船は、方解石の岩山から離れ、白い水しぶきをあげて、マリンレイクへと向かった。 「マリンレイク」というのは、特定の場所の名前ではない。 島に囲まれ、外海との繋がりがきわめて細い湖のような水域を、 マリンレイク(海の湖)とパラオでは呼ぶのだそうだ。
今到着したここは、その「マリンレイク」の中でも有名なところらしい、
ガイドブックの写真で確かに見た風景だった。
ガイドさんも言った。
「おや、珍しいですねえ。今日は全然ほかの船がいないわ」
あたりはとても静かだ。 鳥の声だけが、マリンレイクを取り囲む山にこだまする。 船がエンジンを止めてしばらくすると、水面も鏡のようにピンと張り、動かなくなった。
「さあ、ここでしばらくシュノーケリングを楽しんでいきましょう」 ガイドさんがそういうと、海に飛びこんだ。 皆も、装備をつけ、次々と飛び込んだ。 バッシャーン! 水音が辺りの山々にこだまする。 水面に大きな波紋ができ、ずっとむこうまで広がっていく。 なんだかもったいないような気がする。 この静けさを打ち破るなんて‥。
うさぎはシュノーケリングが苦手だ。 前にオーストラリアで挑戦したときには、口呼吸が全然できなかった。 パラオではなんとかできるようになりたいと、 ここ数ヶ月、鼻をつまみ、口呼吸を練習してきたが、正直言って自信ない。 どうしようかな、どうしよう〜? このまま、船に残っていようかな。
だが、皆がガイドさんについて船を離れていくのを見るうち、 やっぱり自分だけおいてけぼりはいやだ、と思い始めた。
えいっ! ままよ!!
シュノーケルを装着し、夢中で水に飛び込んだ。 ライフベストも着けてるし、最悪でも溺れることはなかろう。 ハウジングつきのカメラだって忘れちゃいない。 手首にちゃんとストラップをひっかけてきた。
とにかくまずは皆に追いつかなくっちゃ。 手足をめちゃくちゃに動かし、奮闘してみる。 傍からみたら、溺れてみるようにしか見えないだろうが。
「ここは汽水域ですからねー、珍しい魚がいっぱい見れますよー。 あ、ほら、こっちこっち! マンジュウイシモチがいました!」 ガイドさんの声が響いた。皆が一斉にガイドさんの近くに寄る。
どれどれ、その「マンジュウイシモチ」とやらをわたしも見たいじゃないの。 うさぎはなおも必死でガイドさんを追った。 でも、とにかくシュノーケルが邪魔。 口で呼吸しなくちゃと思うと、泳ぐことに意識が集中できない。 苦しくなって、すぐマスクを外してしまった。
やっとこすっとこ皆に追いつき、マスクをやおら嵌めて、水中を覗き込む。 どれだ、どれがマンジュウイシモチだ?!
「ウヌヌヌヌヌヌ〜? グワワボボオ〜?」
頭の中で、「どれーっ?! どれ〜っ?!」と探していたら、自然に口が動いていたらしい。 シュノーケルを加えた口からうめき声のような音が漏れていた。 ガイドさんがその声を聞きつけ、うさぎの側に近寄り、水中の中を指差した。 でもよく分からない。こっち? そっち? どっち?
「ウヌ? ウヌヌ? ヌヌヌヌ?」
ぷはあっ! ダメだ〜っ! やっぱり苦しい! うさぎはまたマスクを外した。 いつの間にか水が入ったらしく、鼻がツーンと痛い。 魚は全然見つからない、足は疲れてきたしで、もう泣きたい‥。
でも頑張らなくっちゃ。 だってカメラを持ってるんだもん。 苦しくったって、悲しくったって、カメラを持ったら平気なはずよ。 とにかく一枚でいい。 一枚でいいから、「マリンレイクで撮りました」な写真を持って帰りたい! このカメラ根性は自分でも不思議だが、カメラを持ったが最後、 収穫なしで帰るのは絶対イヤなのだ。
うさぎは戦術を変え、マイペースでいくことにした。 とりたてて珍しい魚でなくてもいい。 なんでもいいから見つけたら手当たり次第、カメラを向けることにした。
でも、相変わらずなかなか魚は見つからないし、 やっと見つけた魚には逃げられてしまった。 液晶で確認すると、全部空振り。
‥と、後ろから誰かがチョイチョイと背中をつついた。 振り返るとチャアだった。
「モァモァ、コムラくわすて」
シュノーケリングをくわえたまま、何か言ってる。 「ママ、カメラ貸して」と言っているらしい。 チャアにカメラを渡すと、彼女は水の中で1回2回シャッターを切り、液晶を確認画面にしたまま、 ほいっ、と返してきた。 なんと! 魚がちゃんと写っているではないか! なんで〜っ!!
前にシュノーケリングに挑戦したときは、チャアだってできなかったはずだ。 ネネだってきりんだって、とにかくうちは全員、ダメだった。 なのにアナタ、練習もしてないのに一体いつできるようになったわけ? ネネもきりんも、どうして普通にできるようになっちゃったわけ? ‥っていうか、どうしてわたしだけできないの!!
だんだん疲れてきて、ついにうさぎはカメラを諦めた。 ガイドさんにカメラを渡し、「これで何か撮ってきてください」とお願いした。 ガイドさんは底のほうまで潜っていき、 真っ青な口を開けた大きな貝を画面いっぱいに撮ってきてくれた。 うーん、お見事っ! やっぱり、ライフジャケットで水面にぷかぷか浮きながら 水中写真をモノにできると思ったのが間違いだったか。
それでも、そうこうするうち、ほんの少し、口呼吸に慣れてきた。 顔を水につけているときは、パイプの先から水が入ってきたりはしないのだ、 ということが感覚的に信じられるようにもなってきた。
水から上がる頃にはもうすっかり疲れきっていて、 「もっとやりたい」とか「またやりたい」とまでは思わなかったが、 そのうちチャンスがあったら、もうちょっと口呼吸がうまくなれるんじゃないかという気がした。
水中写真なんて、大それたことはもう言うまい。 ほんのちょっぴり口呼吸がラクになっただけで、ヨシとしよう。