シンガポールの国の象徴である"マーライオン"。
その像は3つある。
本土のマーライオンパークにある元祖マーライオンと、チビマーライオン。
そしてこのセントーサ島の巨大なマーライオンタワー。
前の二つは口から水を吐き出し、噴水のお役目を果たしているそうだが、
ここの巨大マーライオンのお役目は展望台である。
うさぎは今日、昼と夜の二度、ここにやってきた。
フェリーターミナルから歩いてミュージックフォンテーンの会場を抜けると、 マーライオンタワーまでは、ゆるやかな階段がずっと続いており、 真ん中にせせらぎがあった。 マーライオンタワー自体も水の流れに囲まれ、 その裏手にも色とりどりのモザイクタイルで彩られたせせらぎ付きの遊歩道がある。 ドラゴントレイルの入り口の大きなドラゴン像もまわりに噴水をはべらせていたし、 とにかくここは噴水とせせらぎばかりだ。 シンガポールという国は国土が狭く、平地ばかりだから、自然の渓流を知らない。 それでことさらに水の流れの立てるコトコトという音に憧れるのだろうか。
タワーの入り口はマーライオンウォーク側、つまりライオンの背中の方にあり、 ここから入ると、中は暗い海賊の洞窟となっている。 宝箱から財宝が溢れ、「宝石を掴んでごらん」と書いてある箱の宝石に手を伸ばすと――。 ひゃっ! 冷たいものが手に触れ、どこからともなくワハハハハという海賊の笑い声が起こった。
海賊の洞窟ではマーライオン伝説をビデオで流していた。 昔のマレー人の生活シーンが雰囲気たっぷりに描かれた、短いけれど素敵な映画だ。
昔々、マレーの猟師たちの住む、小さな村があった。
ある日、ひどい嵐が来て、村は壊滅状態に陥った。
海は荒れ狂い、全てが波に飲み込まれる!と思ったその時、
海の彼方から、ライオンの頭と魚の体を持つ巨大な怪物が姿を現し、
嵐と戦い、風を静めて帰っていった。
こうして村は救われたとさ。
洞窟を抜けてエレベーターで上階へ上がると、道は二つに割れていた。 下に下りる階段と上に上がる階段。
薄暗い巨大なハリボテの中、小さな電球の光に助けられて階段を下りると 小さなバルコニーがあった。 右と左から一本づつ、大きなつららがぶら下がっている。 なるほどこれはマーライオンの牙、そしてこのバルコニーはマーライオンの口らしい。
エレベータのところまで戻り、今度は階段を少し登ると、マーライオンの頭の上に出た。
ネコの額ほどの――いや、ライオンの脳天ほどの――心地よい狭さの展望台。
そこから見下ろした景色は、昼と夜とではまるっきり違った。
海辺に居並び鎌首を長くもたげたクレーン、美しいとは限らない船の数々‥。 昼間ここから下を見下ろした時には、わざわざ見るほどの景色ではないなあと思った。
けれど、夜景はすばらしかった。
海を背にしてシンガポール本土を見やると、
黒々とした海の向こうにおびただしい数の光をちりばめた街が、
夜空の闇をも蹴散らすほどに明るく輝いていた。
昼間は目障り以外の何物でもなかった海辺のクレーンたちも、
もたげた首の先っちょにライトをつけ、この夜景に参加している。
高い腰壁から首を突き出すと、 ちょうど始まったミュージックフォンテーンの噴水が踊っていた。 こんな高いところからでもはっきりと見える。
いと美しきかな、人工の小国。
そもそも闇を照らす光ほど人工的なものはないというのに、
さらにこの夜景は、必要があってのものというより、わざわざ作られたような感がある。
国を挙げてのこの夜景に入れる気合いには恐れ入る。
「100万ドルの夜景」というけれど、本当にそれくらいはかかっていそうな光の量だ。
夜景を見たあとエレベータで階下に降ると、入り口とは違う階に停まった。
どうやらここは一方通行で、入り口とは別に出口があるらしい。
で、その出口というのは、エレベータの降り口から、
エレベータを渦巻状に取巻くお土産屋の中を通って出た先にあるのであった。
つまりお土産屋さんの売り場を端から端まで歩き尽くさないと
外に出られない仕組みである。
「なんというグッドアイデア! アッタマいい〜!」と設計者は思っただろうが、
あざといというかなんというか‥。見ている方が恥かしい。
その商売っ気に少々鼻白みながらも、せっかくだから商品を眺めていると、 凝った細工の鳥かごを見つけた。 中にはやはり細工物の鳥が入っていて、こう書いてあった。
Need no food,
Need no bath,
Need clean up but you can hear me sing.
(食事は要りません。
水浴も要りません。
掃除も必要ありません。
それでもあなたはわたしの歌声を聞くことができます)
うさぎはナイチンゲールの話を思い出して可笑しくなった。
昔々、中国の皇帝陛下は機械仕掛けの鳥に夢中になり、本物の鳥を放してしまわれた。
機械仕掛けの鳥は宝石をちりばめた美しい鳥。いつも同じ音色で正しく歌う。
けれどその歌声は、魂まで癒してはくれない。
病に倒れたその時救ってくれたのは、どこからともなく現れた本物の鳥であった‥。
アンデルセンのこの童話は、果してこの国でも読まれているだろうか。