなるという。

その石貨はわざわざパラオから切り出し、カヌーで運び込まれたものだという。 今では石貨を作る習慣こそなくなってしまったが、 その価値は健在で、婚姻の際の結納金や労働力への対価として、やり取りされているのだそうだ。 なにしろ重いので、やり取りといっても、置いてある場所を移動するわけではなく、 公共の場所に置かれたまま、所有者だけが変わるらしい。

また、その石貨の価値を決めるのは大きさや目方ではなく、 それぞれの石貨にまつわる涙と汗の物語なのだそうだ。 何百キロもの大海原を越えて重たい石貨をカヌーで持ち帰るには、計り知れない苦労と危険が伴う。 何度も命の危機に瀕し、あまつさえ海に沈んだ者もいた。 どんなに苦労しどんなに犠牲者がたくさん出たか、 そうした涙と汗の英雄譚がその石貨の価値を高めるのだそうで、 苦労して持ち帰られた石貨ほど、価値が高いらしい。

この石貨についての話はたいそう興味深かったが、腑に落ちない点もいくつかあった。

まず、なぜ石貨を作るのが、400キロ離れたパラオでなくてはならなかったのか、ということ。 なぜヤップ人たちは危険を冒して、こんなに遠くまでやってくる必要があったのか。 冒険それ自体に価値を見出していたからだろうか。 だから、わざわざ遠くを選んだのか。

二つ目は、大きさにこだわりがないのであれば、なぜこんなに大きいのか、ということ。 小さて華奢なカヌーで、大きくて重いものを運ぶには、危険が伴う。 これも、苦労は買ってでもしたいと思う、ヤップ人魂のあらわれと見るべきなのか。

また、19世紀の終わり、石貨を大量生産し、 大もうけしたと伝えらえる西洋人オーキフの存在がどうも嵌らない。 英雄譚が石貨の価値を決めるのであれば、なぜ彼は大もうけができたのか。 「彼はヤップ人を騙した」と捉えるむきもあるが、 だったらなぜヤップの人々はそうも簡単に騙されてしまったのか。

一度石貨の実物を目にしたくらいで、こうした謎が解けるとは思えないが、 本場で本物を見ることで、そのロマンに触れてみたかった。

――さて、話を元に戻そう。

再び船着場から狭い階段を上がり、ガイドさんは石貨についていろいろ書いてある看板の前に 皆を集めた。 さっきトイレのことばかり考えていたときには気づかなかったが、 看板といい、階段についた鉄の手すりといい、 この辺鄙な山は、石貨ひとつあるおかげで突然観光地化しているのであった。

「ヤップの石貨が切り出されたのは、実はこの山です」 ガイドさんが看板の前で説明した。

えっ? そうなの?! たまたまこの辺に石貨が転がっているだけかと思ったら、 なんと、ここが石貨の切り出し場なのか! それは良いところに連れてきてもらったものだ、とうさぎはほくそえんだ。

さっきトイレにしたあたりを通り過ぎ、ほんの少しいくと、 ガイドさんが手のひらに乗るくらいの石を拾い上げた。
「ほら、これが石貨の原料です。方解石という種類の石です。 土やこけに覆われているから一見普通の山に見えますが、 実はこの山全体が、この石でできているんですよ」

「きれーい!」 それはとてもきれいな石だった。 まるで水晶みたいに白く、透き通っている。 六角の劈開性があり、結晶のようだ。

うさぎは突然、彼らがパラオへやってきたわけを理解した。 石なら何でもいいわけじゃなかったんだ。 冒険がしたくてわざわざ遠くからやってきたわけじゃあない。 「どうしてもここでなくてはならない理由」があったんだ!

更に進むと、いよいよ石貨が登場した。 直径が3メートル近くありそうな、大きなものだ。 5円玉のように真ん中に穴があいたそれは、どどーんとそこに横たわっており、 くすんだ緑色のこけに覆われていた。

「さあ、これがヤップの石貨です。 切り出したものの、あまりに大きすぎて、運べなくなってしまったんでしょう」
「ほら、見てください。確かに方解石で出来ているでしょう?」 ガイドさんは苔むした石の一部を水で洗い、懐中電灯を押し当てた。
「おおっ!」みなはどよめいた。 確かに、石の内部に光が通っている。 石が透き通っている証拠だ。

うさぎは、この石が切り出されたばかりのところを想像した。 切り出されたばかりの石は、透き通って真っ白で、さぞかし美しかったことだろう。 太陽の光を通すその様は、どんなに神秘的に見えただろう。 平らに磨かれた表面はすべすべして、頬を押し当てるとひんやりしていたに違いない。

ここは宝の山だ、とうさぎは思った。 この方解石の山にすっかり魅せられてしまっていた。 かつて遠路はるばるここに石貨を切り出しにやって来た ヤップの人々の気持ちが分かるような気がした。

足場の悪い岩にわざわざ登って石貨を見下ろし、写真を撮っていると、 「さあ、先へ行きましょうか」と、ガイドさんがうさぎの背後を指さした。 えっ?! こんなところに登るようなお転婆はうさぎだけかと思ったら、 ここをみんなで登る?!

道に沿ってついていた手すりも石貨の前までで終わり、 ここからは道なき道を分け入り、大きな岩をよじ登るように進んだ。 劈開に沿ってほろりと割れた足元の岩の切り口は真っ白だった。

「さあ、ここが石貨の切り出し場です。 つい70〜80年くらい前までここで石貨が生産されていたんですよ」 少しなだらかになったところで、ガイドさんは言った。

更に先には、洞窟があった。 入口には綱がはってある。 洞窟とみれば入ってみたくなるうさぎだが、さすがにここは立ち入り禁止かな、残念。

‥と思ったら、ガイドさんは綱を超えて、洞窟にずんずん入っていくではないか!
「頭に気をつけて、腰をかがめて入ってくださいよー。天井が低いですからね」 洞窟の中は真っ暗。 ガイドさんの持つ懐中電灯の明かりだけが頼りだ。

そこは、小さな鍾乳洞だった。 天井からつらら石がのびている。 ガイドさんの懐中電灯が更に奥を照らすと、大きな石筍や石柱が林立していた。

「ここも全部方解石なんですよ」 ガイドさんがつらら石に懐中電灯を壁に押し当てると、それは琥珀のように光を通した。

冒険はここで終わり、一向は今来た道をまた引き返した。 その道すがら、うさぎはすべての謎が解けたような気がしていた。

石貨の存在を理解する鍵は、それが美しいという事実だ。 ホコリにまみれ、コケむした石貨を見る限り、それはちっとも美しいようには見えない。 石貨の話はいろんな本で読んだが、その美しさに触れたものは、一つもなかった。 でも、切り出されたばかりのとき、 カヌーに引っ張られ、海の水で洗われながらヤップに到着した石貨は、 どんなに美しかったことだろう。 石切り場に足を運べない女子供は、夫や父親が持ち帰った透き通った石を見て、どんなに驚いたことだろう。 こんなに美しく立派なものを持ち帰った彼らを、どんなに誇らしく思ったことだろう。

思うに、石貨というのは、本来、「貨幣」よりも「宝石」の存在に近かったのではないか。 5円玉のような形をしているから、「ばかでかい貨幣」だと思われがちだが、 実はこれは、「ばかでかい宝石」ではないのか。 石貨が丸いのは、転がして運ぶため、 真ん中に穴が開いているのは、縄に通して運ぶため。 平べったいのは、光を通し、より美しく見せるため。 この形は別に、お金であることの証拠ではない。

また、これが宝石であったと考えると、目方や大きさに価値がなかったはずはない。 品質が同じなら 1カラットのダイヤモンドより2カラットのほうが価値が高いように、 本来石貨は大きいほうが価値が高かったはずだ。

その価値観を崩したのは、誰あろう、ほかならぬオーキフであった。 彼はヤップ人たちが小さなカヌーで苦労して持ち帰る石貨を、 西洋の大きな船でやすやすと持ち帰った。 彼の持ち帰った石貨の表面は、鉄斧を使ってぴかぴかに磨かれていたという。 ヤップ人たちはその技術に驚いた。 ‥いや、正確に言うと、技術に驚いたのではない。 ぴかぴかに磨かれた石貨の美しさに驚いたに違いない。

だから最初、ヤップ人たちはオーキフが持ち帰った大きくて美しい石貨に大喜びし、 いろんなものと交換した。 オーキフはどんどん石貨を持ち帰り、瞬く間に大金持ちになった。

彼のほうはそれでよかったかもしれない。 だが、ヤップの経済は、大混乱に陥った。 石貨の急増により、深刻なインフレ状態にみまわれたのだ。

彼らは新たな価値観を見出す必要に迫られた。 彼ら自身が持ち帰った石貨にあって、オーキフの石貨にはないもの――彼らはそれを探した。 そして、それまで二次的な要素であった石貨のもつエピソードに目をつけた。 この石貨をヤップに運び込むために、同胞がどれだけ苦労したか、どれだけの犠牲を払ったか、 その汗と涙の大きさこそが、石貨が持つ真の価値ではないか、と考え始めた。 人々は、大きくてすべすべのオーキフ石貨を軽視しはじめた。

新しい石貨が作られることもなくなった今、石貨は苔むし、 それが美しいという事実を誰もが忘れた。 美しくないから、大きいこと、重いことの価値も薄れた。 宝石としての価値は失われ、 英雄譚だけが残って、貨幣としての価値を温存した。

――こんなところではないだろうか。 こう考えると、すべてのピースがぴったりはまる。

ヤップ人が大海原を越えてパラオにやってきたのは、伊達や酔狂ではなかった。 どうしても「ここ」でなくてはならない理由があった。

石貨が大きいのも、苦労したかったせいじゃない。 大きいほうが価値が高かったから。

ヤップの人々はオーキフに騙されたわけではない。 一時は彼の作った石貨に夢中になったが、すぐに飽きてしまった。

こうして美しさは忘れ去られ、石貨はますます苔むすばかり。 二度とここにヤップ人たちが石貨を切り出しにやってくることもないだろう――。

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